超絶美少女にギャップ萌え
中学1年生の2学期が始まった頃、クラスにひとりの女子が転校してきました。
彼女の苗字はHさんといって、大阪市内の学校から転校してきたと担任の先生が紹介しました。
Hさんは無言のまま、この少し後に一世を風靡する浜崎あゆみさんのようにクリクリとした大きな瞳でこちらのほうを向いて、小さな頭をぺこりとさげました。
その表情に邪気は微塵も感じられず、栗色の髪はまるでソナタを奏でるかのように流麗な調べで、甘く柔らかで妖艶な口元に目を奪われて理性を失くした僕は混沌の海に身を投げた。えーと、つまり、Hさんは超絶美少女で、ぼくはマジめっちゃかわいいと思いました。だもので、担任の先生が口にしたはずの、彼女の下の名前を聞きそびれた。
そんな超絶美少女であることに加えて、大阪市内の出身というのもなんとなく都会っ子っぽく感じました。
栗色の髪が生まれつきだったのか染めていたのかは不明ですが、世の女子高生の間で茶髪ロングが大流行していた頃で、都会っ子で大人びているのなら、染めていても不思議はないと勝手に思い込み、なんだか高嶺の花子さんという気持ちでした。当時まだback numberは結成すらしていませんが。
さて、Hさんから見た自分は友達の友達ですらなく、そもそも彼女が自分の名前を覚えてくれていたかどうかですら定かではないのですが、陰ながら自分は彼女に少し興味を持っていて、そのミステリアスな佇まいに魅力を感じていました。
といっても、まだまだ頭はポケモンとミニ四駆のことだらけ。
ベッドタウン育ちな上に、ドブ川でトンボを追いかけるとか田んぼでトンボに追いかけられるなどの下品な遊びしか知らないし、中学生になっても手を洗わなさすぎて怒られているような自分は、話すことすら許されないだろう。
蛆虫の僕が貴女に触れたら汚してしまう。だからずっと遠くから静かに見届けていよう、そう誓っていた……。というのは誇張で、実際は単純に陰キャだから女子と喋れなかっただけです。
Hさんの下の名前すら知りませんでした。学級名簿には載っていたはずだし、他の生徒に訊けばわかったのかもしれませんが、なにせ陰キャを極めていたもので、そんなの恥ずかちくてできなかったの。だってわたし男の子だもん。
で、我ながらキモいのですが、日々、勝手に彼女の下の名前を想像しては悦に入っておりました。
涼子、恭子、ひなの、ありさ、まりや(※当時の自分の脳内辞書の中に書いてあった綺麗な女の人の名前)……。一体どんな名前なのか。
ある日の下校時、偶然に彼女が帰っている姿を見かけ、衝撃を受けたことがあります。
教室では無口でクールな印象で、あんまりふざけたことをしない真面目な子だったのですが、その時の彼女は、歩道の縁石の上をおっとっとと伝って歩くという、幼児がよくやるような遊びをしていたからです。しかも、たまにバランスが取れずに転びそうになったりして、その都度、最初からやり直している。
あの、薔薇のような牡丹のようなHさんが、まるで子供のように純粋な……というか、完全にクソガキがやるような行為をしているという事実に面食らい、その意外性がまた蠱惑的で僕は罪深き空想に耽り夢に散って……、えー、わかりやすくいえば、そのギャップにガチでマジで萌えました。MGM(マジギャップ萌え)。
しかしそこは陰キャのわたくし。目の前の数十メートルを歩く彼女にすぐさま駆け寄って、「ねえねえ、歩道の縁石の上、つい歩いちゃうよね?あと白線の上も歩くタイプ?納豆にはネギ入れるほう?」などと初期のクレヨンしんちゃんのように軽快なナンパを試みるスキルなどは当然なく、ただただ静かにひとり萌え、彼女が交通事故に遭わないように祈ることしかできませんでした。
その後しばらくして、彼女は学校に来なくなってしまいました。いわゆる不登校です。何が原因だったかは不明ですが、どこかクラスで孤立している雰囲気はなんとなく感じ取ってはいました。
彼女の名前は3年後、卒業アルバムの名簿によって初めて知ることになります。涼子でもひなのでもありさでもあきこでも恵でも亜美でもなかったけど、とても可憐な名前で、「佳」という漢字を含んでいました。
この「佳」という字は、「すぐれている」「めでたい」とともに「姿形が美しい」という意味を持つのだそうです。彼女はまさにそういう人だった。だけど、本当は子供みたいな遊びをしちゃう部分もあった。それを見られた自分はきっと幸せだ。
まあ、願わくば、当時にふつうに友達になれていれば……と、今でも思うのですが。過去の自分の陰キャぶりが憎い。
でも、もし当時の彼女にセレクトBBとかバックブレーダーのカッコ良さとか話したとして、どれくらい通じたのだろうか……。いや、意外とコロコロコミックを読んでいたかも……。ボンボン派かな?