赤い傘と小さい家とかおりちゃん

小学校3年生のときに持っていた傘がすごく気に入っていた。
確かお誕生日に母が買ってくれて、赤いギンガムチェックだった。

その傘がある日、壊れてしまった。
友達と遊んだ後の帰り道でおしっこが漏れそうになってしまって、大慌てで家に駆けこんで、玄関のドアに傘が引っかかったのだ。
でも、おしっこは漏れそうだし、傘の形状が子どもにはなんだか妙に複雑で、慌てすぎてうまくドアから傘を外すことができなかった。
そのまま置いてトイレに行けばよかったんだけど、いかんせんおしっこがもれそうで、ほとんど混乱しているから、つい力任せに傘を引っ張った。
ドアから傘が外れて、よしと思ったその勢いでトイレのドアを開けた。

用をたしてすっきりして、玄関に置き去りになった傘をみると、明らかに様子がおかしかった。
骨がいくつも折れて、とうてい使えそうにない。
なんてことをしたんだろう、おしっこが漏れそうだからって、傘をだめにしてしまったと、罪悪感にさいなまれた。
もう、この傘をさせないんだと思うと、悲しくて悲しくてたまらなくなった。
赤い傘が壊れてしまった、と思うほど、この傘は私にうんと似合っていたような気がしてくる。
背伸びしていない、赤という色、気取らないギンガムチェック、それってとっても私らしかったのに。
この傘がもうさせないと思うと、涙がぼこぼことあふれてきた。

玄関で、膝小僧に顔をうめてしくしく泣いていたら、お母さんが帰ってきた。玄関で泣いている私を見て、驚いていた。

「傘が壊れた…」と泣きながら話すと、

「え?傘が壊れたから泣いてたの?大好きな傘だから?」

お母さんは、驚きと笑いの交じった顔で言った。

バカにするんではなく、なぁんだそんなことか、と思っている感じだった。きっと、お友達と嫌なことでもあったのかしら、と心配したのかもしれない。

お母さんは、傘は商店街にある傘屋さんに持っていけばきれいに直してくれることを教えてくれて、後日、その言葉どおり、傘は新品みたいにきれいになって帰ってきた。



この話を思い出すと、芋づる式に脳裏に浮かび上がってくる友達がいて、彼女の名前を香織ちゃんとする。
香織ちゃんはスイミングスクールにいた、同い年の女の子で、俳優の加藤諒にすこし似ていた。
私のことをとても好いてくれていて、スクールでは着替えが終わったら始まるまで自由に遊んでいていいというルールがあったのだけど、いつも私と遊んでくれた。

校区からうんと離れたスクールに通っていたので、私は友達がいなくて、香織ちゃんが声をかけてくれるのが嬉しくもあったのだけど、なんだか少しむずむずするものがあった。というのも、香織ちゃんはちょっと独特の言葉を使う子で、一人称が「ぽっくん」だった。
私はおぼっちゃまくん以外で、そのように発する人を見たことがなかったので、ちょっと驚いたりもしたし、まだまだ子供だったからちょっと受け入れがたいような気持にもなった。どうにかその「ぽっくん」を「ぼく」に脳内変換させて、僕っ子、みたいなムードで受け取ってむずむずした気持ちに折り合いをつけていた。

当時、私たち一家は、二軒の家を行き来していて、ひとつはおばあちゃんおじいちゃんと同居している家、もうひとつは、おばあちゃんたちがいない「小さい家」、だった。
父と母が新婚当初に暮らしていた家を引き払わずにずっと残してあって、おばあちゃんと折り合いが悪い母(おばあちゃんが一方的にいびってた)が、週末くらいは休めるようにという(たぶん)父の計らいで、週末はだいたいその家にいた。
その事情はたいてい人に説明してもうまくのみ込んでもらえることがなくて、いつも長い説明になる上に、面倒な質問が飛んできたりした。
ある日、父が、「まぁ、別荘やな。別荘みたいなもんだ」と言ったのを聞いて、それは便利!と思ったのだ。
別荘なら、みんな共通の認識があって、休日を過ごす家なんだから、それでいいじゃないかと思った。

スイミングスクールは毎週土曜日で、スイミングスクールから帰宅すると夕飯を食べて、宿題を持ったらその「小さい家」に移動していた。車でほんの5分くらい。
なんの話の流れか香織ちゃんに、今日はいつもと違う家に泊まる日だから、と話したら、「それってどういうこと?」と訊かれた。
ここで、登場ですよと言わんばっかりに私はどきどきしながら「別荘なの」と、おそるおそる声にした。
初めて「別荘」を使った瞬間だった。
香織ちゃんは「え?別荘?どこにあるの??」と訝しげに質問をつなげて、「家から車で5分くらいの所」と言うと、「やだ!サエちゃん!!冗談きつーーい!!!!」と大きく笑った。

「やだ!サエちゃん!!冗談きつーーい!!!!」

なんど脳内でリフレインしただろう。

その言葉はずいぶん大人っぽく響いたと同時に、ぜんぜん現実的じゃなくて、私が永遠に使うことがないであろう言葉のような気がした。
一人称が「ぽっくん」の香織ちゃんの口から飛び出した「冗談きつーーい!!」のインパクトは今も私の脳内にこびりついている。

で、なんで傘の話と関係があるのかと言えば、あの日、傘を壊してしまったあの玄関は、その「小さい家」だった。ただそれだけ。

ただそれだけなんだけど、あのギンガムチェックの傘を思うとき、笑ったお母さんの顔と、加藤諒に似た香織ちゃんの顔と、「冗談きつーーい!!」のあの弾んだ声が浮かぶのだ。

サキさんのこのnoteを読んで、書きました。
小学生のころさしていた、傘の話。

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ハネサエ.
また読みにきてくれたらそれでもう。