スーパーハートな日々
2022年4月初め
げっ、猫?
屋根裏からのミャーオという声はそういえば昨晩も聞こえていたような気がする。ハマってしまって出られなくなってるのか。。
部屋のそばをちょうど通りかかった弟を捕まえて鳴き声を聞かせる。
「ホラ、猫!かわいそうだから出してやってくれ」弟はかなり渋い顔をしていたが、明日明るくなったら屋根裏に上がってくれると約束してくれた。
そして次の日、仕事が忙しい弟は夕方になりやっと手が空き、本当に助けに来てくれた。
昼間は全く声がしなかったからもう出れたのかもよ。。と居なかった時に怒られないように伝えたが、念のために確認する。と脚立を持ってやってきた。いざという時には頼りになるおっさんである。
この屋根裏には母の部屋の押入れのその上の天袋の天井のものすごく小さな入り口からしか入れない。
入るのにかなり苦戦している弟を見て、もう猫いないのに。。と心では思いながら、「入ったことはあるのかー?」「大丈夫かー?」「そっちの足をそーしてあーして」と助手として動いていた。本当に上がってくれるとは思わなかった。。この上がどうなってるのか想像もつかない。
奇跡的に上がることに成功し、5分くらいすると、小さい悲鳴と信じられない言葉が聞こえてきた。
「ひゃっ」
「猫じゃねー!ミミズクだ!!」
「えーーーーーーーーーッ!!!」
そこからはお祭り騒ぎである。
まずは急いで茶の間でユーチューブを見ていた小学2年生の甥っ子と保育園児の姪っ子呼びに行く。
ミミズクならばみんなで会いに行かなくてはいけない。そうそう会えるものではない。
「パパが屋根裏に上がってます!そしてミミズクを発見しましたーっ!」
いつもは声をかけても身動きもしない甥っ子姪っ子が、サッとテレビを消し機敏に立ち上がり転げるように2階へ走った。
甥っ子はすごく張り切って、ライトを持ち、虫取り網を持って屋根裏に上がる。
姪っ子は怖いからヤダーと泣いている。
私は自分も見たいので、じゃあここで待ってて、と泣いている保育園児を置いて屋根裏に上がってみた。
弟も甥っ子もすでに上がっているから怖くはない。
屋根裏は想像以上にだだっ広く、このままじゃもったいなくね?と思うくらいの空間が広がっていた。
「こっち」
弟の乾いた声の方に行く。なぜ我が子を呼んだんだと面倒に思っているのであろう。
そのあたりはちょうど母の部屋の横の物置部屋の上の辺り、夜に声が聞こえてきていた場所だ。
ポツンと、想像よりはるかに小さく、かわいい生き物がそこに立っていた。
手のひらサイズの全身を張り詰めさせ特に耳はピンと立っていてミミズク然としている。
「わあ。初めて見た!!」
興奮している私をよそに、既に弟と甥っ子は外に出してあげるというミッションを遂行すべく頑張っていた。屋根裏は踏み場が少なく梁の太い木の部分しか歩けない。弟はとにかく我が子の安全を気にしていた。張り切った甥っ子が虫取り網をかぶせようと何回か挑戦するが少しミミズクに当たるだけでうまくいかない。その間もミミズクは逃げもせずビクともしない。ミミズクも人間もお互いに牽制している。
「死んどる?」
何回かそうも思ったが、弟が交代し網をうまくかぶせてちょっと揺らす。
バサバサバサッ
「ヒーッやっぱ生きとるー」
わーっとなり、その後、実は一回この屋根裏の中で逃してしまい、みんなで少し探すが見つからず、出たんじゃない?という私の言葉を信じず根気よく探した弟は指を突かれながらも無事に捕獲に成功、そしてそのまま家の裏の海の側で放した。ここは佐渡島で実家は海のすぐそばである。
バサバサバサーっと元気よく飛び立っていった。
寂しいけど面白かったしミミズク見れてラッキーだし出してあげられて良かった〜と清々しくみんなで家に戻った。
そしてその日の夜。。。
ミャーオ
「え?!!!」
なんで??
