短編小説 ラーメン食べたい
凪は横になったまま右手を伸ばした。指先に買い置きのペットボトルが触れてひんやりとする。ため息をつく。もうこの世が終わってしまえばいいと思う。
客商売なので、土日は忙しい。水仕事なので、手はあかぎれを起こしているし指先はじんじん痛む。好きで始めた仕事だが、こういう副産物に慣れる事はない。右手の方に身体を向け、左手で右手をさする。あかぎれに触れると痛かった。
トイレから水を流す音がする。晴樹は手も洗わずに戻ってくると横になる凪を一瞥して隣に腰を下ろした。凪の腰をポンポンと叩く。
「腹減ったな」
「うん」
凪は出かける気にもなれず指先を指で撫でる。ハンドクリームが浸透するまで水に触らずにいられたなら。
「メシ何?」
「はぁ?」
凪は疲れていた。晴樹がご飯を作れと言っているのだと思い、悲鳴のような声が出た。晴樹はま、いいやと呟くと立ち上がる。
「ラーメン食うわ」
凪の頭を一度撫で、晴樹は鞄を持ち、玄関へ向かった。靴を履いて振り返るとなんでもないような声を凪に投げる。
「行く?」
凪は晴樹がラーメンを食べに出かけるのだと初めて認識して少し頭を晴樹に向けた。そして短くない間唸り声をあげて悩む。
「眉毛だけ描くから待ってて」
凪は言葉通り眉毛だけをサッと描いて部屋着のような服のまま晴樹のもとへ急いだ。
「スカートの方がいいな」
「そう?」
晴樹はジャージの凪を上から下まで眺めて呟いた。凪は下だけスカートに替えた。これでスニーカーを履けばなんとかよそ行きのような姿に見える。すっかり凪は感心して晴樹におまたせと言った。晴樹は満足そうに一度頷く。
外に出るとひんやりとした外気が二人を襲う。寒いな、と晴樹は呟くと凪の手を取った。凪の指先は冷えていて晴樹はうわっ、と声を出す。
「手も寒かった」
それでも手を離す事はせず晴樹は指の腹で凪の指を何度も撫でながら歩く。まるでついでのように。凪は心の底から温もりが自分を包んでいくのを感じて頬が緩む。
「今日会えて嬉しいね」
凪が晴樹を覗き込む。晴樹は片眉を上げ、首を傾げ、凪の手を繋いだまま歩く。
「外はさみいですね」
晴樹はとぼけた返答をして鼻を啜った。すっかり楽しくなった凪はふとガラス窓に映った自分を見てうーんと唸る。
「やっぱりメイクすればよかったな」
そんな余裕はなかったのである。晴樹はとぼけた顔のまま凪の変化をやり過ごす。
「やっぱさみい」
「ほんと寒い」
二人の歩調が揃うのはほんの一瞬である。