短編小説 情熱
雨音が窓の外から聞こえるくらいになってきたので、今日帰るのが億劫になった。
友加里はもちろん泊まっていけと言うだろうが、まどろみは一人で過ごしたい気分だった。正悟の気持ちは既に、ここには無く明日の予定などをぼんやりと考えていた。
冷蔵庫から水を出して飲んでいる友加里にどう切り出したものか。女は事後の腕枕を好むという。彼女がそうだと言ったわけではないが、物足りなさを愛で埋めるようでナンセンスだと正悟は思った。
起き上がって下着を穿くと、友加里がこちらへ歩いてくる。隣に腰を下ろし、シャツを着る正悟を眺めた。そして友加里は腿に頭を預けると顔を正悟の方へ向け、キスをねだった。正悟は触れるキスを一度友加里に落とし、帰るよと言った。友加里は自分からも一度キスをして身体を起こした。雨音が部屋の静寂を辛うじて居られるものにしている。
もう会えなくても構わないと思う。情熱はここに置いていきたかった。友加里のほうが何を思っているのか知らないが悪い事はしていなかった。情熱というのは正悟にとって女といる時に現れる熱病のようなものだった。女に縋るほど情熱に飢えた歳でもないし、女といればすぐに思い出せるそういうものだった。
着替えを済ませてベッドから立ち上がると雨音が止んだ気がした。窓の外を見ればしとしとと、雨は静かに降り続いている。
「傘あるの?」
友加里が口を開いた。傘は無い、と答えた。
「貸さないわ」
そう、と正悟は応え濡れて帰るのは嫌だなと思った。
「貸してもいいけど、花柄をあなた差さないでしょ」
そうだね、と小さく笑い最後に友加里の肩を抱いた。友加里の手がそっと背に添えられ正悟はたまらず友加里を強く抱きしめた。
「私、ひきとめないわ」
俺は帰るよ、と正悟は唇を動かしたがうめきのようなものが出ただけだった。友加里の首筋は綺麗だった。動けなかった。この温もりが惜しくて。友加里は宥めるように立ち上がると正悟の手を戻し、自分がベッドに横になった。力の抜けた身体を引き摺るように起こすと、正悟は鞄を持って軽く友加里に手を振った。友加里は呆れたような顔で正悟を見送る。
部屋を出ると雨は止んでいた。濡れずに帰ることができる事を正悟は喜んだ。すぐに腹が減ってきて、道すがら飲食店を物色する。正悟は食べている姿を誰かに見られるのが嫌いだった。