短編小説 ハッピーバレンタイン
優菜はボウルいっぱいに溶けたチョコレートを見て、息を吐いた。今時手作りチョコなんて、と優菜は思う。正義は手作りがいいと言ったのだ。だから。
それにしてもと優菜は思う。気合い入っちゃうじゃん、そんな事言われたら。ただ、優菜は料理が得意ではない。
この後生地をチョコレートに混ぜる。オーブンで焼けば完成するはずだが、レシピを舐めるように見つめてもなかなか自信が持てない。失敗したら、作り直せばいい。だけどこんな風に気合いが入ったものがまた出来るのかはわからない。
なんで、正義は手作りに拘ったのかなと思う。買った方が美味しいのに、という顔をしていたらしい。正義は小さく笑ってから優菜の両頬を手のひらで包んだ。
「根詰めて勉強して、疲れたなぁって思った時優菜のチョコを食べて一息つきたい」
「そ、そうなんだ」
優菜の顔は真っ赤だっただろう。両の指で頬を擦る正義が妙に大人びて見えた。
私、何かに試されているのかもと優菜は思う。こんなに懸命に彼のために何かをするのは初めてじゃないかと思う。チョコレート色の生地を型に流し込む。あとは焼くだけ。オーブンの余熱を忘れていた。急いでオーブンのボタンを押す。180℃で30分弱。呟きながらオーブンが温まるのを待つ。
隙があればすぐに正義の顔が浮かんでしまい、優菜は溜息をつきながら顔を左右に振る。こんなに想っているんだから、成功しなきゃ困る。優菜は温まったオーブンの中にケーキのたねを託した。
少しづつ減っていく時間を見ながらまだ膨らまない生地を不安な気持ちで見つめる。
正義が喜ぶ顔より、落胆した顔の方が簡単に浮かぶ。お願い、上手くいってと祈りながらプツプツと火の通り始めたケーキを見る。あと何分?と残り時間の表示を交互に見ては肩に力が入っている自分に気付く。あとは待つだけだから、少しお茶でも飲もうと優菜はオーブンの前から離れる。
おいしいよ、と言って欲しい。だから頑張れる。優菜は温かいお茶にしようとマグカップにティーバッグを入れ、ゆっくりとお湯を注いだ。今日は随分正義の事を考えている。少なくともチョコを作っている間は、正義の事しか考えていない。
一口紅茶を含んで、短く息をついた。チョコレートの生地の焼けるいい匂いが漂ってきた。するともうオーブンが気になり、お茶を置くとオーブンの外から覗き込む。ふわっと生地が盛り上がっている。優菜は自分の顔が綻んだのがわかる。
あと少し。出来上がるよ。美味しいかはわからないけど。いや、絶対美味しいと思うんだけど!
余熱で仕上げるのでもう少し待たなくてはならず、優菜はお茶まで戻ると高鳴る胸をおさえるように深呼吸した。
それでも優菜には「美味しいね、これ」と正義が喜んでいる顔しか浮かばないのだった。キッチンには温かいチョコレートの匂いがふわりふわりと漂っている。
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