
こぼしエッセイ「故郷的な-舞子編-」
故郷はどこですか?、あるいは、出身地はどこですか?と訊かれることはよくありますよね。
そういうとき、「神戸です」とか「大阪です」とか「京都です」とか、スパッと答えられればいいのに、と、よく思います。
note内でも訊かれたことがありますが、そのたびに返答が曖昧だったり、去年の「地元図鑑」では、複数の土地を投稿したりしました。
それはなぜかというと、小さい頃に親戚の家をたらいまわしにされていて、なおかつその全部に思い入れがあって、どこを故郷と呼んでいいのか、よくわからないんですね。ぜんぶ近畿地方の中ではあるんですけど。
産まれた場所、という意味でなら、兵庫県神戸市の垂水区です。
生後すぐにお世話になった祖父母家は、垂水区の端っこにあったアパート。
1960年代に築かれたので、その時点で築20年を超える建物でしたが、阪神淡路大震災で本格的にボロボロになり、2007年ごろに取り壊されました。
現在は、ほぼ同じ場所にアパートが新築され、そこに祖父母が住んでおり、祖母は2012年に他界、現在は祖父がひとりで住んでいます。
祖父は80代ですがかなりしっかりしていて、お酒もタバコも現役ですが、家具などの複雑なお買い物をする場合に、我々親族が手伝いに行ったり、ともに何泊かします。
自分は用事さえ済ませたらすぐに帰るようにしていますが。ひとことで言えば「肩身がせまいから」なのですが…………その代わり、母上の愚痴はなるべく聞きます。たまに聞いている振りして聞いていなかったりしますが基本的には聞きます。
先ほど、垂水区の端っこと書きましたが、アパートは神戸市と明石市の境目の山手にあります。住んでいるのはおじいちゃんおばあちゃんばかりですが、周りはおじいちゃんおばあちゃんに不親切な坂道だらけです。そのような環境で生き延びているからか、このあたりのおじいちゃんおばあちゃんはやたらと元気です。
近くには明舞センターという商店街があり、昔ながらの商店がひしめいています。明舞センターを昔から代表するスーパーがピーコックで、JR舞子駅側にダイエーが出来るまでは、この地域では最大規模のスーパーでした。それ以外は、個人商店ばかりでした。
JR舞子駅。駅周辺は明石市に入るんですよね。
駅の階段を降りて少し歩いたところに、舞子公園という緑地があります。
潮風が流れてきます。
小さい頃、この潮風がとても苦手で、ここに来るとよく小児喘息の発作を起こして、せっかく来たのに途中で帰らざるをえなくなることがありました。
そして、別の親戚がいる大阪府岸和田市まで連れて行かれることになりました。岸和田市のおはなしは、またの機会に。
そんな、悔しい思いをしたこの場所も、今では夜中に平然と足を踏み入れられるようになりました。潮風を受けても体調に変化は起きません。
左上には、明石海峡大橋。自分が小さい頃は、まだ建設中でした。
舞子海上プロムナード。
これは何かというと、海上50mくらいの場所に架かった丸太の上を歩くという、SASUKEみたいな芸当ができる娯楽施設です。いえ、安心してください。ちゃんと丸太のそばには床も用意されていますよ…………ガラスの床が。
詳しくは、こちらで。
さすがに大晦日の午後10時には営業していないので、プロムナードの案内所を抜けて、海辺へ。
誰もいない。
夜中に見るとなかなかに怪しいですな。夜中に1人で忍び込む自分もたいがい怪しいのですが。
とても穏やかな波音が聞こえます。紅白歌合戦もガキの使いも1秒も観れなかったし、かなり足が疲れていたけれど、ここに来て良かった。
もう、1人でもここに来れるようになったよ。最近は風邪すら滅多にひかないくらい。でも、そんなこと言ってあんまりずっとここにいたら風邪ひくかも。夜だし冬だし。
次は、もうちょっと暖かくなったときに会おうな。
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