私の中の人たち
私は、解離性同一性障害という障害と共に生きている。
これから話すのは、あくまで私の場合での話だ。
他の解離性同一性障害の人たちのことは、よく知らない。
専門家の見解についても詳しくない。
ネットで解離性同一性障害を検索すると「そんな障害は存在しない」とか「詐病だ」という意見もあるようだった。
私自身も2年前までまさか自分がそんな不思議な障害の影響を受けているなんて思いもしなかったから、「そんな障害は存在しない」と言っている人の言いたくなる気持ちもわかる。
精神の病って言うのは、名に見えないものだし。
日本の精神医療は遅れていると言われている。
専門のお医者さんでさえ理解が遅れていることを、専門外の一般の人がどう理解できるというのだろうか。
また「解離同一性障害」は、「多重人格」などともてはやされ、ドラマや映画で派手な事件や設定や奇抜なキャラクターとセットにして取り上げられているから、そういう奇抜なイメージばかりが一人歩きしてしまって、肝心のリアルに障害を持っている人のことを綴った情報はあまりないのが現状だと思う。
ひどい犯罪を犯した犯人が「解離同一性障害だったから」と罪を逃れようとしたりするのを見て「嘘つけ!!!逃げるな!」と言いたくなる人も多いだろう。
そのイメージを胸に、解離同一性障害にリアルで苦しむ人に対しても犯人に対するのと同じような疑いや憎しみの眼差しを抱いてしまったりすることもあるのかもしれない。
そんな社会や障害をもたない人たちは、ここはちょっと放っておかせていただく。
そして、とにかく私は私のためにこの不思議な障害と障害との付き合い方について書いていきたいと思う。
願わくば、私と同じような人の役に立てば幸いである。
私は、10代の後半から20年以上、謎の「胸の苦しさ」や「頭の中の声」に悩まされ続けてきた。
そんな私が38歳の頃、自分が解離性同一性障害なんじゃないんだろうかと勘づいたことで、初めて自分に対する接し方がわかるようになった。
だから社会や他の人にとっての真実・事実はどうであれ、私は解離同一性障害は存在するなぁと思うし、あの慢性的な胸の苦しさは解離同一性障害の症状が拗れたことによるものだったんだなと思う。
自分の障害について気づいてから2年間、私は1日1日と日々を重ねるごとに安心感を得て、幸福感を感じられるように回復してきている。
やはり自覚は何よりもまず大きな回復への第一歩なのだと思う。
長い長い間、、、20年間以上途絶えることなく続いた湧き上がる緊張感・孤独感・焦燥感・不安感。
それらが体の中から抜けた時、「あぁ、普通の人の生活とは、なんと静かで安らかなものなのだろうか 健康な人はこんなにも楽に息をしていたんだな」と私は初めて知った。
私の中には、何人かの違うキャラクターの人間が、住んでいる。
現在、私は、その人たちと一緒に仲良く共同生活をしながら生きている。
それはどんな感じかというと・・・子供が見る戦隊モノのテレビ番組で5人とか3人のレンジャーたちが大きなロボットに乗り込み、みんなでロボットを操縦しながら敵と戦う・・・あの感じが近いのかもしれない。
私という巨大ロボットの中で数人の違ったキャラクターの人物が、みんなで仲良く暮らしている、今現在は・・・。
「今現在は」と書いたのは、彼らが仲良くなかった時もあったからだ。
今振り返ってみると、10代後半、障害を発症してから30代後半まで長らく20年間ほどの間、あまり仲良くできていなかった。
表面的に私は、仕事もプライベートも一生懸命頑張っていたけど、でも内側のそれぞれの人格を丁寧にリスペクトを持って扱うことは全くできていなかった。
私の中の人格たち。
私は、彼らに対してはっきりとした名前をつけたこともないし、彼らの顔や正確な人数も把握していない。
もしかしたら私が把握している以外にも人格がいるのかもしれないし、私が人格Aと人格Bだと思っていた人格が実は一人の人格だったってこともあるのかもしれない。
私は、彼らの全てを明瞭に把握し、それぞれを私の思い通りにコントロールしているわけでもないのだ。
彼らと私は平等で、どちらが優位ということもなく、みんなで「私」という同じロボットに住んで手探りで共同生活をしている感じなのだ。
「私」の中は、暗くてお互いの顔は見えない。