「帰ってきた!!??」
半分以上嬉しそうな私を見て弟は聞こえなかったフリをして自室へ戻った。
もう屋根裏の入り方もわかったし、私がやるしかない。。。
その次の日、意を決してまた屋根裏に入る。入るだけでも結構大変なのだ。
すると、そこには、やっぱりいた。
しかも昨日と全く同じ場所。
また捕まえて逃がす予定でいたが、何となく違和感を感じ、一旦降りて、急いでGoogleで「ふくろう博士」を検索。
ヒットしたのはU大学のM教授。
躊躇なく大学に電話をかけ、これこれこーでM教授とお話ししたいんですけど。。
と受付の人に聞いてみる。電話越しで一瞬固まった気配は感じたが、
「今授業中ですので折り返しお電話でよろしいでしょうか?」
こんな怪しい電話に丁寧に折り返しくれるなんて。。ありがたやー
そわそわして待つこと30分。
「U大学から電話だよー」
訝しげな弟に呼ばれて電話に出る。
初めてお話しするM教授は、私の話を興味深そうに聞いてくださり、そして衝撃の一言を告げた。
「もしかしたら卵があるかもしれません」
「。。。?」
エーーーーーーーーーッ??!!!
「エーーーーーーーッ!」
すべてのパズルがパチパチッとはまり、そっか、だから動かないで、だから戻ってきて。。。
昨日はあまりの興奮状態で、その辺りは全く見ていないし、まさか卵?!!
「とりあえず、そのまま様子を見てみてください」
「はい!本当にありがとうございました!」
他にも何か色々お話ししていただいたような気もするが、放心状態で電話を切る。
家族にもこのニュースを伝えるが、みんなちょっと驚いたくらいでそんなには関心がなさそうだった。
私はこれからどうしようと、屋根裏の少しの物音にも心配になっていた。
一つ言われたのは、
「フクロウはすごく警戒心が強いのであまり覗かない方がいいかもしれません」ということだった。
覗くこともできず、卵を守っているとして。。そしたら食べ物どうするの??
ブツブツと考えているとどーにもこーにも心配になり、M教授に何かあったら、と教えてもらった携帯に電話をかける。
「水とか置いといた方がいいでしょうか?」「冷凍ひよこは。。」など質問していると。。
なんと、
「そしたら暗視カメラを送ります」
ということになり、それからすぐに立派なカメラ2台とモニターを送ってきてくれた。
取り付けには苦戦したが、なんとか頑張って取り付ける。
その晩。
「卵ある!」
「あ!!!!やっぱ雄が来とる!!」
とすごく楽しく、ああ、これがバードウオッチングの楽しみか!と感動していた。
それからは、観察が本当に楽しく、日々辛いことがあってもミミズクの様子を見ると癒された。
ミミズクはオオコノハズクという実は絶滅危惧種に認定されているものということがわかった。
名前をつけようと甥っ子姪っ子の意見を聞いてみると、甥っ子はスーパーヒーロー、姪っ子はハートちゃんだったので、二人のを掛け合わせて、スーパーハートと呼ぶことにした。
甥っ子の友達が見にきたり、私の友人にも伝えたりしたが、誰にも知らせたくなかった。とにかく守らなければという思いだけだった。
一ヶ月後5つの卵は全部無事に孵ってヒナが誕生した。ヒナが産まれるとピューピューと屋根裏から新たな声が聞こえて嬉しかった。
その間はSDカードが2、3枚たまるとまとめてU大学に送っていた。
律儀なM教授はSDカードとゆうパックを送ってくださり、私はただ10日に一度くらいポストに投函するだけでよかった。
この年、M教授はご家族と一緒に佐渡でキャンプという名目で遊びに来てくれ、ミミズクの確認に来てくださった。
その後しばらくして一羽、また一羽と全員が無事に飛び立っていった。
みんないなくなり、すごく悲しくなった。
「これが空の巣症候群か。。こりゃさぞかし人間界の親は寂しかろう。。」とその晩湿っぽく外を眺めていると、隣の屋根にスーパーハートが飛んできてくれた。
私と目が合うとしばらくこちらを見て「ありがとう、世話になったな」と会釈して(ように見えて)山の方へ飛んで行った。
次の年、
2023年4月
もしかして、もしかして。。とは思っていたが。。。
またスーパーハートはまた来てくれたのだ!
