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童話で学ぶ、ものの見方の重要性

「ボクのおとうさんは、桃太郎というやつに殺されました。」―――当時、私が衝撃を受けた広告のコピーです。

物事の見方は一つではないということにハッと気づかされたその言葉は、5年以上経った今も強く印象に残っています。

そんな言葉をもとに中学生向けの授業が生まれていたことを知り、素晴らしいなと思いました。

私はこれを6歳の娘との遊びに取り入れることを試み、失敗しました。

遊びを通して娘に考えて欲しかったこと

次のようなことです。

 ・物事の見方は一つではないこと
 ・人それぞれ様々な事情や背景があること

進め方は…

はじめにお手本にした前述の授業の進め方を簡単に紹介します。

・授業はチームで進めるワークショップ形式
・桃太郎の現在、過去、未来を題材に、
 50分の授業を全3コマで構成
・1コマ目
 登場人物を確認しながら物語を復習
 鬼の子ども登場、物語に新しい視点を投入
・2コマ目
 物語を遡り、他の選択肢をみんなで検討
・3コマ目
 続・桃太郎のストーリーをつくり発表

これを娘との遊びに取り入れるにあたり、

 親と一緒に娘が主体的に動けること、
 紙、付箋、ペンなど平易な道具でできること

を前提におき、次のような進め方を試みました。

(1)登場人物の絵を一緒に描きながら物語を振り返る
(2)鬼の子を登場させ、鬼の子が悲しまないよう桃太郎たちのこれまでの行動を登場人物の気持ちになって考えてみる
(3)みんなハッピーエンドになる新しい物語をつくる

娘はお絵描きと物語の空想が大好きなので、これでいけると考えました。

物語の顛末は...

まずは童話「桃太郎」をお絵描きしながら復習です。

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終盤まで順調に運び、お絵描きも楽しみながらやってくれました。

だがしかし、

娘「桃太郎は泣いて謝る鬼さんを許し、宝物とお姫様を都に返しました。そしておじいさんとおばあさんの元に帰って、幸せに暮らしました。めでたしめでたし。」

鬼は死にませんでした。鬼が盗んだものもきちんと持ち主たちの元に返したようです。桃太郎はとてもいい奴でした。

鬼の子登場の前提が崩れ、軽い混乱状態で次の展開を必死に模索するも思いつきません。仕方なく、鬼のお父さんには無理やり死んでもらうことにしました。

思い通りに進めても...

父「鬼は生活に困り、桃太郎から受けた傷もひどくなり亡くなってしまいました。」

これでようやく鬼の子登場です。

父「鬼の子かわいそうやね。もし物語を戻れるならどうすればいいかな?」
娘「鬼のお父さんが桃太郎にもっと早く謝ればいいんじゃない?」

その通り過ぎて話が続きません。少し話題を変えてみると、

父「桃太郎はなぜ強いんだろうね?」
娘「それはきびだんごを毎日食べてたからじゃない!?」
父「じゃあきびだんごをつくるおばあさんがすごかったの?」
娘「おじいさんとおばあさんはきびだんごつくれるからめっちゃすごいんだよ。」

確かに犬、猿、雉はきびだんごを食べて百人力になっていました。おじいさんとおばあさんは桃太郎のような人たちを量産できるということです。私はおじいさんとおばあさんの凄さに初めて気づきました

さらに話を進めると...

父「鬼はどうして都から宝物やお姫様をさらったのかな?」
娘「みんなに好かれたかったけど、鬼ヶ島がみすぼらしくて誰も来ないから金ぴかにしようとしたんじゃない?」
父「じゃあ鬼はかわいそうやね?どうすれば鬼は幸せになれるかな?」
娘「桃太郎にもう悪いことはしないと約束したから食べ物を少し分けてくれって都の人に言いに行けばいいんじゃない?」
父「じゃあ今言ったようなことを取り入れて新しいお話をつくってみようか。」
娘「やだ、つまらない。あきた。

振り返って思うこと

前提としていた桃太郎というお話に対する見方が私と娘では大きく違っていました。私の思惑に対し、自分の視点で素直に発想する娘。段取りにこだわり、遊び要素が少なくなれば、幼児はすぐ飽きるというのは当たり前のことです。

私がもっと考慮すべきたったことは、

 ・物事の見方は一つではないこと
 ・人それぞれ様々な事情や背景があること

娘に考えて欲しかったことを、考えさせられたのは父でした

多角的な視点に対応するのはなかなか難しいものですね。次回はこの学びを活かし、もっと楽しく遊べるものにしたいと思います。