(笑)が恥ずかしい
文章を紡ぐなどというハイレベルなことができないので、このnoteを書いている時のノリは、ほとんどLINEとかX(旧Twitter)とあまり変わりません。
違うところといえば、無駄にサブカルネタが多く、読み手が知っていようがいまいが思い付いたらすぐに手が勝手に動いてしまう点くらいのもの。
どちらにしても高尚なものとはいえませんが、いちおうは文学部文学科卒でゼミの先生に教えを受けた身なので、作品名には「」ではなく『』を付けるとか、感想ではなく意見を書くとか、エビデンスをプローブするとかに関しては、それなりに気を付けていたりします。
エビデンスのプローブに関してはほとんどGoogle先生にやってもらっているので、ちゃんとできているかは私にはよくわかりませんが、私はGoogle先生を尊敬しているので、きっとそれなりにはできているはずです。たぶん。
ら抜き言葉や慣用句の間違いもまあまあ気にしてはいます。確認した上でしくっていることもあると思いますが。地の文で「しくっている」などという口語表現をいきなり出すあたりが私が文章を紡げないところなんだろうなあという気もするが、そもそも紡ぐ気がない。
とはいえ、日本語はそれなりに美しく使いたいという感覚はなんとなくあります。特に、「、」をどこに置くかについては意識しており、たとえ文法的にはよろしくないとチェックアプリにうるさく注意されても、うるせえこっちのほうがロックなんだよということで、自分が最もソリッドでビビッドだと感じる場所に句読点を置いています。
それとは別に、文法的にどうとか、自分のこだわりとは離れたところで、どうにも使うのを控える表現があります。それは……。
「(笑)」です。
こういったテキストだけでなく、他人のnoteにコメントする時も使わないし、友達との個人的なLINEでも全く使いません。
別に私が、「(笑)」など日本語の乱れの象徴なのでけしからんと憤慨している「(笑)」アンチなわけではなく、他人が使っているぶんには全然かまわないし、「(笑)」だって大切な日本の文化のひとつだと真面目に思っています。
なにせ、第二次世界大戦より以前から使われているという説もあるほどなので、その歴史は長いようで。いつだったか、椎名誠さんが1980年代前半に出された対談集で「(笑)」が多用されているのを読んで、そんな昔からあるの?と驚いたものですが、実際はもっと昔からあったらしい。これはもう文化でしょう。讃えるべき。
ただ、なんかその……、自分が使うのは、……なんか、ほら、……恥ずかちいの……。僕、そんな、普段から「(笑)」とか考えて生きている陽キャじゃないし。
教室の片隅でひとりでニーチェ先生の本を読んでいるようなタイプだったし……。もちろん、全く理解はできていませんでしたし、数年前に読み返したときにも、やっぱりさっぱりわからんので途中で断念してしまいましたが。
ならば私生活では全く笑わないのかというと、もちろんそんなことはありません。
確かに駅前の居酒屋の前で無意味に大声を出して爆笑するハイテンション大学生のようなノリでは過ごしていませんが、サウナでととのった際にはたぶん無意識にハンチョウ顔でにやけているし、先日に友人と呑みに行った際には、ワインとカフェオレを同時に頼んでいるのがシュールすぎて、それだけで2時間くらい笑っていました。
なので、感情を表現できないわけではないのですが、どういうわけか、文面にして「笑」と打つのはどうにも恥ずかしい。
ここで、親愛なるインターネット中年の皆様は、疑問に思われたことがひとつあるでしょう。
「(笑)」がダメなら、「w」は?と。なつかしのインターネット語でいうところの「草」ですね。
この「草」については、ふつうに使っていました。Twitter(当時)でも、メッセンジャー(なつかしい……)でも、noteのコメント欄でも最初の頃は使っていましたね。
ですが、その頃も、なんとなく恥ずかしいなあ、という感覚はありました。「(笑)」よりは打ちやすいけど、あんまり大草原を生やすのもなんだかなあ……という。
なので、「草」は3つまで、という謎なルールを自分の中で作っていましたw
今あらためて考えると、別に「草」の数が1つだろうが3つだろうが、誰も気にしていないのですがwww
よっぽどアホみたいに生やしていたら気にするだろうけどwwwwwwwwwwwwwww
………………。
………………。
恥ずかしい。やっぱりなんか恥ずかしい。
noteは自分の書きやすいように書くのがいちばんですな。