ドラえもんのしっぽが折れた日
今回、実家に帰るとき、長女はキティちゃん、息子はドラえもんの形をした大きなプラケースを持参した。
背丈は20センチほどで、中にはフルーツゼリーが20個も詰まっていた。
夫の妹がお正月にくれたものだった。
これを見た姉の子どもコウ君はどうしてもそのドラえもんがほしいと訴えた。
まだ一歳。
言葉にならない言葉で必死に母である姉に訴える。かわいい。
コウ君が欲しがれば欲しがるほど息子は躍起になって抱え込む。
ときおり、お兄ちゃんらしく貸してあげるのだけど、なんと言ってもそこは4歳、すぐに返してほしくなってしまう。
取り返そうとしては揉め、欲しがっては揉め、譲っては揉め、ドラえもんをめぐって喧騒が絶えなかった。
姉は大のドラえもん好きであり、彼らの居室にはドラえもんがあちこちに置かれてある。
コウ君もおそらくその影響からドラえもんに執着したのだと思う。
ドラえもん、かわいいしね。
見かねた母、ばーばが、
「部屋から何かしらのドラえもんを持ってきなさいな、いくらでもあるでしょう」
と姉に要請した。
戻ってきた姉の手には渦中のプラケースドラと同じくらいの背丈のドラえもんが二体。
さすが。
見る間に子どもたちの顔が輝いた。
いっきに3ドラえもんになったのだ。
コウ君は嬉しそうに姉が持参したドラえもんを抱え、満足していた。
二体のドラえもんのうち、一体はぬいぐるみで、もう一体は、樹脂でもなく、プラスチックでもなく、陶器でもなく、あれは何と言うのだろうか。サラッとした質感で高級感があった。
それもそのはず、それは姉が前職を退職する際にドラ好きな姉を想って職場の方から贈られたもので、かなり高額らしかった。
実家で過ごす最後の夜、我が家の末っ子が突然その高級ドラにお熱になった。
もう寝ようというその時に抱きしめて離さない。
滞在中、気に入っていたトラの編みぐるみを右手に、ドラえもんを左手に、一緒に寝るのと抱えていた。
眠たい末っ子、ただでさえおぼつかない足取りがますますおぼつかない。
古い木造住宅の急勾配の階段を、彼らと登ると主張して私の手を振り払う。えいや、と階段を登りかけていたその時、前のめりに転んでしまったよ。
私はその時、間の抜けた音が鳴ったのを聞き逃さなかった。
姿勢を持ち直した末っ子の目の前に赤い、ドラえもんの尻尾があった。
ひあああ!!!と悲鳴をあげた私に驚いて末っ子は泣き、私は慌て、長女と息子は「明日ばあばに言おう!(ばあばはなんでも直す)」と、まともなことを言った。
子どもたちが寝静まったあと、離れにいる姉にLINEをした。
エスパー。
見てたのかもしれない。
姉はとても人間ができていて、すごく大切なものであるにもかかわらず、
「折れる気がしてたし、箱に入ったままより子どもたちに笑ってもらえたほうがドラえもんも喜ぶよ」
と、まるで仏だった。
そんな優しい姉を持ちながらなぜ、LINEの私はそんなにびくびくしているのかというと、小学生のとき、当時、人気を博した「若者のすべて」というとてもトレンディな連続ドラマがあって、その最終回の録画を姉に頼まれた私はまさかの「さすらい刑事純情派」を録画してしまい、激怒した姉から人に在らずの扱いを受け、姉は布団に潜り出てこず、幼い私は焦り困りなすすべもなく、部屋の隅で立ちすくんでいたということがあったからです。