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記憶の功績
一番最初の記憶は歩くようになる前、たぶん十か月とかそんな頃。
実家は建築関係の事務所を営んでいて、自宅の隣にその事務所があった。
その日、私は母に抱かれて事務所の中にある従業員用の休憩室にいた。
母は夕方5時になると従業員の人たちが外仕事から戻るのを出迎えるために、毎日休憩室におもむいていて、その日はどういうわけか私も一緒だった。
母はなんとなく機嫌がよくて、にこやかだった。そして、おもむろに私をダイニングテーブルにぽんと座らせたのだ。
「ここは座るところじゃないんだよなぁ」
まだほんの赤ちゃんだった私は静かに思った。
まだ、感情というものがそこまで発達していなかったのだと思う。
動揺したわけでもなく、不安だったわけでもなく、愉快だったわけでもなく、ただ静かに、座るべきじゃないなぁ、と思っていた。
けれど、それを伝えるすべも持っていなかったから、ただ、静かに「違うよなぁ」と思いながら機嫌のいい母を眺めていた。
そこへ、従業員の一人が帰ってきた。
彼もまた機嫌がよくて、にこにこした顔で私のほうをのぞき込んでこう言った。
「あ!こんなとこに座って!」
赤ちゃんをあやす、弾むような口調だった。
けれど、私は自分が座るべきではない場所に座っていることを承知していたので、ほらやっぱりだめなんだ!と思ったら大きな声で泣いてしまったのだ。
赤ちゃんだったから、大きめの感情は泣くぐらいでしか表す方法がなくて、べつにすごくかなしかったわけでもなければ、嫌な思いをしたわけでもなかった。ただ、その状況から逃れる手段が「泣く」しかなかったのだ。
母もその従業員のおじさんも(Nさんという人。とてもいい人)、声をあげて笑って、母は私を抱き上げた。
記憶はここまで。
こんな小さいころの記憶があるなんて自分でも信じられないけれど、世の中には胎内記憶がある人もいるのだから、生後十か月頃の記憶があっても不思議はない。
そもそも私は小さいころの記憶がとても鮮明で、はっきり言って一年前の記憶と、三十年前の記憶の鮮明さはほとんど遜色ない。
そんなだから、二歳ぐらいからはわりとはっきりとした記憶がある。
そのころになると感情も徐々に複雑になるので、その分記憶も鮮明に残る。
やはり、強い感情を伴った記憶ははっきりと蘇るものらしい。
子どもたちが一年位前からビー玉に憧れていて、おばあちゃんの家に行くたびにビー玉を転がしては遊んでいた。
どうやらピタゴラスイッチの影響らしい。
ピタゴラ装置をころころ転がって次々と難所をのりこえるビー玉。ヒヤッとする側面もうまくくぐりぬけ、最後には必ず「ピ」の旗を揚げる。
そしてある日、彼らは目にしてしまう。
擬人化されたビー玉「ビー太」「ビー助」「ビー五郎」をだ(ご存知の方も多いと思う)。
その日から子どもたちの中でビー玉はまごうかたなきヒーローとなった。
けれど、うちにはまだ小さい赤ちゃんがいて、ビー玉を輸入するわけにもいかないことは子どもたちも合点していて、憧れの火は彼らの胸に静かにしまわれるにとどまっていた。
ところが、先日ひょんなきっかけから我が家にビー玉が輸入されることになった。
その数わずか4個。
そして、そのうちの三つが透明で中に何もないクリアなビー玉なのに対し、ひとつだけ白濁した中に青い模様が入っているのだ。
もちろんこのビー玉に憧れは集中する。
このビー玉を巡ってそれはもう激しい死闘が繰り広げられた。
うんざりするほど誰かが泣いて、誰かが怒っていた。なんて罪な白濁ビー玉。
セリアに行けばビー玉はいくらでも売っているんだけど、もし我が家に潤沢にビー玉が溢れたら、あの白濁したビー玉への憧れは薄れてしまうような気がして。そして薄れた憧れとともに白濁ビー玉は記憶の奥へしまい込まれてしまう気がして。
貸して!ほしい!嫌だ!と泣きわめいて焦れる思いとともにどこまでもきれいな白濁ビー玉を記憶に刻むのだよ、と生あたたかく見守っている次第。
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