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「聞こえない」を隠すって、どんな気持ち?

はじめに
子どもの頃についた、ずっと誰にも明かせなかったウソって、ありますか?

わたしはずっと、聴力検査で「聞こえるフリ」をして、ウソをついていました。

初めて、自分の聞こえに「?」を抱いたのは小学校入学前の聴力検査でした。

母親と学校に向かい、その日は色んな検査を受けました。聴力検査は初めてだったと思います。
「聞こえたら押してね」とボタンを渡され、検査の先生と向かい合うようにして座りました。「はじめるね」と言われてしばらく経っても、耳につけたヘッドホンからは何も聞こえてきません。すると、「どうしたの?聞こえたら押すんだよ〜!」と先生からも、母からも声をかけられ、ふたりからの焦りを感じました。

それは分かってるけど、でも、聞こえない。
2人の様子から、これはなんだか良くないことみたいだな…と感じました。このままだと、ヘンな子ってことになりそう。モンダイジってやつになるのかもしれない。怒られるかもしれない。ぐるぐる考え、わたしもすごく焦ったのを覚えています。

焦りもあり、「えいっ」と、ボタンを押しました。本当は、全然聞こえなかったけど。「あぁ〜よかった」検査の先生も母親もホッとした声。検査の部屋を出た時に「音、聞こえなかったの?」と聞かれて、「最初はね、よく分からなかった。でも、言われて、あーこれのことかーって分かったよ」と答えたことを覚えています。
検査が無事に終わって、ホッとした気持ちがあったのと同時に、ウソついちゃったな…とモヤモヤした気持ちになりました。

保育園時代、母親に、「チョコパイ食べたでしょ!?」と言われ、「食べてないよ!」と答えたのがわたしの記憶の中ではいちばん古いウソ。そして、これが2番目に古いウソでした。2番目についた古いウソは、その後何度か繰り返すことになりました。


つき続けた嘘
小学校では毎年だったか2年に一度だったか、聴力検査がありました。テストの日よりも、マラソンの日よりも、この日がいちばん嫌いでした。

順番を待っている間、検査の部屋から出てくるクラスメイトたちは、「余裕だったねー!」「聞こえたらすぐ押したよ!」と言い合っていました。どうも、聞こえることは当たり前で、むしろ早押しクイズのように、ボタンを早く押すことを楽しんでいるように見えました。

わたしはどうだろう…。前のように、きっと聞こえない。でも、もしかしたら耳が良くなっていて、聞こえるようになっているかもしれない。どうか、どうか聞こえてくれ。そんなわずかな望みを持ちながら、不安な気持ちで検査を受けていました。

それでも毎回、そんなわずかな望みは打ち砕かれることになりました。

「はじめるね」

聞こえてほしいという気持ちからか、遠くの方でピーッと聞こえているような聞こえていないような…。少し暗がりの検査室もという放送室で、先生とふたり。ヘッドホンの向こうはまるで音の暗闇。わずかな明かりすらも見えない。ひとりだけ、暗闇の中にポーンと放り出されたような、そんな気分でした。

先生はどんな反応をするんだろう。親はどんな反応をするんだろう。「なんで聞こえないの?」「病院に行かなきゃかもね?」なんて言葉を想像するだけで、ものすごく不安を感じました。

そうして、適当にポチポチボタンを押して聞こえたフリをして誤魔化していました。

「はい、いいよー」

検査が終わるといつも、よかった…とホッとした気持ちと、またやっちゃったな…という罪悪感でいっぱいでした。

教室に戻ると、「ピーって聞こえたよ」「ポーンってのもあったよね」と楽しげに言い合うクラスメイトに、「そうだね〜」と話を合わせ、内心では「やっぱりみんなちゃんと聞こえてるんだ。わたしはやっぱり聞こえなかった」とショックを受け、自分がみんなよりもすごく劣っているように感じました。

学校では、体育館での声が、時々雲のようにモヤモヤっと漂っているような感じに聞こえました。聞こえはするのに、音の輪郭がなくて、何を言っているのか分からなかったのです。周りの子を見てなんとなく合わせたりすることもありました。