そして無事に卵を産み、ヒナが孵り、順調にいっていた。
この年のその頃、友人や旦那(わけあって遠距離)が入れ替わり立ち替わり来ていて、あまりゆっくり毎日観察はしなくなっていた。
そしてある日、ふとモニターを確認するとヒナがいない。屋根裏に確認しに行ったが誰もいない。
。。。
おかしい
まだ飛び立てる日数は立っていない。
旦那は、飛び立ったんだろうと私に言い聞かせていた。
嫌な予感しかしない私は、M教授に連絡して急いでSDカードを確認してもらう。
1、2日後のU大学の回答は、
「壁の隙間にヒナたちが落ちていっているのが確認できました」
ヒナは大きくなると結構な広範囲で歩きまわる。
私は呆然として落ち込み泣いた。旦那も泣いていた。
その間もずっと毎日スーパーハートは外で鳴いていて、その声がまたさらに悲しみを膨らませていた。
ヒナが落ちて10日後、旦那は仕事で日本を発ち、私が一人になった時に、
屋根裏から物音が聞こえてきた。
まさかな。。。
まさかまさかまさかなあ。。。。。
カメラの位置が少しずれているから確認が取れず、次の日に屋根裏に上がる。
スーパーハートがちょこんと座っていた。
「どーしたの?」
こらえきれず話しかけるが微動だにしない。
そのままカメラの位置をセットして下に降りる。
その夜。
なんと!
。。。卵あるじゃん。
え???
なんでーーーーッ?
M教授にまた連絡する。「聞いたことないですー」
教授もすごく嬉しそうだった。と同時に、隙間をなんとかしないと。。。という話になり、
私は友人の大工さんにお願いしてみたが、ちょうど骨折しているとか、忙しいとかで、自分でなんとかするしかなかった。
大量の段ボールとともに屋根裏に入り、隙間をガムテープで埋めていく。
スーパーハートが耳を立て横目でこちらを見ている。
壁と屋根の間を埋める作業は、とにかく大変で、身体中が痛くなり、そして暑かった。
でも、なんとかすべてを埋めて、あとは無事に孵ることを祈っていた。
そして、なんと、三羽のヒナは無事に孵ったのだ。
隙間も埋めたし、大丈夫なはず。。祈るように毎日観察してたが、ある日の晩。。。
。。。いない
確認したのは夜でお風呂から上がってこれから寝ましょという状態だったが、とりあえず屋根裏に上がってみた。やっぱりいない。そして私がやっつけ作業した段ボールが外れていた。
仕事を終え、また戻ってきていた旦那はまた「もう飛んでったんでしょ」と希望的観測を言っている。私はヒナが飛び立てるまでには少なくともあと2週間はかかることを知っているので、そんなはずはないことを確信し、そして落胆していた。
それでも出来ることはなく、仕方なく寝ようとしたその時、
ガタガタガタ ピューピューピュー
細い声が聞こえる。どこから??
。。。壁の中からだった。
絶対ここという場所はわかりづらかったが、大体の場所は分かった。
どうしよう。時間はもう夜中の1時過ぎていた。
とりあえず寝て明日作戦を考えよう。
ガタガタガタ ピューピューピュー
寝れるわけがなく、 目をつむって色々と考える。
意を決し起き上がり、そして立ち上がって旦那に向かい言い放った。
「壁に穴を開ける」
旦那は一瞬固まったが、何も言わず起き上がりそこからはずっとミッションインポッシブルの音楽が頭の中で流れていた。
弟家族を起こすと厄介なので、絶対にバレないようにこっそりと一階に道具を調達に行く。
大体の場所は分かった。物置部屋の海側の壁だ。でも壁に穴を開けるのは初めてなので、中の構造もわかっていないし、反響がありヒナがどこにいるのか確実な場所がしっかりとはわかっていないので、とにかく初めの穴をあけることが怖い。
私は弟家族がトイレに起きてこないか見張り役をし、旦那が少しずつノコを入れていく。
こんな方法で、本当に助かるのか。。。
一つ目の穴。いない。
やっぱり無理か。。。
そして二つ目。
手袋をはめて奥に腕を伸ばすと、柔らかくて小さいものに触れた。
ピューピューピュー
そこにいた。いてくれた。
2羽一緒に助けることができた。
もう1羽はどうしても見つけられなかった。
この2羽を急いでまた屋根裏に戻す。段ボールも直した。身体はもうバキバキだった。
その次の日の晩。
モニターを覗くと、また1羽しか確認ができない。
屋根裏に上がってすぐにその1羽を確保。
そして壁の中から声。
今度は違う場所だった。
落ちそうもない場所だったのに、そこは空洞になっている場所があったのだ。
そこは重いタンスの裏で、今回は旦那と二人躊躇なく淡々と作業を進める。
重いタンスを動かしまず軽く掃除する。
穴を開けるときも、今回は旦那は携帯で音を収集して目星をつけていた。一発でヒナのいる場所が特定できた。そして救出成功!
