短編小説 他人の女
西陽が車の中に差し込み、藍はサンバイザーを下ろした。赤信号の間ぼんやりと横断歩道を歩く親子連れを見ている。
「結婚したの」と連絡を寄越した元カノは、別に幸せそうじゃなかった。懐かしいね、としおらしく切り出せばランチの誘いにホイホイ乗ってきた。
後ろの車のクラクションが鳴る。藍は車を発進させると舌打ちをした。景色の流れる速度は遅かったが無用にアクセルを踏んだりはしない。
シャンパンをグラスで飲ませた。元カノと付き合っている時にはこんな風にカッコつけた事はなかった。昔はチェーン店でも楽しげな女だった。
「大人になったんだね」と元カノは言い、お互いに、と返した。テーブルの上で手を重ねても嫌がるそぶりもない。
「もう少し飲もうか?」
藍が言うと、元カノは赤らめた顔を下にずらし一つ頷いた。
そこからは簡単だった。待たなくても彼女の方から下品な手つきでズボンを突いてきたし、ゆっくりと勃起を待ちながら品定めの目で下品なホテルを探して回った。
「孕め、孕め」と言いながら腰を突くと元カノは左右に首を振りながら「だめ、だめだよ」と絶頂を待った。子供は一人いるらしい。ならばもう一人孕む事だって可能だろう。「やめるのか、止めようか?」と聞けば元カノは左右に首を振りながら答えるのをやめた。
事後、ペットボトルの水を飲んでいる時余計な事を話すような女じゃなかった。次会うかは藍の気分次第だし「これで終わりにしたい」と切り出されてこの女はずっとこうやって生きていくんだと思った。
キスをした。ついばむように唇に触れているとまた熱がこもり、元カノを押し倒した。頑なに涙を止めず最後は犯した。
最寄駅まで送ると言ったが歩いて帰ると言ってきかなかった。顔色は青かったがもはや他人の女だった。藍はホテルから先に出ると腹が減ったので飯屋を探した。
ラーメン屋の前を通ると吐き気がした。慌ててコンビニに駆け込み、トイレで何度か吐いた。水を買って店を出た。
景色を見るほどもう明るくはなかった。ライトを付けた。そろそろ渋滞が始まるだろう。藍は横道へ逸れ家路を急ぐ。他人の女を抱いても、誰の女なのかはわからないのだから楽しいわけではなかった。
元カノが悪女なら自分は悪人になるのだと思う。貧乏くじを引く人生など真っ平だった。嫌な男に嫁いでいればいい。藍は水を飲むとライトの当たる所以外は暗闇を眺めた。
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