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難聴に気付いて補聴器するまで③

中等度難聴のわたしのこれまでのいきさつの話です。

先天性難聴のわたしが難聴とちゃんと向き合い、補聴器を着けるようになったのは社会人になってから。前回までは小学校〜社会人になるまでの話を書きました。

今回は社会人になってから補聴器を着けるまでの話です。
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就職先は病院。アルバイトをしていた病院で、内情を分かっているとは言っても正職員として働くと、当然アルバイトのときとは違う環境がたくさん発生します。

やはり困ったのは朝の申し送り。開放的なナースステーションで聞きます。誰々さんが転倒したとか、誰々さんが熱発したとか、大事なことは聴きながらメモを取りますが、やはり所々聞こえない。聞こえないし、知らない薬の名前とかなどは、聞き取れないことも多く、新しい患者さんの名前とかも聞き取れない。やはり、ある程度知っていたりすれば、予想しながら聞けるところもあるので、ハッキリとは聞こえなくても、アレのことだなとか、誰々のことだなとか分かるけれど、そうもいかないことが増えてきていました。先輩にあとで確認したりということをしていました。

昼間の作業療法室でのミーティングも聞こえませんでした。少し広い部屋で散らばって座っている状態。大事な提出物のことなども聞こえなかったりして、後で同期にコソッと聞いたりしていました。何の話し合い中なのかとかも分からないままその場にいるのは、とても怖かったです。意見を求められたらどうしようとか、やばいなーと内心はかなり焦っていました。

そして、同じ病棟配属の先輩が他の病棟も兼務することになり、ひとりで任されることも増え、プレッシャーに耐えきれなくなり、半年くらいで辞めて、また実家に戻りました。しばらくは家族分の昼ごはんと夕ご飯の用意をして過ごしていました。

どういう流れだったかハッキリとは覚えていないけれど、今後も仕事を続けるなら耳のことを曖昧にしていたらやっていけないなと思い、また中学生の時にかかった市立病院に紹介状を持ってかかることになりました。
中学生のときは異常なしと言われましたが、今回は異常ありと判断され、原因を調べるためにもっと大きい大学病院への紹介状を渡されました。

少し遠いので、毎回父か母に車で1時間くらいかけて連れて行ってもらっていました。
初めての時は家族内に耳の遠い人がいないかを細かく聞かれた覚えがあります。また、昔から耳は遠い自覚はあったけれど、感覚としてはどんどん悪くなってきているような気がすることも伝えました。

それから何ヶ月かに分けて何回か通い、詳しい検査を受けました。いつもの聴力検査に加えて、骨伝導の検査、言葉の聞き取りのような検査などなど…。
結果、低い音は比較的聞き取りやすいけれど、高い音は苦手で、ちょうど耳の遠い高齢者のような感じであること、聞き取りはあまり問題がないことなどを伝えられました。そして、おそらく遺伝でしょうとのことも。

そして、大学の難聴を研究しているグループがあり、そこから遺伝子検査の協力をお願いされました。
難聴の遺伝子の型は多数あって、そこに当てはまるのか、当てはまるとしたら、今後どういう経過を辿るのかが分かると思う、と。検査をして、何か分かるかもしれないし、何も分からないかもしれない。もし何か分かったら連絡しますとのことでした。
大学の研究に協力だなんて、なんかすごいことになってるなぁと思いながら、お願いをし、遺伝子検査に協力をしました。

難聴の原因は遺伝という結果を母に伝えると、「ごめんね…」とシュンとしていましたが、私としては大学教授に遺伝子検査をお願いされて、大学の研究に協力するなんてカッコいいし、難聴だと分かったらやっぱりそうだったんだと腹落ちした気持ちで、両親を責める気は1ミリもなかったです。

そして、補聴器については、着けるかどうか微妙なラインの聴力ではあるけど、どうする?と主治医に聞かれました。仕事で困り感が増していたので、それが解消出来るのであれば是非着けたいなと思い、着けることにしました。病院内に補聴器屋さんが来ている部屋があり、そこに行くと何人かのスーツを着た方がお年寄りを対応していました。

そこで、試しに着けてみてと渡された補聴器。初めてみるカタチ!テレビで見るようなコロンとした丸いものではなくて、柿の種みたいなカタチのものからニョロっと飛び出たワイヤー。その先に耳栓のようなものがくっ付いていました。
初めて着けてみたら、驚きの連続!周りの音が、こんなに聞こえるの!?というくらいとてもよく聞こえました。服や袋の擦れる音、紙を捲る音、後ろの人が話す声…ほんとにほんとに普通の人はみんなこんなに聞こえているの!?!?と、とても衝撃を受けたのを覚えています。
すぐ買ってくださいというわけではなく、お試しだったので、料金は払わなかったと思います。

検査に何回か通う間に、新しく近所の雑貨屋でのバイトを始めていました。ラッピングを頼まれたりするので、お客さんとのコミュニケーションも多めです。そして、一番困ったのは電話でした。レジ後ろにある電話はPHS。音量調整もできず、さらに相手の会社名や商品名など、全然知らないものばかりで全く聞き取れず、何度も聞き直したりということがありました。
耳が遠いことをオーナーには伝えられていなかったです。今思えば、伝えれば良かったのにと思いますが、当時はまだハッキリ難聴だと分かったわけでもなく、私自身ハッキリしたことを言えないという負い目もあり、言うのを渋ってしまいました。

半年ほど働き、正社員の約束だったのですが、マーケティングのセンスがないと言われてしまい正社員にはなれず、それであれば…ということで辞めることになりました。

作業療法士をするなら、地元周辺では働きたいところがないな…となり、当時学生時代の元恋人で、復縁していた彼のもとに転がり込み、また首都圏での生活を再開させました。
お試し補聴器も付けた状態です。今後は東京のお店に行くようにと案内してくれました。

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長くなってきたので今日はここまで。

今冷静に振り返ると、この時期は、なぜ相談しなかったんだろうという部分がとても多かったです。結果それが早期退職に繋がっているように思います。

答えてくれたことを聞き取りにくかったりすることが頻発するので、コミュニケーションに怖気付いてしまっていたのかなと思います。

次回は補聴器を着けて仕事を始める話です。

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