先ほどの1羽と合わせて2羽のヒナが段ボールの中でピーピーとこちらに向かって威嚇している。
その時、本当に小さなもう一つの声がこの壁の中から聞こえてきた。
「・・・!!!!」
少し離れた壁にまた穴をあける。そこにはなんと昨晩見つけられなかった3羽目がいて、最終的には3羽みんな助けることができた。
もう屋根裏は危なすぎる。
時間は夜11時過ぎていたがどうしたらいいのか次のステップを聞くためM教授に電話する。
私はなんならM教授の所に連れて行けないかと考えていた。
状況を説明する。少しの間をおいてM教授は言った。
「わかりました。明日のゼミは休んでそちらに向かいます」
「えーーーーっ本当ですか??ありがとうございます!」
本当に感動しありがたかった。
エサ用にと、旦那はコンビニでサラダチキンを買ってきたが全く食べず、夜中の1時頃生の肉をもらいに友人の居酒屋に行った。
次の日の夕方
M教授は生徒Kを連れて本当に来てくれたのだ。
船着場に迎えに行き、途中ホームセンターに寄りプラスティックのゴミ箱や紐など、巣箱になるものを購入する。
家へ戻り、すぐに作業、そして巣箱を西側の窓にくくりつけ、中にヒナたちを入れる。
「これでなんとか母親が見つけてくれるはずなんですよね」
M教授は本当に優しそうな笑顔で笑ってくれた。生徒Kはすごくしっかり者でM教授は色々と頼りにしているそうだ。今朝突然ゼミの休みを発表され、その場で佐渡行きを伝えられ、30分以内に出発すると言っているM教授に、その場で「自分も行く」と伝えたそうだ。しかも自費で。生徒Kは将来絶対に大物になるので仲良くしておきたい。
「M教授は信じられないくらいお忙しくて。。あと実はミミズクは専門外で本当は他の仕事が。。(笑)」
夜中、ほとんど寝ずにモニターをずっとチェックしてくれていたらしいM教授と生徒Kは朝起きてきた私に
なんでもないように、
「あ、来ましたよ〜」と画像を見せてくれた。
そこにはスーパーハート(母ミミズク)がゴミ箱巣箱に餌を運んで雛たちに与えている姿が映し出されていた。まだまだ餌を自分で見つけたり食べたりできないヒナには親は絶対的に必要だ。人間と同じである。
「これでもう大丈夫です」と本物のスーパーヒーローは颯爽と次の日の午前中の船に乗って帰って行った。
あーこれで一安心。かと思われたが、もう一点問題がある。暑さだ。
1ヶ月半普段の子育ての時期よりも遅れていて、このころの佐渡はすでに相当暑かった。
しかもそこしか巣箱を取り付けられなかった場所は西日がガンガンあたる2階だった。
まず、ゴミ箱の上に氷を置いてみる。すぐ溶ける。
ゴミ箱に穴を開ける。それでも暑い。
ホームセンターに戻り、大きい日よけの幕を買ってきて取り付ける(かなり大変!)
さらによしずもかける。それでも暑く、最終的にはペットボトルを凍らせて、それを朝晩変えるという作戦を毎日続けた。
凍ったペットボトルを持って中を覗くと、毎回
ビャービャーお前は誰だ!!あっちいけー
と騒いでいた。
そんなこんなで、まず、1羽目が飛び立った時は本当に嬉しかった。
その後1週間くらい後に2羽目が飛び立ったが、少し心配なことが起こった。
隣の家から「ミミズクみたいなのが畑の横に昨日から居るんだけど。。」と連絡がきた。
隣人にはミミズクのことは伝えていなかったが、なんとなく知っていたらしい。
見に行くと2番目がそこにいた。昼間は異常な暑さになっていたし、昨日1日中何も食べていないのかも。。と思い、この時は私の独断で昼間だけ冷房のかかった部屋にこっそり連れてきた。
小学校の頃、こっそりウサギを飼った時みたいに誰にも知らせずに。
餌を少し上げるとパクパク食べてくれた。
そして夕方、ゴミ箱巣箱のある屋根に置いてみる。全く動かない。
野生である彼らになるべく関わってはいけないのはM教授からも伝えられていたけれど、そうするしかできなかった。
その日の夜、3羽目も飛び立った。
ただし嫌な予感がする。夕飯を食べ、横の道に出てみる。
私の実家と隣の会社との間には私道のような道路があり、普通の車は通らないけど、昼間はこの会社の車が通る道がある。
そこに2羽ともいた。
「何やってんだよ〜山に帰れっちゃ〜」
