怪談「のぶぶん」

 これは保育園のときのママ友の話です。
「みっきーのつきのぶぶん」
 保育園の帰り道、自転車の後ろに乗っている子どもが妙なことを言った。今日も疲れた。みっきーのつきのぶぶん。ミッキーの月の部分?なるほど。ミッキーマウスのミッキーという言葉には月という言葉がある。何ー?いきなり、みっきーのつきのぶぶんあるねー、このまえのディズニーランド楽しかったねー。子どもにそう言うとケラケラ笑った。この前行ったディズニーは全然楽しめなかったのに。少なくとも私は。この子は乗り物やパレードよりも、アトラクションの通路わきの変なくぼみみたいなところを妙に気に入ってしまい、しばらくそこから動こうとしなかった。訳がわからない。せっかく早起きして高い料金払って行ったのにろくに園内をまわれなかった。だけれど、今回はこの子のはじめてのディズニーだったし、本人が楽しそうならまあいいか。そうだ。そう思わなければいけない。早生まれだから仕方ないとわかっていても同級生となるほかの子どもたちと比べると、この子はどうしても話しだすのは遅かった。けれど、最近は目に写るものをあれこれ指をさして教えてくれるようになった。それだけでも良しと思わなければいけないのだ。この帰り道にミッキーマウスの看板はなかったはずだから、私には退屈だったこの前の思い出を、この子なりにいい思い出しとして取り出してくれているのかもしれない。保育園で習ったのー?と聞き返したが、ケラケラという笑い声だけが聞こえる。身体がおもい。疲れた。自転車のスピードがあがる。急いでスーパーに寄って帰らなくちゃ。十二月に入り、日の入りもはやくなったからもう暗い。月がでている。やけに今日は身体がおもい。どうして毎年毎年年末って忙しくなるのかわからない。世の中みんな忙しくなるのをわかっていながら十二月をむかえている。この前はじめて、この子も、どうして月が追いかけてくるのか訊ねてきた。自分も幼いとき親に尋ねたことがあったし、ツイッターの友達のところの子どもも訊ねてきたとツイートしてバズっていたっけ。
「たきのうといれのたきのおといれのぶぶん」
 たきのうといれのたきのといれのぶぶん?何それ?多機能トイレのこと?また聞き返したけれど、やっぱりケラケラという笑い声だけだった。ほかにも何か言っているのかもしれないが、風が強くて他の返事は聞き取れない。滝のおトイレの部分ってこと?保育園で変な言葉遊びをおぼえたみたいだ。そういえばこの前なにかのネットニュースで、今年の流行語とされる「○○の○○部分」という構文?が紹介されていた気がする。流行語と言われても見たことも聞いたこともない。ツイッターで流行りだした遊びらしい。多機能トイレの滝のおトイレの部分、試しに口にだしてみた。言ってみるとばかばかしすぎる。子どもと多機能トイレを使ったことがあっただろうか。しばらく考えると、そういえばある。十一月あたまに臨海公園にピクニックしに行ったとき。この子はなんてことはないつまらないことに大泣きして走り回った。多機能トイレの前でのたうち号泣する子どもを抱き抱えるとき、清掃の人が手をとめて私たちを眺めながら微笑んでいたっけ。放っておいてくれ。多機能トイレの滝のおトイレなんて、おしっこよりも涙のほうが滝だよ。私も泣きそうだったし、滝のおトイレなんてすごい勢いで水が流れてばかかよ。
 十月ごろまで陽射しが強くて暑くすら感じたものだったから外遊びは気がひけていたっけ。けれどこの前はさすがに肌寒かった。ボール遊びにあきたらシャボン玉をやとろうとしたけど、海風が吹いて次から次へとシャボン玉が飛んでいったっけ。意外と割れずに飛んで行くんだな。陽射しに反射した海が眩しくて、きらきらした波間の先にある船が黒く見えた。
「わたりにふねのにふのぶぶん」
 何?わたりにふねのにふのぶぶん?渡りに舟の何?二歩って将棋のやつ? すごいねー どこでそんな難しい言葉おぼえてきたの?どこを渡るのー?こんな言葉遣い渋すぎる。おかしい気もするけど、そんな会話もどこかでしたような気もする。わたしじゃなくとも、もしかしたら義実家で将棋を教えようとしたのかもしれない。この子はまだ私としりとりだってろくにできないのに。バカなやつら。正月に行かなきゃいけないのだりいなあ。それが終わればあっという間に誕生日だ。子ども相手でもへとへとなのに、義実家の相手なんてめまいがする。これ、いつまで続くんだろうか。
「あー疲れたーのカツカレーだーの部分」
「ない」
 すごいはっきりと返事をされた。信じられない。うちの子じゃないみたいだ。こんなにはきはき喋れたんだ、この子。やっぱり保育園に預けて正解だったんだ。子どもって成長って急にするって、こういうことなんだ。なんだか急に嬉しくなってきた。最近は忙しいし、身体がつらいし、何もかも嫌になっていたのに、妙に楽しくなってきた。ちゃんと会話できるのってこんなにおもしろいんだ。
「ママもその『○○の○○部分』やってみるから、✕✕ちゃんが続けてみて!いくよー、マイクラの」
「いくらのぶぶん」
 帰ったらやろっかーこの子は無料版を飽きもせず繰り返し繰り返しやっている。小学生になってもやりたがるだろうか。イクラ、最近食べてないな。スーパーでお寿司買おうかな。子どもができる前は好きなときに女友達と旅行に行って、食べたい物を好きなように食べ、飲みたいものを好きなように飲んでいたのに。2人目が欲しいと軽く言われるがたまったものではない。
