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自分という車の運転のしかたを知った2024年

2024年が終わる。今年も生き急いだ。

誰のためでもない自分のために、今しかつづれない自分の言葉で、今の気持ちを記録に残しておこう。

iPhoneの写真フォルダを見て思い出したが、今年のテーマは「慈悲の心」だった。忘れてた。

年始に書き初めをするも、毎年すぐに忘れる

目標にかかげたとおり、人様に慈悲の心を与えられただろうか。自分の思いのまま生きていただけなので、足りなかったのだと思う。
よって、神様は今年の私に慈悲の心をお与えくださらなかった。というのも、体調が絶不調だったのだ。忘れてたくせになんだけど、神様頼むよ。多目に見てくれよ。

母親譲りの血筋で陽キャとして生きている私は、人生を楽しんでいるほうだと思う。

このぐらいのめがねは、秒でかけこなせるくらいの陽キャです

しかし、今年は胃の不調が続き、食べれないという過酷な日々が続いた。病名は「機能性ディスペプシア」という、この世の終わりのようなディストピア感つよい名称だが、要は慢性胃炎である。

私は食べるが好き過ぎて栄養士の資格を取ったくらい、食べるのも、飲むのも大好きなのだ。それを取り上げられると、さすがの私の心もすり減る一方。一時期は体重の1割が減ってしまい、とにかく辛かった。

ただ、思い返せば、必要なブレーキだったのかもしれない。今までの人生を振り返ると、とりあえずアクセル全開で、仕事も、遊びもまっしぐらで走ってきた。私は欲深い。そして真面目なのだ。与えられた役割は果たさないと気がすまないので、仕事もやり過ぎることが多いし、家事も完璧にやりたいし、遊びも手を抜きたくない。一緒にいてくれる人は全力で楽しませたいのだ。

いくらやってもまだ足りない気がして、自分はできない人間だなと思っている。だからまたやってしまう。いつまでたっても、理想の自分には追いつかない。

そろそろ足し算から引き算の発想になっても良いのかなと思わせてくれたのが、今年の体調不良である。立ち止まって考えなさいと体が叫んでいる。いくつまで生きるかはわからないけど、人生すでに折り返していてもおかしくない年齢に差し掛かっている。今、私に必要なのは、「待て!」なのだ。毎日、我が家のわんこには言い続けているのに、主人は「待て」ができていない。

ということで、対策としてやってみたことは、日記を書くこと、仕事以外の趣味をはじめること、人にまかせることである。

日記については、普段、PCに向かう仕事なのであえての直筆を選んだ。久々にペンを持って字を書くことをしてみると、心が落ち着くのがよくわかった。体調不良のピークは今年の4月と9月だったが、9月の自分の誕生日に日記帳を買い書き始めた。書いてみると、この体調不良は完璧主義からくるストレスにあるのではないかと気づく。

頑張ることは私のアイデンティティであり、趣味みたいなもので、切っても切り離せない。そんな自分が好きでもあり、嫌いでもある。でも、年齢を重ねると、今までのようには走れないのよね。「つかれたぁ」と、日記の中の私が言ってるよ。

いつの間にか、疲れたイラスト書いてたわ

真面目な私はいつも仕事に全力で向かってしまい、つまづく。仕事以外の時間も充実させねばと、念願だったピアノを始める。数年前から、やりたいと言っていたけど、もうモノを買うしかないとキーボードを購入し、ピアノ教室に入会。なんせ私には小学生以来の夢がある。ショパンの「別れの曲」を弾きたいのだ。小学校の帰宅時間に流れていたこの曲。曲を聴くと、校庭でいつかこの曲を弾きたいと憧れていた10歳の自分が蘇る。夢の再始動が2024年になった。

さて、最後が私が一番苦手である、人にまかせるである。なんでも自分でやってしまうことが楽な私であるけど、これでは何も変わらない。よくよく考えると、人にまかせるのが苦手だなんて、おこがましい話だ。私よりもできる人がいっぱいいる中で、なぜこんなに背負ってしまうのか。

幸い、私の周りには、たくさんの優秀な人達がいて、仕事も、家庭も、友人も私が目くじら立ててやらなくたって、きちんと世界は回るのだ。勝手に一人で背負っている鉄玉を、みんなに一緒に持ってもらう一年だった。一度手を離れてしまえば、そんなに重い玉でもなかったかも。

ということで、ようやくブレーキのかけ方を覚え、自分という車の運転ができはじめた。仮免許に手が届くくらいか。友達に話したら、「え?今さら?」と言われてびっくりした。みんなはもっと器用に運転ができるらしい。日本の学校教育だと「努力は正義」だったよ。ブレーキのかけ方はおしえてくれなかった。教科書どおりにやってきたのに、義務教育のバカやろう。どうやらやりすぎないことは大切らしい。好きになりすぎない、夢中になりすぎない、頑張りすぎない。「すぎない」くらいが、私にとってはちょうどよい。

アクセル踏みつつ、ブレーキをかけてみると、今まで早すぎて見えなかった景色も見えてくるようになった。日常生活の尊さ、周囲への感謝、健康の偉大さ。おそらくこれからも私は、首都高速を100kmで爆走しながらも、渋滞にぶつかって、ブレーキをかける。あ、そうだ、ここは一時停止だったと気づく。そんな人生なんだろうけど、嫌いじゃないな。来年も真面目な陽キャでよしなに生きていこう。

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