短編小説 ブランケット

ハッピーエンドの恋愛映画がエンドロールを映し始めた。依子は泣いていた。隣で一緒に観ていた洋介はとうにベッドに移動していてテーブルには二人分のワインがそのままになっていた。
ティッシュボックスを手繰り寄せながら依子は幸せになった二人に「よかったね」と声をかける。  

私にもあんな時があったと依子は思う。何十年も前だが確かにあったのである。ワインの残りを口に含むと寝室へと目を向ける。洋介のいびきはひどい。
何かの病気だといけないと、熱心に受診を勧めたこともあった。しかし洋介は面倒そうに笑うだけでそのうち依子も面倒になり「いびきが煩いから寝室を別にしましょう」とまで言うようになった。ただ、曖昧に濁されて今も同じ寝室で寝ている。一人ソファで寝るほど嫌なわけではなかった。  

映画の最後、若いカップルはキスをした。これから始まる楽しい毎日を感じさせるような、そんなキスだった。ただ、キスを何回も繰り返し、デートを何回も繰り返し、結婚し、子供が産まれて、巣立ってゆく。そんな想像は出来なかった。依子の年代の女優が活躍するのはキャリアウーマンか、不倫である。だから依子は若い女優が活躍する恋愛映画を選んだのだ。洋介が興味をもてなかったのも仕方ないと思う。しかし洋介の趣味に合わせていたら依子が先にベッドに行っていたかもしれなかった。依子はクスッと笑った。  

チーズをつまむ。ワインが安かったので少し良いものを買った。口溶けがよいので洋介にも残そうかと思ったが、やっぱりワインを足した。
こんな気分のまま眠ってしまいたかった。  

二人はずっと二人きりで幸せに暮らしました。  

そんな人生があってもいいのではないかと依子は思う。毎日は日常の繰り返しで、良い日もあれば悪い日もある。ただ、悪い日でも良い日のことを思い浮かべればなんとか乗り越えてゆける。問題は良い日のストックである。依子はぼんやりグラスを回し、一口含んだ。そして涙を流す。哀しみがじわじわと蝕んでくるような気がしてくる。
歳をとると涙脆くなるのだ、とどこかで聞いた気がする。その時には分からなかったことが分かるようになってくる。そんな時嬉しかったのに最近は悲しい事が多い気がする。
依子はチーズにラップをかけた。ワインを飲み干すとそのままソファに横たわる。
朝起きた洋介はブランケットを掛けてくれる。そしてそれに気付いた依子は言うのだ。
「美味しいチーズだったから、あなたにも食べて欲しくて」と。

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