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マスカレイドを貴女と(3/9):霧島さんの仮面
「抜ける、って言われちまってよお……」
僕の席の隣に立つコージュンが、珍しく弱った顔をしていた。
「どうやら、タツジさんとタクマさんは、もっとユルい感じでバンドやるつもりだったらしいんだよな。それが、FINが人気出過ぎちまって、きつくなったんだってよ。脱退を申し出られた。」
昨日マテリアルのトイレであの2人の会話を聞いた時になんとなく予感していたことが、そのまま現実になった。
「うーん……解散か……」
「説得はしたけど無理だった。新しくメンバー探しだな」
「新しい人入れるの?……2人だけでやるのはどう?」
「それじゃバンドじゃねえだろ。クラスの奴らに声かけるか?」
「うちの学校にバンドやりたい人間なんて、いるかなあ」
「それ、なんだよな……。放課後に話し合うか?」
「いや、僕、今日バイトだから……」
コージュンと僕が通う高校は、お堅い進学校である。確か、校則では本来はライブハウスの出入りなどは禁止されていた気がする。
生徒も、国立大学を狙っているような受験ガチ勢が多い。入学当初はヤンキーな生徒もいて、タバコを吸ったりバイクの免許を取ったりしていたが、そういう生徒は早々に自主退学したり、別の高校に移った。
コージュンと僕の共通点は、この高校の中で、受験ガチ勢にもヤンキーにも振り切れなかったところだ。特に目指す大学があるわけでもなく、かといって夜の校舎の窓ガラスを壊す気概もなく、なんとも中途半端だった。
そんなつまらない日々をなんとか打破しようと、少し前にギターを買ったコージュンは、バンドを組んでライブハウスに出演することを僕に提案した。楽器なんてまるでできないけれど、ボーカルならなんとかなるだろうという、実に安易な考えで、あっさりと乗った。
実際には、ボーカルは大変な役割で、単純に歌が上手いだけではこなせず、全身を使うので必然的に体力をつけざるを得なくなり、生まれてこのかたやったことのなかった筋トレが日課になった。
ライヒとして歌っている時の僕はいつも、解放感に満ち溢れている。普段の地味な自分が心の中で貯めているドロドロした気持ちが、一気に浄化されるような、そんな気持ちになる。これは本当だ。だから、ボーカリストへの執着はある。
ただ、コージュンのように、バンドであることのこだわりは僕にはない。なんなら、コージュンと僕とのユニットでもいいし、コージュンが音楽に飽きたら1人で歌ってもいい。僕はただ、ライヒでいられるならどこでもいいし、なんでもいい。
そして、……これは恥ずかしいので、コージュンにも話していないことだが、いつかライヒとしての僕がカレンさんと同じステージに立つのが、僕の秘かな夢だ。
エプロンに着替え、従業員用の扉から店内へと入り、裏側からレジ台へと赴く。袋が充分に補充されているかどうかをチェックし、今日の野菜と果物の値段表を確認する間もなく、次々に買い物カゴに大量の商品を入れた主婦の方々が殺到する。
住宅地内のスーパーマーケットの夕方5時台は、息をつく余裕もないピーク時間だ。あくせくとバーコードをレジに通して商品を別のカゴに入れ替え、それを何百回か繰り返してようやくひと段落ついた頃にはもう7時半。9時までのシフトなので、もう折り返し地点を過ぎたことになる。
正直、このスーパーのバイトは、僕にとってけっこう気楽だ。コンビニと違って回転が早いので、客からしつこく絡まれることもあまりなく、基本的には「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」「申し訳ございません」の定型文を口走っていれば良いので、意外にも人見知りに向いている。
さらに、あたふたしているうちに時間が過ぎていて、中だるみすることもあまりない。忙しいほうが気が紛れて良いと感じる僕みたいなタイプには合っている。
ただひとつの難点は……。スーパーのレジ担当者は、ほとんどがパートのおばさんなので、女社会に特有の黒い人間関係を嫌でも垣間見てしまうことだろうか。
「霧島さん、またマイナス1000円出したの?!」
「…………ごめんなさい…………」
「今月もう4回めよ?お金に関わることはちゃんと注意しなさいって言ってるでしょ!」
「…………はい」
「何その顔?ちゃんと聞いてるの?」
時計が8時55分を過ぎ、次のシフトの人と交代する間際、遠くのレジで、眼鏡をかけた長い髪の女の子がパートのおばさんに叱られているのが見えた。
僕以外のレジ担当者で唯一の若手、霧島(きりしま)さんだ。霧島さんはいつも無表情で愛想がない。僕も愛想の良いほうではないが、霧島さんはもはや仮面を被っているかのように、全く表情を崩すことがない。
霧島さんは、しょっちゅうミスをする。叱られているところを見るのは、これが二度三度ではない。ミスはともかく、叱られても無表情なままなのがパートさんの癇に障るらしく、しょっちゅう陰口を言われているのを僕もたまに聞く。「土井くんもそう思うでしょ?」と同意を求められたこともあるが、そのたびに「ええ、まあ……」と曖昧に返事した。
それにしても、レジ打ちというのは慣れるまでは大変だが、いったん慣れてしまえば簡単である。僕よりも以前からこのスーパーで働いていたはずの霧島さんは、よほど覚えが悪いのだろうか。
まあ、他人事だよな……。エプロンを外し、鞄を手に、僕はマテリアルへと向かった。今日はついに、リューグナーエンゲル初のワンマンライブだ。
「みーなのキャラメーカー」というもので作った、霧島さんのイメージ。たぶんこんな人。
スーパーのレジ係が意外と人見知りに向いているのは本当です(あくまで自分の経験上ですが)。それでいて必要最低限の挨拶はちゃんと身に付くので、コミュ障克服にはおすすめ。そこそこ時給いいし、忙しいスーパーだと急に残業とかもあるけどそのぶん稼げます。
自分がバイトしていたところでは、過不足が1000円以上で反省文(なんか本部に送る文書)を書かされるみたいな罰則があったのですが、他のところはどうなんだろうか。
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