揺れ動く家族観、不妊治療がもたらす葛藤。アートで問いかける「産む」のリアリティ|美術家・井上裕加里、美術作家・碓井ゆい
変わらない家族観が、生きづらさをもたらしている
──井上さんは「産む」プロジェクトで、展示『産まみ(む)めも』に向けて、どのような作品をつくっているのでしょうか?
井上:特別養子縁組制度や里親制度を利用した経験がある当事者の方、もしくは利用を希望しているカップルの方に、家族の絵を描いていただき、それをもとに臨床心理士の方とお話しいただく様子を映した映像作品を制作しています。
描いた絵を見ながら、ご自身の「家族」に対する気持ちを掘り下げていただく。すると、さまざまな立場の方々の多種多様な家族像が浮かんでくる……鑑賞者の方には、それらに触れることで、ご自身の家族観を見つめ直していただくきっかけにしてもらえるといいなと思っています。
──参加者が描いた絵画をもとに臨床心理士と対話することで、人々が持っている多種多様な家族像を浮かび上がらせると。
井上:はっきり言って、すごく難しい作品だと思っています。人を映像に撮るだけでもとても暴力的なのに、その人の言葉を切り取って、編集する……一歩間違えると、出ていただいた方を深く傷つけてしまう危険性をはらんでいることは事実でしょう。
ですから、専門家の方にレビュアーとしてアドバイスをいただいたり、危険性を指摘していただいたりと、十二分に配慮しながら制作しています。関わってくださる一人ひとりと丁寧に向き合って、協力してくださった人を傷つけずに、この問いと向き合えるよう模索しているんです。
──そうしたリスクを承知の上でも、井上さんがこの作品をつくりたいのはなぜでしょう?
井上:「産む」プロジェクトを通して、いま社会の中で主流となっている家族像に対して、強い疑問を抱いたんです。社会は変わっているにもかかわらず、戦前の明治民法に基づいた家父長制家族や、血縁関係をもとにした家族関係など、旧来の家族像がそのまま受け継がれているような気がしまして。
その結果、私たちのリアリティと大きくズレが生じ、生きづらさの原因になっているのではないでしょうか。そうした生きづらさを取り除くための第一歩として、まずは実際にみなさんがどういった家族像を持っているのか、知ってもらいたいと思ったんです。
不可視化されている、「余剰胚」をめぐる葛藤
──続いて、碓井さんは、どのような作品を制作しているのでしょうか?
碓井:体外受精に代表される生殖補助医療の中で生まれる「余剰胚」を擬人化し、その会話を読むような作品をつくっています。
卵子と精子を受精させた後、胚や胚盤胞という状態に成長した受精卵を子宮に移植し、それが着床すると妊娠するというのが、通常の体外受精のプロセス。その際にできる受精卵や胚は、多くの場合、一つではありません。もちろん体外受精は一度で成功するとは限らないので、多くは後の治療で使われていきます。とはいえ全ての胚が移植されるわけではないので、どうしても“余剰な”胚というものが生まれるわけです。
──その余剰胚を、なぜ擬人化しようと思ったのですか?
碓井:余剰胚は理論的には半永久的に冷凍保存できるのですが、日本の場合は日本産婦人科学会の指針により、生殖可能年齢までしか保存できないんです。つまり、いずれは“胚の廃棄”を決断しなければならない。そして、「これは子どもを殺すことになるのではないか?」と、悩んでいる方が少なからずいらっしゃいます。擬人化するというアイデアは、そういった葛藤にもとづいています。
それにもかかわらず、社会ではそうした悩みや葛藤の存在自体が、ほとんど認知されていないなと感じていまして。私も、かつて自分が不妊治療を経験するまでは知りませんでした。とはいえ親側の葛藤は、結局は個々人の置かれている環境によって異なるので、なかなか多くの人に訴えかけるものになりづらいとも感じました。であれば親ではなく、待っている胚の側の心情を表現すれば、もう少し客観的で、みんなで感覚を共有できるものになると思ったんです。
またもう一つの意図としては、体外受精を支える「胚培養士」という職業の方々の存在や心情も、うまく伝えられたらといいなと考えています。
──胚培養士、ですか?