「メロンパンの」
「ろんぱのぶぶん」
 論破ってどこで覚えたのー?ユーチューブの見せすぎだろうか。論破なんてムカつく言葉だ。バカな上司がとあるインフルエンサーの信者になってしまって、仕事をさぼって延々とショート動画を見ている。ちゃんと働けよ。ただでさえ仕事がきついのに。ほかにも変なインフルエンサーとかも多いし、家で子どもにも真似されたら耐えられない。もっとネットを制限したほうがいいんだろうか。スマホっていくつになったら持たせるのがいいんだろう。この前、公園で小学三年生くらいの子どもが持っているのを見た。それくらいがいいんだろうか。スマホなんて高価なもの、この子がその高価さやお金のことを理解できるようになってからじゃなきゃ、買い与えるのなんてできるものではない。
「ウィンナーの」
「いんなーのぶぶん」
 今日はウィンナー買わないからねーこの子は好き嫌いが激しく、一時期ウィンナーしか食べなかった。あれこれ他の物を食べさせようとして失敗し、ほとほと困ったものだった。栄養バランスを考えて苦労して作ったのに食べてもらえず、ある日食事を床に投げ捨てられたとき、とうとう我慢の限界で怒鳴りつけて思い切り平手打ちしてしまった。私もこの子も大声で泣いた。その当時のことはなんだか霞がかかったみたいに思い出せない。イカ墨の霞の部分。インナーかあ、厚着させると汗かいて汗疹ができやすいし、けれど着せないと風邪をひくんじゃないかと心配してしまう。子どもの小さい頃はあっという間に過ぎていって、忘れることも多いっていろいろな人が言う。育児や保育ができるうちに思い出を大切に、とも付け加えて。ただそんな高みの見物みたいに言われたところで、過ぎ去っていくだけのような日々を耐えしのぐような状態なのだから、どうしろと言うのだ。昨日のことも思い出せないことが増えたし、今日のこの会話も思い出せるかわからないのに。
「まいばすけっとの」
「ばすけのぶぶん」
 もうちょっとで着くからねーまいばすけっと。そこでようやくおかしいことに気がついた。私たち、坂を下っている。スーパーに立ち寄って家に向かう帰り道に、下りの道はないはずなのに。我にかえってまわりの町並みを見渡しても、見たことがない建物ばかりだ。この道がどこなのか、わからない。いったい今どこにいるのかわからない。すぐにブレーキをかけたが、ダメだった。自転車がとまらない。ブレーキが壊れたみたいだ。どんどん加速していく。とたんに怖くなった。どうしてこんな目に合わなきゃいけないんだ。どうして?どうすればいい?どうやって自転車をとめればいいのかも、どうやって子どもを無事に降ろせばいいかも、わからない。いや、チャイルドシートに座らせてヘルメットもさせているのだから無理に降ろさないほうが安全だ。しっかりつかまってと叫んでうしろを振り返ると、後ろに乗っているはずのうちの子どもはいなかった。そこにいるのは違う子どもだった。見ず知らずの子どもだった。やけにニヤニヤして楽しそうに笑っている。見ず知らずの顔だとおもったが、なぜかどこかのだれかの顔であるような気もした。うちの子どもと同じではない顔であるのは確かだが、全く違うわけではなく、どことなく似ている。しかも、大人びているようにも、老けているようにも見える。見ようによっては旦那の顔の部分もある気がするし、義父母の部分もある気がする。お世話になってる年上の保育士さんの部分もある気がするし、まいばすけっとのレジ打ちのおばさんやディズニーの若いキャストの男の子、臨海公園の清掃のおじさん、職場の上司、疎遠になった女友達、いろいろのにんげんの顔の部分がひとつになっている気がする。ついには、ツイッター上の会ったことも見たこともない友達の顔の部分もある気がしてきた。ほんの一瞬の出来事のはずだけれど、これまで言葉を交わしたことがある全員のにんげんの顔がひとつになっているんだと思った。しいていえば、うちの子どもの部分がいちばんある気がする。

 気が付いたらそのママ友は病院のベッドの上だったそうです。不幸中の幸いで、打撲と骨折で済んだと言います。ママ友の事故現場は自宅とは反対方向の町の交差点で、保育園から数キロも離れていました。轢いてしまった車の運転手が路上に倒れたママ友に駆け寄ると、ぶぶんぶぶんとうわ言を繰り返していたと言います。ママ友は周囲の人々に、なぜあんなところに一人で行ったのかと責められても、わからないと答えるしかありませんでした。 「つかれていたしこわいゆめをみているみたいでした」
 ともママ友は付け加えて、誰にともなく言うのです。一人きりのときに、言い訳みたいに。
 一方で、本物の子どもは保育園の前で泣いているのを通り掛かった人が保護したそうです。ベテランの保育士さんも自転車に乗った二人を見送ったのに、なぜか本物の子どもが置き去りにされてしまって。本物の子どもが言うには、その日はずっとのぶぶんのぶぶんと意地悪なことを行ってくる変な子がいて、ママ友はその子を自転車に乗せて行ってしまったと言います。その子はどんな顔だった?本物の子どもにそう尋ねると指さして
「あなたみたいなかお」
 そうはっきり答えたそうです。

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