でもお互いの発する声は聞こえる。
私には、彼らが表面に出てくるタイミングや交代する順番を意図的に操作できるわけではない。
それだけでなく、人格が交代して表面に出来る瞬間も、私は、ほとんど無意識で自分では交代に気づかない。
私の人格交代の瞬間は、私の周りの状況やそれに対して反応する私の喜怒哀楽に左右されている。
解離性同一性障害の他に私にはもう一つ大きな障害がある。
PTSD(心的外傷後ストレス障害)だ。
これは、過去に何か飛び抜けて衝撃的なことを体験した人間が、その場面に感じた衝撃や恐怖や怒りなどのストレス感情を強く記憶してしまうことを原因とするらしい。
強いストレス体験の後の生活で同じような状況や環境や人に遭遇した時に、過去に抱いたのと同じような衝撃や恐怖や怒りなどが猛烈に瞬時にこみ上げてきて、怖くなったり、苦しくなったり、怒ったりしてしまう・・・そのことによって普通の生活をリラックスして気楽に過ごすことが困難になるという障害である。
例えば津波や地震などの災害である。
お父さんが漁師のA子ちゃんは漁村に生まれて毎日泳いで美味しいお魚をたくさん食べる幸せな日々を送っていた。
ある日大地震が来て津波が起きる。
A子ちゃんが大好きだった海から大きな津波が押し寄せて目の前でお父さんの乗った漁船とお父さんが海に流されてしまう。
それ以降、A子ちゃんは海を見るのも泳ぐのもできなくなてしまう。
海を見たり、海を思い出すものを目の当たりにするとあの津波の光景がまざまざと押し寄せて強くなってしまう。
A子ちゃんは、もう海には近づかなくなってしまった。
もう一つ例えてみよう。
Bさんは戦争に行った。
Bさんは極限状態の戦場での戦いで毎日たくさんの銃弾の音を聞いた。
何度も鉄砲に当たって何度も怪我をしたり、死にかけた。
任期を終えて帰国したBさんを家族が優しく迎えてくれた。
しかし子供のおもちゃの銃の音を聞いたり、銃弾の音に近いような何かの破裂音を聞くとBさんは一瞬にして戦場にいる自分に戻ってしまいその場にうずくまって動けなくなったり、攻撃的になってしまう。
そんなBさんに家族は、だんだん近づかなくなってしまった。
Bさんもまた自分が嫌われることをしてしまうのが怖くて孤独を深めていった。
この障害は、目に見えないけどとても強力で結構しつこい障害だ。
何年も何十年も経っても、例えば、その本人がその時の記憶を忘れてしまっていたとしても、その時に味わった衝撃や恐怖や怒りの感情はしっかり冷凍保存されている。
そしてそれを無意識に思い出させる出来事があるだけで、本人を何の説明も何の予告もなしに怖がらせたり、苦しめたり、怒らせたりする。
この障害は目に見えないし、この障害がない人からこの障害がある人の行動パターンや反応をみていると「何度大丈夫だと言い聞かせてもわからないやつ」「昔のことにくよくよこだわる幼稚な人間」「神経質で付き合いにくい面倒なやつ」に見えてしまう場合もある。
私の場合も、そしてきっと一般的にも、このPTSDの発作と解離性同一性障害は関連があるように感じている。
私の場合、何か嫌なことを無意識にでも意識的でも思い起こさせる人物や状況に出くわし、PTSDの発作が起きるとそれがきっかけとなり私の中の人格がパニックを起こし良くない形(苦しい形)で表に出てくるのだ。
どんな時に人格は交代するのか?どんな人格が存在するのか?そのタイミングときっかけになる状況、そして私と人格たちとの付き合い方を、分かりやすいものを少しだけ書いてみる。
例えば、「小さい子供の人格」。
私は、テレビや映画で30〜40歳くらいの女の人が病室で寝かされているシーンを見ると涙が止まらなくなりポロポロポロポロ涙を流す。
別に泣くようなシーンじゃなくても涙が止まらなく出てくる。
これは私が幼い頃に母を亡くして、その時の母の姿と目の前の映像を無意識に結びつけてしまって、幼い子供の頃の私の人格が表に出てきて大人気なく泣いてしまうからのようだ。
40歳のおばさんになった今も「お母さん・・・」と言いながらポロポロ泣いてしまう。
8歳の頃の感情は、まだはっきりと私の中に生きている。
例えば、「怒りの人格」。
