短編小説 Haircut
ハサミを持った妻が鼻歌を歌っている。椅子に腰かけた俺に頭から真ん中をくり抜いたゴミ袋をかける。床にはもう新聞を一面に敷いてある。
妻に髪を切ってもらうのは初めてだ。妻の方は幼い娘の髪を切っているので自信満々である。だから良いかな、と軽い気持ちで頼む気になった。
ザシュッ、と背中で音がした。
「なに、今の」
「断髪式よ、おすもうさんだって最初は長いところから切るでしょ?」
妻の鼻歌は止まらない。まな板の鯉である。嫌な予感を残しながらも髪の毛を託すことにした。
サクサクサク、と首元でハサミが動く。割とダイナミックである。妻にはこういうところがある。集中力があるというのか、大胆というか。料理なども目分量で煮物を炊いたりするが割と美味い。ただ、彩りにパクチーを散らしたりすることがある。
「こないださぁ」
鼻歌が一区切りついて妻は話し始める。おいおい集中してくれよと思うが、恐くて話しかけられない。
「保育園のママ友と一緒にランチ行ったのね」
「うん」
ハサミの動きがゆっくりになる。後ろの長さを揃えているのだ。
「ランチいくらしたと思う?」
高価だったのであろう。しかしランチである。
「千五百円くらい?」
「ブー」
それは高いな。思わず眉根が寄る。サクサクサクからカチッという音になる。妻は集中する。
「いくらだったんだよ?」
「クーポン出してさんぜんえん」
「えっ?」
コース料理か?と思わず振り返ろうとしてガシッと頭を押さえられる。
「小学校の話とか聞けてさ、結構有意義だったんだけどもう行けないかな」
妻はため息をつく。有意義だったのか。すぐにまた行けばいいよと答えてあげられないのが辛いところである。
「まぁ、俺も会社で色々聞いてみるよ」
「地域の事はやっぱり女親よ」
「たしかになぁ」
妻が右にやってくる。明らかにテンションが下がっていた。困るのは俺である。
「料理は何食ったの?」
「懐石っぽいやつ。透明な茶巾絞りにそぼろあんがかかってたのが美味しくてね」
ハサミが再び動き出す。俺は胸を撫でおろす。
「あなたは動かないから切りやすいね」
普段髪を切っている娘の事を言っているのであろう。まだ美容院に連れていくのは無理なくらいに動き回る。
妻が左に来る。そろそろ終わる。俺は右の髪をそっと触ってみた。正面に鏡がないので様子が分からない。
「前髪どうする?」
「揃えて」
注文をつけられるほど自信があるのか。目の前を切るので目を閉じる。頭はさっぱりしている。チョキ、チョキとゆっくりハサミが動く。もういいかなと目を開ける。小さな鏡を妻が渡してくれる。やはり素人といった残念な仕上がりではある。
「やっぱり床屋行く?」
自信なさげに妻は言う。
「髪洗ってから決める」
ゴミ袋を脱いで脱衣場へと向かう。ありがとう、と言うと妻は笑みを向けながらハサミを二度鳴らした。
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