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小僧とかPTAとかの2月

2月もあっという間に終わってしまった。
1月はひたすら働いていて、2月は少しゆとりをもって楽しいことをしようと思っていたのに、気づけば瞬きと呼吸を繰り返しているうちに3月になっていた。

2月を無かったことにしないために振り返りを。

2月はとにかく息子の友達がよく遊びに来た1ヶ月だった。
カメラロールを見返すと、小僧たちがそこかしこに映りこんでいる。
私は常々、息子の声が大きいといろんなところで書いているのだけど、彼の友達も漏れなくみんな声が大きい。類は友を呼んだんだろうか。
そして、彼らはちっとも話を聞かない。
私がなにを言ってもケロッと平気な顔をしている。
最初は私もお行儀のいいお母さん然としていたんだけれど、もう細かいことを気にしてはいられないことに気が付いて、今ではすっかり体当たりな日々を送っている。
ちっともいうことを聞かないけれど、おにぎりを握ってやれば飛んでくるのでまだまだかわいらしい。

そういえば、バレンタインのときも彼らが
「バレンタインのチョコつくる!」と張り切ってやってきた。

その件に関してはこちらに詳しく書いてあるので、よければどうぞ。

ほんとうに突拍子がない日々を送っている。
我が子だけでまあまま突拍子もないのに、突拍子もない小僧が続々とやってくる。
日々、刺激的。

*

あと、2月のトピックと言えば、犬山市にあるリトルワールドに行った。
仲良くしてもらっているカメラマン親子と一緒に出掛けた。
彼女とはもう5年近く仕事で一緒に動いていて、ふたりで現場へ行くことも多いので、すっかり甘えるのが板についてしまっている。
とても一方的にと前置いて、信頼できるパートナーのよう。
リトルワールドは外国の美味しい食べ物がいろいろと食べられる上に、各国の民族衣装を着ることもできる。
子どもたちがお着替えをするたびに、彼女が手を引いてポーズ指導をし、褒めたたえながら撮影をしてくれる。
我が家の女子チームはそれが思いのほか楽しかったらしく、大層ご機嫌だった。
スカートの翻しかたひとつをとっても、プロのポージング指導の的確さにも驚かされた。

食べたものメモ。
カエルの唐揚げ、ナシゴレン、ワニバーガー、ワニ骨ラーメン、オソ(山芋のフライ)、小籠包、サーターアンダギー、タピオカミルクティ、トルコアイス、桃饅頭、コシーニャ(ブラジルのコロッケ)、ミネストローネ、生パスタ、チュロス、ナチョス、なんかフランスのおやつ

思い出せる範囲だけでも、まあまあ異常に食べていてびっくり。
リトルワールドは本当にめちゃくちゃに広くて、食べては歩きを繰り返していると見事にエネルギーが循環し、永遠に食べられてしまう。
もっと食べたかったので、気候のいい季節にリベンジする。

*

2月下旬には長女のお友達がふたりお泊りに来た。
1月には上述の小僧どもが泊まりに来ており、それはそれはチンプンカンプンな2日間だったのだけれど、小5の彼らはあまりに人間らしかった。あと2年で小僧たちもこのように落ち着くのだろうか。

ふたりとも天使なのかと思うほど、気立てがよく、穏やかで自分の小5時を思い出しては何度でも恥ずかしくなった。
私の最も驚きトピックは、ふたりとも毎週自分で上靴を手洗いしているということ。
なんという自制心。うちの小5は半年ほど平気で洗わないので、近頃は見かねた夫が洗濯機に放り込むようになっていた。
ところが、この日、彼らより「洗濯機で靴を洗うと洗濯機によくないらしい」的な文言を頂戴してしまう。
ちょうど洗濯機が壊れて買い替えたばかりの我が家にとってその言葉はあまりに響きすぎてしまったので、各自手洗いをするよう通達した。
また半年ほど洗わないかもしれないけれど、それはそれ。

それにしても、小5女子の食欲は底なしだった。
小3小僧が3人来た時よりもうんと滑らかに食べ物が消えていく。
モリモリと食べるというよりも、するんするんと食べ物が消えるという方が近い。
きゃっきゃとお喋りをしている場に、そっと出した蒸しパン20個が振り返ると消えていた。どれ、と追加でクレープを焼いてみると、それもまたさらりと無くなり、余った果物まで健やかに平らげていた。
「成長期」の3文字が実感を伴って脳のど真ん中で輝いていた。

*

その2日後、東海4県で発刊している「ママごはん」という冊子の撮影が我が家で行われた。
我が家が映るのではなく、場所を貸しただけ。
フードコーディーネーターさんや冊子のスタッフが集まって、がやがやと楽しい撮影だった。
デザイナーさんが大変に有能で、細々とした雑用から、カメラマンのアシスタントまでこなしており、とても素敵だった。
私は庭からひたすら食彩に使えそうな草を取ってくるくらいしか役に立てなかったけれど、まあいいのだ。チームの皆さんが有能で勝手に誇らしい。

最後の試食が素晴らしく最高だった。
ご馳走様でした。

ただ、とっても楽しい撮影だったけれど、後半からなんとなく頭が重く、気のせいかと思ってやり過ごしていたらその翌日あたり、はっきりと体調を崩してしまった。

はっきりと体調を崩していたのに、気のせいだと思う悪い癖がでて、その後の2月を棒に振ったのが大きな反省点。
しばらくは飴玉と水分が主食だった。

*

そういえば2月はPTAの最後の大仕事、次年度役員選出があり、選管の私には混沌とやることが課せられていた。
仕事の締め切りと、書類の締め切りと(選管の書記です)、を追いかけるような2月でもあり、キーボードを叩いても叩いても次々に書くことがあって目眩がした。
そんな日々を乗り超えてなんだか強くなった気でいたけれど、きちんと体調を崩したのでちゃんと軟弱。寝るって大事だね。みんな寝ようね。

それらの鬱憤はまた近いうちにどこかで書くので、読んでいただけたら。

3月も気づけば中旬を迎えようとしていて、ほんとうに油断ならない。
ずっと上旬にしがみついていたかった。
つまり、後半は怒涛の日々がもう約束されている。
やっと戻った食欲を武器に、たくさん食べて乗り越える。あと、もちろんたくさん寝る。

*

毎日とは言わないけれど、せめて週に1回は日記を書いておきたいと思っているのに、ほんとうに難しい。日記を書いている人ってほんとうにすごくめちゃとても立派。
来週末にまた書けたら書きたい、とこっそり言ってみる。

最後にこちら。2月に公開になったエッセイのひとつ。
今年で3年目になる三重県氷河期プロジェクトへの寄稿です。
学生の頃に家庭教師をしていたカナちゃんと私のお話。


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ハネサエ.
また読みにきてくれたらそれでもう。