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こぼしエッセイ「ZMCなんてウソだった」

1996年の、ある日のおはなしです。



その日、プラーナくんは、とても、うきうきしていました。

なぜかというと、その日は、ミニ四駆の、「ネオトライタガーZMC」の、発売日だからです。

プラーナくんは、その数ヶ月前から、「ネオトライタガーZMC」の情報が載っていたコロコロコミックを、むさぼるように何度も読み、そのマシンの完成度の高さに、あつい期待を寄せていました。

なんたって、かの岡田鉄心先生(※1)が、丹精を込めて造りあげた「ZMC」素材を使用した、ミニ四駆の常識を変える強靭なボディ構造だというのですから、それはそれはそのボディはタフなもので、防弾機能くらいは、当然のようについているだろうと、プラーナくんは、たいへん胸を熱くさせていたのです。

「いや、ミニ四駆ってプラモやで?」という、同級生の声も、ほとんど聞こえないくらいに、プラーナくんはZMCボディに夢中でした。

「マグナムセイバー」「ソニックセイバー」に代表される、数々の名マシンを生み出した天才、土屋博士のさらなる師匠、岡田鉄心先生の開発した「ZMC」。期待をせずにはいられません。




学校の授業が、終わるや否や、プラーナくんは、ジャスコへと、自転車を走らせたのです。イズミヤでも、あるいは、イズミヤよりももう少し奥まったところにある、古くからある模型屋さんでも、良かったのですが、なぜ、ジャスコを選んだかというと、ジャスコなら、当時、定価600円のミニ四駆が、480円くらいで買えたのです。小学生にとって、500円を超えるものは、高価なので、ジャスコのお客様感謝デーは、とても素敵なイベントでした。


そして、プラーナくんは、手に入れたのです。「ネオトライタガーZMC」を。


帰り道のプラーナくんは、それは、それは、意気揚々としていました。


家に帰り、手洗いもうがいもろくにせず、プラーナくんは、いそいそと、「ネオトライタガーZMC」の箱を開けたのです。

そして、はやる気持ちを抑えながら、ZMC素材でつくられているはずのボディに触れたのです。




















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なんと、そのボディは、ただの、プラスティックだったのです。強く曲げれば簡単に曲がってしまいそうなほど、それはそれは、プラスティックでした。



プラーナくんは、頭をかかえて、泣きわめきました。深い、深い、かなしみと、現実の残酷さに、混乱してしまったようでした。

岡田鉄心先生は、漫画の世界にしかいないんだ!土屋博士は、漫画の世界にしかいないんだ(※2)!これが………2次元ッ!俺は…………口惜しいッ!



福本伸行先生のようなテイストで、このようなうわごとを呻きながら、「ネオトライタガーZMC」を投げすててやろうかと、プラーナくんは思いましたが、ふと時計を見ると、もう、夕方の6時でした。

バイトの時間です。

当時、プラーナくんは、土曜日の夕方6時から、とあるバイトをしていました。

「YAT安心!宇宙旅行」(※3)を正座して視聴するという、とても、やりがいのあるバイトをしていたのです。一銭ももらえないバイトでしたが、桂さんに萌えることは、何にも代えられない、プライスレスなお仕事だったのです。

その週も、ゴローちゃんは用途不明なゴーグルをかけていて、桂さんはなんかエッチなツナギを着ていて、なんか宇宙人がいて、なんかなんかが起こってなんか解決していて、なんとか、心の平穏を取り戻しました。


冷静に考えたら、プラーナくんが、当時、(というか今も)、いちばんデザインが、かっこいいと思っていたミニ四駆は、「アストロブーメラン」なのでした。

プラーナくんは、「アストロブーメラン」を、ずっと、大切にしようと、思いました。



・・・でも、いま、手元に、アストロブーメランは、ありません。


-おしまい-


(※1) 漫画「爆走兄弟レッツ&ゴー!!」に登場する架空の人物です(モデルとなった方はもしかしたら存在するのかもしれませんが、土屋博士と違い、明確ではありません)。作中では、ミニ四駆界への貢献度は高いものの、プライベートではただのスケベオヤジとされていました。

(※2) 「土屋博士」というキャラクター自体は、漫画「爆走兄弟レッツ&ゴー!!」「ダッシュボーイ天」などに登場する架空の人物ですが、鉄心先生とは違い、明確にモデルとなった方がいらして、その方は、残念ながら、数年前に逝去されてしまったそうなのですが、タミヤ模型社内でも非常に人望の厚い方だったそうです。