碓井:採卵、採精後の卵子と精子を受精させ、移植するまでの間、受精卵の世話をしてくれる方々のことです。今回のプロジェクトの中で、現役で胚培養士のお仕事をされている方のお話を伺ったのを機に、「重要な仕事であるわりに認知度が低いのでは?」と感じました。治療経験のある私ですら、ほとんど知らなかったくらいですので。ですから、胚培養士さんの紹介やお話も、何かしら作品に反映させられたらいいなと思っています。
演劇ワークで「思いもしなかった自分」に出会った衝撃
──次は、ここまでお話しいただいたお二人の作品のアイデアが、「産む」プロジェクトの中でどのように生み出されていったのかも聞かせてください。そもそも井上さんは、プロジェクトに参加する以前、「産む」に対してどのようなイメージやお考えを持っていましたか?
井上:私は30歳で夫もいるのですが、もともとは結婚せずに一人で生きていくつもりだったこともあり、「産む」について自分事として考えたことはあまりありませんでした。ほぼ無知の状態で、「産む」プロジェクトに参加するというかたちでしたね。
ですから、今回のプロジェクトではまず、「産む」に関して選択肢がたくさんあることにすごく驚きました。例えば、参加者の同性カップルの方々とお話ししたとき、「自分たち二人の血縁の子どもは持てないし、特別養子縁組も現状の制度では難しいけれど、里親制度を利用したい」とおっしゃっていて。これまで自分はそうした選択肢の存在に、気づくことすらできていなかったのだなと思い知らされました。
──当事者の方々を通じて、「産む」にまつわる価値観や選択肢の多様さを知ることができたと。
井上:ただ、驚いただけではなく、心から共感できる点がたくさんありました。その同性カップルの方々も、「本当を言えば里親制度すらも利用せず、地域のおじさんとして子どもに関わりたい」とおっしゃっていて。
私はもともと、美術教育に関わる仕事をしていたり、夫の家族に教育者が多かったりすることもあり、「自分の子どもじゃなくてもいろいろな子どもの面倒を見るのは当たり前」という価値観で生きてきました。そういう中で、「子どもを親だけでなくみんなで育てていける社会になればいいのに」と強く考えるようになっていたので、その同性カップルの方々のお話を聞いて、「あぁ、私だけじゃなかったんだな」と嬉しさを感じました。
また、プロジェクトの中で、特別養子縁組や里親制度を経験した当事者のお話を聞く中で、経済的な負担などその課題や難しさも痛感しました。そうしてより一層、「どうすれば社会全体で子どもを育てていけるのだろうか?」という問題意識を強く抱くようになりましたね。
──冒頭でもお話しいただいた「家族の絵を描いていただき、心理士の方とお話ししていただく映像作品」というアイデアは、どのくらいのタイミングで生まれたのでしょうか?
井上:実は、プロジェクトのかなり早い段階から、この作品にしたいと思っていました。
ワークショップの中で、「もし出生前診断で思わしくない結果が出てきたら?」というお題で演劇をしてみるワークがあって、私は「結果に対して不安を抱いている夫」の役を演じたんです。そこで、普段なら絶対に考えすらしないような言葉が自分からスラスラと出てきて、ものすごくショックを受けました。
日常とは違う方法で自分と対峙することで、思いがけない自分に気がつくことがある。そういう体験をできるだけ表現できたらなと思ったんです。その上で家族の絵を描いていただき、心理士の方とお話ししていただくという方法を選んだのは、美術を通して子どもたちと関わる中で、「絵を描くという行為はその人の思いや葛藤を浮かび上がらせる」と体感していたからです。
「産む」に“普通”はなく、一般化できない
──碓井さんは先程、「産む」プロジェクトに参加する以前から、もともと不妊治療をご経験されていたとおっしゃっていました。
碓井:はい。若い頃は「自分は産まないかな」と思っていたのですが、年齢的なリミットが訪れる中、結局は不妊治療の世界に入っていきました。実際にその世界を垣間見ると、産む/産まないの判断はもちろん、不妊治療の進め方から出生前診断まで、みなさんがその都度、とても難しい選択をしているのだと知りました。とはいえ個人の選択であっても、結局は一定の条件のもとでしかなされないので、社会的・政治的な話ではないかとも強く感じていたんです。
