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「気配りのできる女性」像が私たちを生きづらくさせるのか

12万部の人気書籍『オトナ女子の気くばり帳』なるものが存在するらしい。筆者は著者について全く知らないのでここでは特に個人バッシングをするつもりもないし、不買運動などもささやかに実行したくない。ただし「気配りができる女性」=「空気を読める女性」が清く美しいヤマトナデシコと思われる風潮も何とか避けたいものだ。

そもそもなぜ「大人の女子」だけが気配りが出来なければならないのか。新卒男子・女子でも中年男性でも人間だれしも気配りができた方がイイに違いない。

筆者が思うに「若くもなければスキルもない」市場価値が減ったとされる「大人女子」だけにセールスポイントとして最終通告として出されるものが「気配りができるか否か」なのではないかと予測する。

第二のそもそもとして「気配り」は「人の立場や相手の身になって進んで行動するから生まれる結果」なのであって戦略的にするものではない。中には戦略的にする人もいるかもしれないが小利口な生き方であって決して讃頌されるべきではないだろう。

だからと言って自己中心的に生きるべきだとは言えない。周りを顧みずに行動することがベストとは言えないが、自分を犠牲にして生きるべきではない。特に女性には嫁や母や介護役など様々なかたちで社会的重圧がのしかかりやすいのだ。「気配り」の背後でどのような弊害が起き、誰が犠牲になっているのか、女性だけでなく、社会全体で考えてみてほしい。

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