(※3) NHK教育テレビ制作のアニメ。宇宙旅行コメディ。名作。当時、「YAT安心!宇宙旅行」〜「あずきちゃん」の前半5分くらい視聴(気になる回は10〜15分くらい)〜チャンネルを替えて「みどりのマキバオー」(ただ、家にテレビが1台しかなくて、チャンネル主導権が自分にはなく、場合によってはマキバオーの途中で替えられてしまう)というのが土曜日のテレビ視聴の基本でした。





-あとがき-

大人のたしなみとして、今も、ミニ四駆ブームは再燃しています。だけど、プラーナくんは、むかしのミニ四駆の、言ってしまえば「子供だましな感じ」もふくめて、好きでした。

ヤスリなんて100円ショップで買えるとか、レーサーズボックスとか、ほかのものでじゅうぶん代用できるよなとか、うっすら思ってはいましたけれど、あえてミニ四駆用のものをほしがったのは、あくまで、ミニ四駆はおもちゃであることを認識したうえで、騙されてみたかったから。


妖怪ウォッチにいま夢中になっている子供たちだって、あと6〜7年後には「そういえば、なんであんなもんに親まで連れて並んだりしたんだ?」とか思うのかもしれません。でも、それは無駄なことではないと思うのです。もう大人になった人たちがわからなくなってしまったものに、夢中になれているのですから。

自分が小学生のころに始まった「ポケモン」は、いまでも大人気です。その人気は、海外にまで及びます。

でも、ピカチュウのイラストを模したジェット機がつくられました!というニュースを聞いたとき(1998年くらいかな?)、自分は「なんじゃそりゃ」って思いました。ゲームのキャラクターが飛行機にペイントされるなんて、異常事態でしたもの。でも、そんなことを思ってしまうくらい、まだ、当時のポケモンって、自分たちに近しいものだったんだと思います。まだポケモンは151種類しかいないと思っていたわけですから。


いまや、ポケモンは700種類を超えるそうです。もちろん、それは素敵なことなんです。ゲームはどんどん進化する。ポケモンはどんどん増えてくる。どんどん盛り上がればいい、のです。


けれど、「151匹しかいなくて、四天王が最強。それがポケモン世界のすべて」だと感じていて、クリアした時にポケモン世界を全部知れたようなあの感じ、あれは、ポケモンがまだ、赤色と緑色の2種類のカートリッジしかない時代にしか味わえなかった。

幻のポケモン「ミュウ」や、開発時のバグで偶発的に出てきた裏技の数々。いま常識的に考えれば、バグがあんなにあるソフトなんて大丈夫かいな?とも思いますが、子供のころはそんなもん気にせんかったので、平然と悪びれもせず、ポケモンたちをがんがんレベル100にしていったり、「けつばん」を召喚したりしたわけです。


ミニ四駆にしても、ポケモンにしても、大人も子供も楽しめるホビーになりました。妖怪ウォッチだって、親子でハマっている方々が多いようです。

けれど、もっと、大人がよく知らないような、子供だけの世界があってもいいんじゃないかな?とも、思うのです。だから、小中学生がLINEにハマるのとか、ちょっと、わからなくもないなあ、とも、思うんですね。

別に、隠してるわけでもないけど、でも、親や、周りの大人が介入できない世界。そういうのも、あっていいんじゃない?と。

ニュースでは、小中学生のLINEはいじめにつながるとか、閉鎖的なとか、よく言われていますが、もちろん、いじめはいけませんが、閉鎖的な場所をつくることって、必ずしも悪いとは、自分は思わないんです。5〜6人しか、あるいは2〜3人しか共有できない世界があっても、いいじゃないですか。そこまで密になれるのって、そう悪くはないと思いますよ。それが偽りの仲であっても、子供なんですから、騙されて学べばいいのでは?って。


そして、数年後、いまの小中学生たちは、過去に自分たちが送ってきたLINEをうっかり電車の中で思い出して、赤面して吹き出しそうになって、スマホをいじるフリをして必死に顔を隠すのでしょう。ぼくは悪趣味なのでそんなことをすぐに妄想してしまいます。
















#90年代的な #ミニ四駆 #エッセイ #ZMC


サウナはたのしい。