どうしたらいいのかわからず途方に暮れたが、近くでスーパーハートの声が聞こえた。
飛べたからといって、ヒナはまだまだ独り立ちはできず、これから山に親と帰り、餌の取り方を習い、習得するまでは引き続き餌をとってもらってまだまだ一緒に過ごすのだ。
親が近くにいるなら安心だし、私はすぐに離れなければ。と思い、半ば安心してその場を離れた。
次の日、となりの会社から連絡があった。
「ミミズクがいます」
窓から覗くと、通路に置いてあるゴミ箱の上に1羽のヒナがすっくと立っていた。
社員さんたちは珍しそうに写真を撮ったり「逃げないね〜」とびっくりしたりしていた。
もう1羽は無事に飛んだんだろうか。。。この子どうしよう。。。
考えあぐねていると午後になり、一人の社員さんが私に耳打ちしてきた。
「もう1羽、そこの駐車場で死んでるんですよ」
私は血相を変えて、すぐにそのゴミ箱の1羽を確保、大きい段ボールに入れて家に連れて帰った。
M教授にすぐ連絡する。
「わかりました。そうですね、そうしましたらこれから県の野鳥の係に連絡しなければいけないので、もう少しお持ちください」
その間、亡くなった1羽を布でくるみ小さい段ボールに入れる。
死骸を素手で触っている私を見て、社員さんはびっくりしていた。
私にとってはその辺の野鳥ではない。
もう冷たかった。
M教授からの連絡で、明日県の担当者がヒナを迎えに来て、新潟の愛鳥保護センターに連れて行ってくれることになったそうだ。今晩一晩だけ一緒に居られる。
これから山に帰ったら生きてる餌を自分で捕まえなくちゃいけないんだからその練習しないとと思い、セミを探したり、止まり木を作ったり、楽しく過ごした。
そして次の日、その時間はやってきた。
その職員は感情どこやった?みたいな人で、私が泣きながら別れを惜しんでいても、ピクリともしなかった。お役所仕事だし仕方ないか。。それでも私は深々と頭を下げ、「よろしくお願いします」とお願いしお別れした。
M教授には、引き取られて行ったこと、そして一緒に愛鳥保護センターに会いに行きましょうとメールを送った。
その次の日の朝、この職員から電話があった。
「あーどーも。あの後、一応獣医に調べてもらって異常がなかったので、山に置いてきました」
「・・・?」
「もしもし?本当は伝える必要はないんですが、昨日心配そうだったので電話しました」
「・・・あの、どこの山でしょう?」
「教えられません」
「・・・この近所でしょうか?」
「まあ、一応、その奥の奥ですかね」
「・・・」
「それでは」
言葉が出なかった。
信じたくなかった。
とりあえず、山に向かいを車を走らせてみる。見つかるはずもなかった。
M教授にはしばらく伝えることができなかった。伝えた時はこの職員に対しかなり怒っていてそして私に謝っていた。
教授は野生動物との関わり方の難しさをずっと感じているようで、特にいろいろなルールとのしがらみで本当に大変だそうだった。もちろんM教授には感謝しかなく、なんならうちの県の職員が本当に申し訳ないという気持ちでいっぱいだった。
旦那に電話すると、引くくらい号泣し「次に行ったらそいつを絶対に見つける」と物騒なことを言っていた。
そんなわけで、このことがあり、屋根の穴、正式には軒天と呼ばれる白い部分の穴、そこからミミズクが屋根裏を出入りしていたのだけれど、もう屋根裏は危ない。ということで、そこを閉じて欲しいと弟にお願いした。
それからすぐに私は日本を発った。
そして今年、
軒天の穴がどうなったのかは聞いてなかったが、念のため4月の初めに実家に帰ってきた。(私は半分は海外に住んでいる)
穴は塞がってなかった。
そして私が帰ってきたその晩、外からスーパーハートの声がして、そしてバサバサバサッっと音がして、何日か後にはやっぱり卵があった。
すぐにM教授に連絡すると、すごく嬉しそうだった。
「わかりました!そしたら今年はヒナが生まれたらすぐに巣箱の方に移すか何かして対策を練りましょう」
今年は生徒4人くらい連れて佐渡に来る計画を立てるとのことだった。