私は接している相手が「自分の立場を保つために(もしくは得するために)相手によって顔色や態度を変えたり、調子を合わせる人」だと感じると猛烈な怒りがこみ上げ、暴力的な欲求さえこみ上げる。
特にその相手が表向きに「良い人」として通っている場合は、特に頭にくる。
「こいつはこんなにズルいんだ!」「こいつはひどい偽善者だ!」
そんな風に全世界にその人のズルいところを知らしめて、大声で罵ってやりたい強い欲求が、猛烈にこみ上げる。
これは、私の中に冷凍保存された猛烈な怒りの塊が、人格になっていて、私の父に似た雰囲気の人や状況に出会うことで一気に瞬間解凍されて強い拒否反応を起こして暴れまわっていることが原因だと、ここ数年やっとわかってきた。
これに気付いた時、私は本当に心の底からホッとした。
だって自分でも自分の怒りの衝動に「私、なんでこんなに怒っちゃうんだろう・・・?確かにあの人はズルいし酷いけど、あいつぶっ殺してやりたいとか思っちゃうなんて・・・私は私は異常なんだろうか?私の性格は最悪なのかな・・・?私の両親が私に言っていたように私はやっぱり生まれつき根性のねじ曲がった悪い人間なのだろうか・・・?」とずっと心の内で自分を疑いの眼差しで見ていたから。
その異常な怒りの高まりがの原因が、単純にPTSDの発作(記憶の再現による感情の再現)であったことを知り、「あぁ、私の性格が生まれつき極悪で凶暴なわけではなかったんだ・・・」と安心した。
それから凶暴な自分の内側の声を「低俗なやつ」「そんなこと言ってはいけない」と見下したり、聞こえてくる声に蓋をしようとしたりするのを次第にやめていけるようになった。
「善い人」が存在するには、必ず「悪い人」が、必要。
父は、継母にとっても近所の人たちにとっても「真面目な人」「善い人」「不器用な人だけどとても良い人」と言われていた。
そして私は父からも継母からも周りの大人たちからも「困った子」「おかしな子」「悪い子」扱いされていた。
幼い私は、両親に泣いて謝りながらも心の奥底では気づいていた。
父親が「善い人」であるために私が「悪い子」を演じてやっていることを。
「偽善者!」「善い人面して教育を語ってんじゃねぇよ!お前らしょっちゅう私を殴って無理やり言うこと聞かせてるじゃねぇか!!」そんな言葉を何千回飲み込んだだろう。
そうして溜め込んだ猛烈な怒りには、やがて頭や手や足が生え、人格になってしまったというわけだ。
この怒りの人格には、これ以上無理をさせないようにしないといけない。
自分の怒りの人格のことに気づいてから、私は、相手によって顔色や言うことを変える人々との接触を親戚、友人、仕事仲間のすべてから少しずつ排除していった。
仕事や付き合いなど、それによって失うものもあるが、自分の中の怒りの人格が怒りをこれ以上溜め込むよりはマシであると思うようになった。
思えば、彼の存在に気づくまで私は彼に一番無理をさせ続けた。
いじめ続けたと言ってもいいかもしれない。
苦手な人や物に出会った時、彼が私に怒りを感じさせ「そいつのそばにはいたくないよ」「関わらないで」というサインを送っているにもかかわらず、「は?そんなこと言ってたら嫌われちゃうじゃん?あんたは、嫌われ者になりたいわけ?」「何言ってんの?私なら上手くやれるよ!」と無視した。
そして結局彼の警告したように実際に嫌な思いをするような体験をした。
なのに、何の反省もなく、「何でだろう?」「もっと頑張らなきゃ」「何処が悪かったんだろう?」と「嫌われない自分になりたい」「承認されたい」という表面の自分の欲だけを優先させた。
そんな無理な人間関係で浴びたたくさんの怒りや悔しさなどは、全部彼に丸投げして、抱え込ませ続けていた。
とても長い長い間。
彼はきっといつもゴミだめのように扱われて本当に惨めで辛かっただろうと思う。
今は彼に対して「ごめんね」と心から思う。
そして「女子高生の人格」。
私は女性の要求に萎縮して従ってしまうところがある。
怖いもの無しのオバはんが、ものすごくめちゃくちゃな要求をしてきたり、大して親しくもないのに「あんたこうよ、こうしなさいよ、あんた間違ってるよ」みたいにガンガン要求をしてきたりするのは、結構よくある話だ。
普通は「うるせえババアだな」とか「XXさんがまた、なんか文句言ってるな、めんどくさいな」と、「他人事」として聞き流す。