授業中クラスメイトの声が聞き取りにくかったりすることもありました。国語の授業中は時々教科書のどこを読んでいるのか分からなくなるので、わたしは◯番目だからここの文章だよね…と、前もって入念に数えて準備したりしていました。

家では、2階にいる時に階段の下から家族に呼びかけられても気付かないので家族を怒らせてしまって、そのたびに「だって…」と心の中では思いながらも謝ったりしていました。
なるべく怒られないように、夕飯の時間が近くなると、声がしないか耳に神経を傾け、気にしているようにしたり、夕飯の匂いがしてきたら、呼ばれるよりも先に台所に降りたりしていました。


当時の状況

当時は、祖母と両親、姉、兄と暮らしていました。両親は共働き。姉も兄も歳が少し離れているので、ひとりで遊ぶことが多かったです。

父も母も帰りが遅いことも多く、土日も関係ありません。特に母が帰ってくる時間になるといつも玄関の前で待っていました。母が大好きだったし、正直もっと一緒に過ごしたかったです。

学校では、いわゆる優等生でした。実際、「なぜそんなにいい子に育つのですか?」と家庭訪問で先生に言われたほどでした。

友だちがあーだこーだ、先生があーだこーだ、わりかし細かく学校の話は親に話していました。でも、聞こえのことはどうしても親には話せませんでした。


なぜ聞こえるフリをしたのか
わたしは、常に「いい子」でいようと心がけていました。
先生の言うことを聞いて、勉強もスポーツも前向きに取組んで、学級委員も積極的にやって、先生に褒められて、家族に褒められる。

「褒められるため」ほぼすべての言動力はこれでした。そして、「いい子」であること。それがわたしが作り上げていた自分像でした。

万が一、そこに「聞こえにくい」ということが書き加えられたら、「いい子」ではなくなる。周囲から認めてもらえなくなって、自分が保てなくなるような、そんな恐怖がありました。

子どものころの自分を一言で表すとすると、常に寂しさを抱えた「いい子」です。

そこには、常に「本当の自分を分かってほしい」というような気持ちが潜んでいたような気がします。だから本当は、「聞こえにくい」ことを誰かに分かって欲しかったし、本当は「いい子」なんかじゃないことも分かって欲しかったのだと思います。


その後…
中学生になってからは、聴力検査でウソをつくことはしませんでした。入部したかった吹奏楽部の演奏を聴きに行ったことをきっかけに、このまま耳のことを放置しておくのはやめようと思えたのです。親にも「聞こえにくい」ことを話して、精密検査を受けに行きました。でもそこですんなりと難聴と診断が降りなかったので、その後も苦労はしました。その話はまた今度書きたいと思います。


最後に
わたしは聴力に関しての葛藤を子どもの頃からずっと抱えていました。きっと他の友だちにも、人に言えないような葛藤があったんだろうなと思います。
大人の今なら、「え!?そんなことで悩んでたの!?」と思ってしまうようなことでも、子どもはひっそりと胸の内に、バレないようにバレないようにしまっていたりしますよね。

でも、きっとわたしのように、「本当は分かって欲しい」と思っている子もいると思うんです。子どものことを一生懸命見てたって、気付かないことも多いです。自分のことをうまく伝えられないことも多いし、うまく隠しちゃうこともあるでしょう。

だからまずは、いつか「誰かに分かってほしい、困ってるって伝えたい!」とヘルプを出そうと思えた時のために、そばにいてあげられればいいのかなと思うんです。「あなたのこと見てるよ」「気にかけてるよ」というサインを送り続けることが大事なのかなと思います。

今は、新生児聴力スクリーニング検査があるから、ろうや難聴の子の発見は早いかもしれません。ですが、発達の特性として「聞き取りにくさ」を抱えている子もいます。

わたしもまだまだ不勉強で、当事者のわたしですら、難聴については知らないことが多いです。世の中にこういう病気や障害があって、こんな風に生きてるんだというのを、もし小学生の頃のわたしが知っていたら、少し違ったのかなと思います。
怖さはもちろん解消されることはなくても、同時に希望を持つこともできたのかなと思うのです。

だから、過去にこういう子がいたけど、今は大人になってこんな風に生活していて、こうして楽しんでるんだよと少しでも知ってもらえたら、救える子たちもいるのかなと思っています。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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