短編小説 マッチの男



 随分と肩身が狭くなってしまったが、良樹は喫煙者だった。子連れの母達が生活圏のトイレの場所を把握しているように喫煙できるスポットを良樹は知っていた。

 この小さな公園に隣接するコンビニには、細長い灰皿が置いてある事は知っていた。ただ、いつ撤去されたのかは知らなかった。
「まいったな」
 この辺りの吸える場所はあとは個人経営の喫茶店だけでそこのマスターは話好きなのだ。良樹が煙草を吸いたい時は、大体精神を集中させたい時で、話好きと喫煙は相性が悪い。
「あれ?」
 向こうからやってきたサラリーマンも喫煙場所を探してやって来たようだ。手元には赤い小箱が見える。輸入煙草とはこのご時世リッチなものだ。
「この辺に、ありましたよね?」
 サラリーマンは良樹に向かって声を掛ける。
「無くなっちゃったみたいですね」
「まじかー」
 サラリーマンは苦い顔をして煙草の箱をポケットに仕舞おうとした。良樹はなんとなく携帯灰皿を出した。
「これでよければあるんですけどね」
「おお、いいじゃん」
 良樹の出した小さな入れ物を携帯灰皿だとすぐに見抜いたようだった。
「じゃ、すみません」
 サラリーマンはさっさと煙草を咥え、火をつけた。ライターではなくマッチで。マッチの燃え殻を良樹に寄越す。良樹は勢いに押されて燃え殻を携帯灰皿にしまった。
「珍しいですね、マッチ」
 サラリーマンは深く息を吐き出してから良樹に向かって笑みを向けた。
「そうでしょ、ジッポも持ってるんだけどね」
 ポケットに煙草を仕舞い、代わりにジッポライターを取り出す。銀色に光るそれの蓋をカシャンカシャンと開けては閉じた。
「オイル切れ。ここしばらく。メンテが面倒でね」
「あぁ」
 良樹はジッポライターで煙草に火をつける昔の恋人の事を思い出し、なんとなくサラリーマンから目を逸らした。元恋人は几帳面な性格で、毎日ライターにオイルを染み込ませていた。あのオイルの香りを思い出し、自分には雑だった元恋人の顔が頭に浮かんだ。
「吸わないの?」
 サラリーマンが聞いてくる。良樹は自分も煙草を咥え、火をつけ、大きく吸い込んだ。
「ふぅ」
 嫌な思い出を吹っ切るように煙を吐き出した。何年前の話なのか。良樹は自分に苦笑する。
 サラリーマンが近寄る。
「じゃ、悪いけど」
 良樹は灰皿を渡した。サラリーマンは灰皿の中に押し付けるようにして火を消す。
 よく見れば端正な顔をした男だった。良樹はぼんやりとサラリーマンの顔を眺めた。
「ちょっと待ってね」
 サラリーマンはコンビニの中に入ると缶コーヒーを二つ持ってすぐに出てくる。
 一本を渡された良樹は唇から煙草を落とした。
「だめだよ、ポイ捨ては」
 サラリーマンは靴で良樹のタバコを消し、渡したままだった携帯灰皿の中に仕舞った。
「コーヒー、ありがとう」
 良樹が礼を言うとサラリーマンは顔をくしゃくしゃにして笑った。

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