こぼしエッセイ「ネタのタネ」
-まえがき-
noteではおそらく初めての、親サイトcakesとコラボレイトしての試み「cakesコンテスト」。
まことに僭越ながら、私めプラーナもこのコンテストに応募させていただきたく考え、筆を取らせていただいた次第でございます。まあ筆は持っていませんが。PCのキーボードを叩いているのですが。
ちなみに、「pullerna」と横文字の表記にしていますが、これは、noteのユーザーさんに同名の他の方がいらっしゃるということと、サンスクリット語の「プラーナ」とは違うので、区別するためにこういった表記にしているだけなので、コメント返し等の際は、カタカナ表記でかまいせん。
-一般人ユーザーは語る-
自分はnoteのアクティブユーザー(ここでは、伊集院光さんやCLAMP先生や鈴木みそ先生など、プロとして既に名を馳せていらっしゃる方々は含まずに、あくまでも素人さんユーザーさんの中で)としては、客観的に考えて、おそらくほぼ中堅?ではないかと思います。とりたてて有名ではございません。
ですが、一応は初期から(noteに登録したのは2014年の4月15日ごろです)ほとんど休まずに更新し続けており、また、それなりに多くのアクティブユーザーさんに存在を知られていると思うので(これは、=フォロワー数というわけではありません。そんなことはおバカのぼくにも理解できます)、道端に落ちている砂よりかは上の価値はあるはずです。アーリーアダプターなのです。たぶん。おそらく。maybe………まあ、あの、それなりに、ね(強気なのか弱気なのか)!
その私めが、えっらそうに世の中の通念を斬っていき…………はしません。ただの与太話をします。ある面では愚痴なのかもしれません。
cakesコンテスト、ということで「ネタのつくり方」を語らせていただきます。
-アイデアのない人はいない-
この「ネタ」は、「アイデア」と言い換えても良いでしょう。
なにせ、これがないと、何も書けませんし描けませんし歌えませんし奏でられませんし喋れません。なにも投稿できません。cakesコンテストにも参加できないわけですよ。
でも、ネタを全く持っていない人というのはいないのではないか、と自分は思います。
なぜかというと、日常で会話をしているということは喋るネタがあるということであり、LINEやTwitterに毎日なにかしらの文字を打っているということは文字にするネタがあるということなわけです。日々の生活に対して、なにがしかの感想なり意見なり感情なりは、誰しもが持っているものでしょう。
それを直接的にテキストに書いたものを、日記およびエッセイとしましょう。個人的には日記とエッセイの違いは、「他人に読まれることを意識しているかどうか」なのではないかと思っています。
あと、エッセイとコラムの違いについて、ですが、エッセイは個人的なものごとを、コラムは一般的であったり社会的にものごとを綴ったものであると捉えています。
自分は、あくまで主観でしか書けません。自己中心的な性格ですから。よくJ-POPの歌詞で「誰もが〜で悩んでる〜」みたいなの、あるじゃないですか。アレ、ぶっちゃけ、大嫌いなんですよ、全員一緒にすんな、とか、思ってしまうんです。あれ?なんかさっきと矛盾したこと書いてますか?まあ良いではないですか。人は矛盾を抱える生きものなのです。こんなふうに、自分はいわゆるポリシーというものが欠落しています。コロコロ意見を変えます。
なので、社会派コラム的なものを書くのが実に苦手です。ただ単に頭が悪いからという説もありますがそれは嘘です。ぼくはてんさいです。いえそれも嘘です本当は頭も滑舌も悪いです。
だから、自分が過去にnoteに投稿してきたテキストの多くがエッセイです。
(CMタイム)
カオスエッセイ集(だいたい全編が無料):
https://note.mu/pullerna/m/m5adccac6c201
-意味不明からはじまる-
自分はiPhoneのメモ帳に書き込むことがそれなりに多いです。Dropbox無料版も使っていますがすぐ容量がいっぱいになってしまうので(いや有料版も使えよというおはなしですね…)。そのメモが、自分の定義では日記ですね。
その日記の一部を晒してみましょうか。2015年7月1日22時52分。これはおそらく、というか、明らかにお酒が入っていますね。全く意味がわかりません。このバカはいったい普段なに考えて生活してるんでしょうね?いい歳こいてなんたらライブのなんたら凛とかいう架空の人物を崇拝しているこのバカは。
こんなんですよ?
ほおら、意味がわかりません。
何が言いたいのですか?この酔っ払いは?コンバーチブルが出てくるのが唐突すぎて頭が痛くなってきます。うましかタネってなんだ?Rocation Dayってどういう日?
ここから、皆様に見せたとしても理解不能にはならない代物……?、なんらかの物に換えるにはどうすれば良いのでしょうか?
まず、さわりの文章だけでも考察していきましょう。といっても、単純に第三者が考察したものと、自分自身が考察したものとでは、大きく異なるでしょうね。それが創作たる所以なのだと思います。他者にすぐ読まれるようなことは、つまんないのです。
簡単に喩えると、オチが途中で読める映画がつまらないようなものだと思います。なんらかの形で意表を突かないといけません。でもだからといって奇を衒いすぎたり泥酔状態で書いたりしても上のメモ帳のような奇文しか生まれません。まあ奇文にも存在意義はあるかもしれませんが。
「発想力のなさそうな、具現化能力ゼロっぽい人」の図を、ためしに絵に描いてみましょう。まったくのデタラメで。
ううむ。実にアタマ悪そうです。いい感じです。でもこれではただのボーッとしてる人です。肉付けが必要です。かなりの量の肉を付けなければ。この人はまだ栄養不足です。
-意味がくっついてくる-
ちゃんと真面目にこの人を描いてみましょうか。
…………ちょっと真面目に描きすぎました。こんなに普通にしなくても良かった。少なくともバカそうには見えません。むしろ割とかっこいいかもしれません。栄養を与え過ぎました!
なんかこのポーズが図らずもサッカー選手っぽいので、
サッカーボールを描き加えました。
ここに、ひとりのサッカー選手が産まれました!みなさん拍手!パチパチパチパチPATiPATiパチパチ!
この時点でもう、さっきの意味不明なメモは忘れましょう。忘れてください。忘れろ………。
あらかじめ書きますが、さわりの文章が最初の文章という意味じゃないことは知ってますからねわたくし。こんなふうに、ひとこと多いというのもネタづくりには重要かと個人的には思うのです。それは次回の「タネのネタ」にて。
-発想の転換の繰り返し-
つまり、「ネタ」というのはどこにでも転がっていて、それに対する発想を転換しまくる、原型を壊してもいいといいからというか原型を壊すつもりで。これが自分のnoteでの手法です。お題マンガは基本的にこういう手法です。
さて、今回は「意味不明なものから意味がわかるものにする」=「異常なものを正常にする」パターンでした。
次回の「タネのネタ」では、その逆の「普通のものを変なものにする」=「正常なものを異常にする」パターンについて書きます!これは、基本的にエスパークイズで用いている手法です。
-つづく-
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