ただ卵が見つかって抱卵が始まり、でもすぐに様子がおかしいな。。とは感じていた。いつものように真面目に抱卵しておらず、少しあっためてはあっち行ったりこっち行ったしていて、何かがおかしいと感じてはいた。それでも、M教授は来島してくれることになり、レンタカーの予約や、実は佐渡に教え子が仕事をしていることがわかり、その元教え子とも予定が決まり、そして来島の日にちは決定した。
今年も実は大きなドラマがあった。文章で伝わるかわからないが、それはコメディ映画の一幕みたいな状況だった。
M教授御一行が1週間後にくるからと家中を掃除して布団も用意して、これから友人の誕生日パーティーに向かおうという矢先、父が突然具合が悪くなり入院することになったのだ。
医者には覚悟してくださいと言われたが、これで三回目だったので、ショックはショックだったが慣れてはいた。バリバリの認知症獲得者の父はどこにいるのかもわかっておらず、でも元気に歌は歌っていた。
入院に際し『何かあったら拘束します』という文章にサインを拒んだ私は24時間の付き添いを約束させられた。入院1日目から疲れ果て、寝るためだけに家に帰りまた病院、というのを繰り返しほぼ寝ておらずぐったりして入院5日目、看護師さんから、突然「家族を呼んでください」と言われた。父の呼吸が遅くなってきたのだ。動揺し、弟家族をすぐに呼び、そして遠方に住むもう一人の弟と父の弟(叔父)にも連絡を入れる。両方すぐに向かいます。とのことだった。
父は糖尿病もあるので、かなり食事の制限もあった。せめて食べたいとずっと言っているアイスクリームを食べて欲しいと思い、弟にピノを買ってきてもらい、甥っ子と姪っ子がちょっとずつ切っては父にあげている。。。思いの外よく食べるなぁ。。と思いながら見ていたが、ふと、「あっ!!!ヤバイっ!!」と思い出した。「忘れとった」
弟の方を見ると「ミミズクか。。。」と全てを察し、二人でどうするべきか話し合った。
次の日にM教授ご一行が来る予定になっていた。M教授には父が入院してすぐに、「私がアテンド出来なくなりました」とだけ伝えてあった。来てもらって自由にして貰えばいっか。と思っていたので、これにはかなり困った。
しかも明日親戚もやってくる。そして父危篤。。?まあ、ピノ食べてるけど。。
弟は状況を説明したほうがいい。と言っていたが、私は伝えたらキャンセルか。。とそれは悪いし嫌だな。。と、どうしたものか、考えあぐねていた。。決断できず夜になり、みんな一旦家に帰った。
父はウトウトずっとしていたが、私は試しにおにぎりを父にあげてみた。それまでは誤飲が危ないからと、ずっとドロドロしたおかゆが出ていた。おにぎりを渡すと目をぱっと開いてパクパクと食べ始めたのだ。
次の日、叔父夫婦もやってきてくれ、昨日のおにぎり以降食欲が回復して突然元気になった父を見て喜んでくれ、ミミズクご一行がやってくることにもすごく嬉しそうで、特に叔母はフクロウが大好きなので、この一連の出来事を喜んでいた。遠方から来た弟は「は?」と困惑していたが、それより父の回復に一生懸命だった。結局、ミミズクご一行は無事にやってきて、私はちらっとだけ顔を出し、全部説明してあとは叔母に任せて私は寝た。ご一行はフィールドワークをしたり元教え子にあったりと、一応満喫していただいたようで一泊だけして帰路に着いた。父は退院というよりは追い出されるくらい元気になり、今も元気に歌を歌っている。
ただ、今年は結局卵からはヒナは生まれてこなかった。
普段の倍、抱卵の期間を過ごしていたが、いつものヒナの飛び立つ時期にやっと諦めてヒナ抜きで飛び立っていった。
卵を転がしたり、うろうろしている姿を見るのは本当に悲しかった。
これらを見ていて私が考えていたのは、なぜスーパーハートは、去年あんな目にあったのにまた今年も家の屋根裏に来たのだろう。。ということだった。
スーパーハートは何かを伝えたくてやってきたのではないのだろうか?
山にはもう子育てできる場所がないのかもしれない。
山がもう危ないのかもしれない。
もしかしたら、私たちは、今、何かしなければいけないのかもしれない。
そして今年秋、山に巣箱をつけるプロジェクトが発足。
オオコノハズク専門の研究者さんがいるH大学と佐渡に近いN大学の共同プロジェクトで、めちゃくちゃ忙しいM教授も生徒を連れて来てくれる予定になっている。
とにかくスーパーハートが喜んでくれるといい
そして安心してほしい