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習い事について、あれこれと。

先週だったか、長女のピアノのテストがあった。
ピアノ教室の先生の勧めでそのテストを受けることにしたのだ。

いきなりだけど私はピアノが弾けない。
子どもの頃、我が家では習い事はひとりふたつまで、とされており、私はスイミングとそろばん教室に通っていた。
姉はピアノとそろばん。妹は、ピアノとそろばんと、なぜか例外でみっつ目の吹奏楽。姉も妹もスイミングスクールが嫌だと言ってさっさとやめて、ピアノを習い始めたのだ。彼らの希望で。
私もスイミングは正直あまり楽しくなくて、家から遠いのも、土曜日のお昼から(友達と遊びたかった)なのも、仲のいい友達がいないのも、全部嫌だった。そもそも身体を動かすことがきらいだった。
けれど、姉や妹みたいに上手に「いやだ」とか「やめたい」とかを言うことができなくて、気がつけばカリキュラムが終了する6年生の3月まで律義に通うことになったのだった。

ほんとうはピアノ教室と、絵画教室に通いたかった。

そんな成り行きから、私は今もピアノが弾けない。
姉や妹の楽譜を持ち出して少し弾いていた時期もあるから、多少弾けていた時期もほんとうはある。けれど、いつまでたってもピアノは私にとって、手が届かなかったもののままで、少し難しい曲が弾けるようになっても自分の中にアラを探して、けっきょくピアノを遠ざけてしまった。
自分とピアノを紐づけることができなかった。

*

だから、長女がピアノを習うことになるとは思いもしなかった。
家にピアノを置くなんて想像ができなかったのだ。
いつまでたってもどこかよそよそしくて、近づききれなかったピアノが自宅に置かれるなんて、そんな馬鹿な、という気分だった。

夫の実家にはグランドピアノとアップライトピアノの2台があった。
夫の姉が独身時代にピアノ教室をしていたらしい。
義姉が結婚して、誰もピアノを弾くことがなくなって、防音室にはいつの間にか古いおもちゃが詰め込まれるようになった。
長女は夫の実家に行くといつもその部屋で遊んでいたのだ。
ピアノを触るようになるのに、そんなに時間はかからなかった。
だって右を向いても前を向いてもピアノがあるのだ。触らないはずがない。
そのうち、姪っ子や甥っ子が(みんなピアノが弾ける)少し手ほどきをしてくれるようになって、長女はピアノにのめりこんでいった。
手が痛い、と言いながら、いつまでも夢中でピアノを弾いていた。
半年くらい前のあるとき、いつものように遊びに行って、ピアノを弾いて、さぁ帰ろうかというときになって、「ばーばのおうちでお泊りする」と言って長女が泣いた。
どうしたのと訊ねると、絞り出すように「ピアノが弾きたい」と言った。
またいつでも弾きに来られるよ、と何度なだめても首をふって泣くばかりだった。

すっかり参ってしまって、そうか、こういうことなんだな、となんだかすとんと腑に落ちて、「じゃあ、ピアノを習おうか」と、ついその場で言ってしまって今になる。

長女は今まさに、ピアノにハマっている。

*

最初に書いたように、私はピアノが弾けない。
ト音記号はともかく、ヘ音記号になると「はにほへと、だから、ドレミファソ…」とひとつずつ数えないと読めない。
長女に手本を見せてやるにも、手こずって手こずって仕方がない。
なんとなく、こうだね、と両手で弾いてやる頃には長女はすらすらと弾いている。

例のテストのときに、私は度肝を抜かれた。
みんなの本気度がすごかったのだ。明らかに保護者の熱量が高かった。
弾く前に保護者または本人からのコメントが読み上げられるのだけれど、「楽しくピアノを弾いています」な牧歌的な私のコメントの後にぞくぞくと、技法に関したアドバイスのリクエストを含んだコメントが読み上げられる。
「左手のスタッカートが単調になりがちで云々」
「モチーフの雰囲気を出すのに苦戦しています云々」
「5番の指がうんたらかんたら(覚えてもいない)」
「来月のコンクールに向けてのアドバイスを云々」

まわりを見回すとよく見るとみんな飛び切りドレッシーだし、お母さんたちもきっちりしたお洋服を着ているし、足台(足の高さを調整するための)だってそれ、マイ足台じゃないの、とびっくりした。

すべてが未知の世界だった。
知らないということは罪ではないけれど、やっぱり少し臆病になる。
そう言えば長女も「ここのスラーがうまくできなくて」とか言っていた。
このお母さんたちはきっとスラーについてもっとまじめに聴いてやったり、なんならいっそ素敵なお手本を見せているのだろうな、と内省したくもなった。

因みにだけれど、息子は半年ほど前からサッカーに夢中だ。
なんとしてでもサッカーを習いたいと毎日あまりにしつこいので、根負けして彼はサッカー教室に通っている。
それもまた、私の苦手分野だ。
私は運動全般、球技すべてが苦手なのだ。
「コウタ!そこだ!守れー!!」とか大きな声で息子に声援を送るお母さんを横目で見ながら、こんなに早く動いているのに、攻めてるか守ってるかなんて、よく分かるなぁ、といつも感心している。

苦手が多い身の上だから、これと言ったサポートもフォローもどうにもうまくできないのだ。

もちろん私なりによかったところを褒めたり、素敵だったと伝えたり、できることは全力でやっているつもりなのだけれど。

全然それでいいのだよ、背伸びは無用よ、と思う自分と、不器用でごめんね、と思う自分が混在している。
それも親心、と平たく言ってしまえばそれだしそうなんだけどね。

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ハネサエ.
また読みにきてくれたらそれでもう。