ただ、今回のワークショップに参加してさまざまな立場の方々と触れ合う中で、風通しの良さのようなものを感じました。「家族を持つ」ということすら超えて、子どもとどう関わっていくかということを、すごく主体的かつ前向きに考えようとしている方が多かったからです。
特に、不妊治療を選択したかつての自分とは異なる選択、つまり特別養子縁組や「産まない」という選択をした方々のお話は、とても興味深かったです。境遇や状況が全く違うと、自分では思いつきもしなかったような考え方になるのだなと。「人様の子を育てる」ということに伴う責任感、第三者の配偶子によって生まれてくる場合の子どもへのコミュニケーションの取り方……その状況に置かれて考え抜かなければ、安易に想像すらできないお話をたくさん聞きました。「産む」ということは個人個人によって全く違っていて、“普通”なんてものはなく、一般化はできないのだなと強く思いましたね。
──ご自身の価値観からは想像もできない、「産む」にまつわる多様な価値観に触れられたと。
碓井:それから「産む」だけにこだわらず、子どもを育てたり関わったりする方法は限りなくあるし、そういうことを考えるのはとても創造的なことなのだと実感しましたね。特に、「胚培養士を目指して勉強している」という20代女性の参加者の方が印象に残っています。そういう形で子供と関わる、という発想に感心しましたし、自分の視野の狭さに気付かされました。
「余剰胚の擬人化」というアイデアは、ワークショップの参加者、アドバイザリーの専門家の皆さんとのお話や、自身の経験の中から、少しずつ浮かび上がってきたものです。認知度が低い問題だけれど、そこに伴う悩みや感情には、誰しもが共感や理解ができる部分があるのではないのかなと思っています。
価値観はまだまだ変わっていない
──お二人とも、プロジェクトを通してご自身としてもさまざまな価値観の変容を経験し、その結実として作品制作をされているのですね。
井上:自分主体では企画しなかったであろう「産む」というテーマをいただき、いつもなら目を向けない問題が目の前に広がってきて、作家として貴重な成長の機会になっていると感じています。
また建築家やプロダクトデザイナーの方々と展示をご一緒することも新鮮で。アプローチは違っても、目指すものは一緒なのだなと実感でき、とても嬉しかったですね。
碓井:私も「産む」という大きな枠組みをいただいたからこそ、思い切ってピンポイントな題材を選ぶことができたと感じています。また枠組みがあるからこそ、手法としてもいつもとは違って、造詣的な面白さよりもテキストベースで「伝える」という選択を取れている気がしますね。
それから主催の「公共とデザイン」のみなさんがデザイン畑の方々なので、美術畑の方々とは異なる価値観やアプローチを取られていて、とても勉強になりました。レビュアーの方々にしっかり入っていただくなど、ユニバーサルに社会をいい方向に導いていこうという意志を強く感じ、「見る人に委ねる」ところがある美術との違いを感じられましたね。
──最後に、展示『産まみ(む)めも』に向けた意気込みを、一言いただけますか?
井上:来てくださった方に当事者意識を持っていただき、一緒に問題を考えていけたらいいな、というのが一番ですね。アートのみならずデザインや建築など、幅広い分野の作家が出展するので、アート好きな方に限らずさまざまな方々に来ていただけたら嬉しいです。これからどういう社会をつくっていくのか、一緒に考えてみませんか?
碓井:「産む」にまつわるさまざまな技術はすでに出てきていて、その恩恵で生まれた子どもたちもたくさんいます。ただ一方で、世の中には伝統的な家族観がまだまだ根強いのも事実です。だからこそ、それぞれ違う角度から「産む」にアプローチしている今回の展示にぜひ来ていただいて、さまざまな価値観や選択肢について考えるきっかけが作れたらすごく嬉しいなと思っています。
──今日はありがとうございました! 展示でお二人の作品を見られるのを、とても楽しみにしています。
(Interview & Text by Masaki Koike)
渋谷OZ Studioにて、3月18日〜23日に開催。産むにまつわる価値観・選択肢を問い直す展示『産まみ(む)めも』の詳細はこちら。