もうひとつの弁天町と寿温泉
大阪環状線の弁天町駅は、大阪のそれなりに大きな良い子たちの校外学習でお馴染みの水族館「海遊館」へと向かう乗り換え駅で、かつてはまあまあ小さな良い子たちの遠足でお馴染みだった「交通科学博物館」の最寄り駅だったところです。
近年になって駅前の再開発が進んで、駅から直通の大阪ベイタワーというクソデカ複合施設が完成しまして、施設内は非常に賑わっています。
しかし、そんな大阪ベイタワーの建物から出て、安治川大橋へと続く広い通りを歩いていくと、ただちに様子が一変。
ほんの15分くらい前までいた場所では人でごったがえしていたのがまるで嘘だったかのように、良くいえば静謐な、悪くいえば裏寂しい雰囲気になります。
周囲には鉄工所がたくさん建ち並び、トラックが往き来したり、カンカンという作業音は時々きこえるものの、通行人はほとんどいない。ベイタワーの芝生広場にいたお母さんたちとちびっこたちの姿は幻影だったのだろうか。
この地にはかつて、弁天埠頭と呼ばれる船乗り場があり、昭和時代の高度経済成長期にはかなりの繁栄を見せていたといいます。
船乗り場に続くターミナルビルには、飲食店のテナントがいくつも入り、弁天町駅からバスやタクシーで乗り付ける人が毎日のように後を絶たず、常に激混み状態で大盛況だった、とのこと。
当時は明石海峡大橋も瀬戸大橋もまだ造られておらず、大阪から四国へと旅行するには、ここからの海路を使うのがいちばんの近道。
というか、車で行こうと思ったらわざわざ岡山まで行って瀬戸内海を外周するというとんでもない遠回りをする羽目になるので、今に比べたら車の燃費も悪いでしょうし、そもそもまだ一般家庭がマイカーを持つのが贅沢だった時代なので、実質的に船で行くしかなかったのでしょう。
そんなわけで、船旅がナウでヤングな時代。関西汽船と加藤汽船というふたつのライバル会社が鎬を削り、それぞれ「くいーんふらわあ」「ぐれいす」などの船を出航させていたそうな。
しかし、モータリゼーションの発達によって、一般家庭でも手が届く価格帯での乗用車が数多く販売され、そうすると、車を積載できるフェリーが運航されている大阪南港フェリーターミナルに客を奪われていき、平成に入ってしばらくまでは粘り続けていたものの、1995年にすべての航路が廃止。
関西汽船と加藤汽船のターミナルビルはそれ以降の20数年間、ずっと放置されたままだったそうですが、関西汽船のほうはすべて解体。
加藤汽船のほうは屋根の上に付いていた縦長の看板が撤去されたものの、建物は今も残っており、オシャレなデザインスタジオの一室として使われています。
古い建物で年季が入っているとはいえ、ズタボロという感じではないし、向かいにローソンがあるし、目の前は大通りなので車がガンガン走っており、生活感が全くないわけではなく、こういう場所によくある薄気味悪さも感じないのですが、なんとなく独特の寂寥感が漂います。
その寂寥感を引きずったまま、途中で通行止めになっている道路の真横にあるのが、弁天埠頭公園。
公園といっても、遊具や砂場があるわけではなく、それなりに広い敷地内にベンチがぽつりぽつりと点在しているのみ。いちおう辺りの草木はちゃんと生い茂っており、ベンチはお世辞にも綺麗とはいえないまでも、座るのを躊躇うほどではない。
しかし、まあ、誰もいない。いちおう海のほとりなので潮風を感じられるし、何より弁天町駅から15分も歩けば辿り着けるし、本数は少ないものの、弁天埠頭の前で停車するバスは今でも運行されているようなので、アクセスは良好のはず。
少し向こうにはみんな大好きな海遊館があるし、反対側にはこれまたみんな大好きなユニバがあるのとは対照的に、世の中から隔離されたかのような空間があります。
海遊館もユニバも存在しなかった時代は、この一帯も賑やかだったらしく、いくつもの銭湯があったようですが、現在も残っているのは1軒のみ。それが寿温泉です。
住宅地にひっそりと佇む「ゆ」の暖簾、レトロな筆記体の「寿温泉」の文字。令和時代にこんなところがあったのか、と、やはり世の中から隔離されたところに来たような気持ちになりますが、横で自販機が稼働しているので、まぎれもなく現実です。
ちなみに横の自販機は、関西ではお馴染みの「TWO DOWN」とポップな文字が書かれた100円の格安自販機。昔はコカ・コーラの自販機だったようですが、銭湯の玄関に置いてある自販機は格安自販機のほうが味わい深い。脱衣場の自販機はポカリがある大塚製薬のほうがありがたいけど。
中はかなり広々としており、番台から浴室まで地味に遠い。現代の感覚だとものすごく広くは感じませんが、それこそ辺りが船着き場として栄えていた頃は、大型銭湯の部類だったのではなかろうか。
浴室内は石づくりの湯船が4つ。まあ平均的なサイズかな。と思いきや、その向こうに廊下(?)があり、奥には隠し部屋のようなスペースが。ゲルマニウム風呂、スチームサウナ、水風呂があるのですが、浴室の入り口からは見えないような構造になっていて、ボーナスステージのごとく存在する。
もともとはこのボーナスステージゾーンは中庭で、1991年に改装されたようです。確かにこのゾーンはなんか新しめに見える。新しめといってもすでに30年ものではあるので、すでにちょっとノスタルジーを覚えるものにはなっていますが。
自分の世代だと、いかにもな昭和建築よりも、このあたりの時期に造られた、バブルの匂いの漂う建造物のほうが心を惹かれる。なので、歴史ある重要文化財もさることながら、バブルの遺産もできるだけ残してほしいという願いがある。
再び弁天町駅に戻ります。大阪ベイタワーは23時まで開いているのでまだまだ人も多く、環状線の電車にはミニオンのオーバーオールを着た子供やマリオとルイージの帽子を被ったカップルなど、明らかにユニバ帰りの人々が集っています。
すぐ近くで、同じ日の同じ時間帯に、かつての船着き場が静かに夜を過ごしていること、寿温泉が昔と変わらず今日も湯を沸かしていることを、この中のどれくらいの人が知っているのだろうか。
もちろん海遊館もユニバも行けば気持ちよくなれるところなのだけど、弁天町にはもうひとつ、こっそり気持ちよくなれる場所がある。