不安が不安で不安なの。
note酒場第二回がせまっている。
楽しみにしたいのに、楽しみの五千倍くらい不安が勝っている。
ここのところ、末っ子のイヤイヤがすごい。かなりすごい。
相変わらず爆発的にかわいいのはデフォルトなのだけれど、イヤイヤされるといくらかわいくたってため息のひとつやふたつ出る。
昨日は、「ママきらい!!大嫌い!!」と泣かれた挙句、ぺんぺんと肩を叩かれた。痛かった。
「ママは末っ子ちゃんのこと大好きなのになあ。かなしいなあ。じゃあ、ねーねとにーにに、大好きしてもらおうかなあ」と私が言ったところで我に返ったらしく、手に持っていた雨傘(帰宅したばっかりなのに傘をさして幼稚園に行くと玄関で泣いてた)をぽとりと落として、「ママ...だいすき――――――」と泣きながら抱きついてきた。
やばくないですか。かわいいでしょう。
じゃなかった。かわいいのだけど、大変なのだ。
私は、そこそここんな暮らしに慣れてもいるし、イヤイヤと同時開催される、長女のおしゃべりとか、息子の絶え間ない欲求とか、の同時オペレーションも楽ではないにしろ、なんとかなる感じはある。
問題は夫だ。
私が家を空けて、たったひとりで、このイヤイヤをバックミュージックにした三人分のタスクをこなしきれるか不安しかない。
イヤイヤなんて、ほとんど嵐だと思うしかないのだ。時が過ぎ去れば泣き止むと言い聞かせて、心を無にして相槌を打ち続けるしかない。彼らは今、叫びたいのだ。解決したいわけではないのだ。嵐が過ぎ去るのを無の境地で耐え抜くしかないのだ。その間に、「ぎゅうにゅうのみたい」とか、「あやとりしよう」とか、「おさるのジョージみたい」とか、挙句、「ねーー!聞いてる??!」とか、いろいろ言われると、ちょっとむっとしたくなる気持ちも分かるのだけど、泣き声は蝉の声くらいの気持ちで受け止めて、淡々と要求をこなし続けるしかないのだ。
果たしてそれが夫にできるだろうか。マルチタスクが苦手な彼にできるだろうか。不安しかないのだ。
これという切り札が見つかっていれば私の気持ちも幾分楽になるのだけれど、今日現在、なにひとつ切り札が用意できていない。
因みに前回のnote酒場のとき、彼らはおひるご飯付きの一日がかりの野外活動に参加していたのだ。現地にスタッフさんもたくさんいらっしゃって、みんなで野外炊飯をして、森を散策して、一日が終わった。大変ありがたかったし、安心だった。
今回、彼らの予定はまるきり白紙だし、私にできることと言えば、カレーを大量に作っておくくらいしか思いつかない。
しかもあろうことか、月曜日の登校園も、夫が送り出しをすることになっている。朝=全エネルギーの30%くらいを消耗することを彼は知っているのだろうか。
夫は持ち前の楽天的な性格が働いて、なにを言っても、終始「だいじょうぶだーいじょうぶ(超笑顔)」としか言わないのだけど、こちらも不安しかない。
朝から末っ子がパンツにうんこを漏らしたり、息子がなかなかお着替えをしなかったり、ばたばたして水筒を忘れたり、しないだろうか。
ねぇ、どう思う?(泣きたい)
せっかくのnote酒場だというのに、楽しみの遥か遥か上に不安が押し寄せている。もはや、私、なにしに行くんでしたっけ……ってなりかけている。
フットワークの軽さには割と自信があるのだけれど、フットワークの軽さと心配性が相容れないくて、いちいちなにかと都合が悪い。
そんなことばっかり考えているから、名刺を注文しそびれたし、今年もエンリケの名刺を持っていくしかないし、やっぱりいろいろ不安。