これが、なかなかできない。
「すいません、、、でもそんなつもりなくて」と自分の言い訳を言ってなんとか許してもらおうとしたり、「でも自分は頑張ってるつもりだったんです」と自分の正当性をアピールをして相手の承認を得ようとしてしまう。
高圧的な人間にとって、許可や承認を得ようとしてくる人間は、最も大好物の対象だ。
そもそもいちゃもんをつけられるようなことはしていないし、そんな間柄でもないのだから、こういうタイプの相手のことは、「この人、いろいろ文句言って絡んでくる面倒なタイプの人なんだな・・・」と思って、サッとその人の前から消える(無視する)、そして何をしても「のれんに腕押し」状態を作るのが一番簡単な解決策だ。
こういうタイプは、やって無駄な相手のことはすぐに察知する。
そして誰でもいいから次の絡む相手を探すだけだ。
このタイプの人は、ただ自分の中に渦巻く不満や相手に言うことを聞かせて承認を得たい気持ちのぶつけ先を見つけたいだけなのだから。
別にそれは私である必要はない。
だけど、女性から(だいたい年上であることが多い)何かを強く要求されるとなかなかNOと言えなかったり、彼女が持ってきた問題や要求を「自分が」解決しなきゃと思ってしまう。
必死で頑張ったり、要求に応えるうちに、相手はそれが当然だと思い、もしくは当たり前になり、要求はさらに高くなり、失敗を指摘され、様々な新たな責任を次々に科されることになる。
そして大体「あなたのために言ってるのよ」が、決め台詞である。
ふと気づくと自分のやりたいことや仕事とは全然関係ないことを「文句を言われないようにしなきゃ・・・」と必死でやっている自分を発見する。
これは中高生だった頃の私と継母との関係が、生きグセとして体に染みついていることが原因のようだとここ数年で気づいた。
高圧的な女性もしくは何かに不満を持つ女性と相対した時、それがスイッチとなり私の中の「女子高生の人格」が反応してしまい、パニックになる。
彼女の慌てぶりはすごくて、緊張と罪悪感と恐怖に駆られて必死で継母(相手の女性)に嫌われまい、文句を言わせまいと立ち回り出す。
一見「女子高生の人格」は、相手の機嫌をとりタテマエを保たせ人間関係をうまくいかせる努力をしているようにも見られる。
しかし実際は好きでもない相手を満足させ悦ばせるために自分の興味もないことについて膨大な時間と手間と体力と忍耐を費やし、気を揉み、緊張がとれない日々が続いているだけである。
常に下手に出続けることで、相手は支配関係を親しさと勘違いする。
「自分は彼女と親しくしている」それくらいに思い、悪気はない。
「女子高生の人格」は、「嫌われたくない」「怒られたらどうしよう」という悪循環の底無し沼の渦の中心でひたすらもがき、ぐるぐると翻弄されて延々と動けないまま。
この「女子高生の人格」は、一見被害者的で可哀想にもみえるが、ある意味一番気をつけておかないといけない人格とも言える。
冷たい言い方をすれば、限りある私の人生の時間をもっとも奪った人格だからだ。
今のところの私の対策としては、何か不満や要求をしてくる女性に出会って、「嫌われたくない」「怒られたらどうしよう」という感情が湧いてきた時は、自分でなるべく考えないように、対応しないようにしている。
「女子高生人格」が考える=恐怖で思い詰める だけだから、考えるのもやめないと辛いだけだから。
かわりに、わたしと同じトラウマのない旦那に状況を説明し、私(すでに「女子高生人格」になってる)の代わりに対応してもらうようにしている。
私がどうしても直接対応しないといけない場合は、事前に旦那相談に載ってもらって提案してもらった対応を淡々と行うようにしている。
旦那には、私が色々要求してくる女性の言いなりになりやすく、そんな自分に困っているけど、どうしてもまたやっちゃうから 私がそうならないように代わりに対応の仕方を教えて欲しいという旨が伝えてある。
旦那は、結婚6年の間に私の物事に対する反応のパターンをみてきている。
普段はテキパキ動いている私がPTSDで人格交代する都度怯えたり苦しんだり困ったり振り回されたりする。
また私は、少しずつではあるが、自分の障害について自分なりに分析して気づいたことをその都度旦那に話したりしている。
話しながら「だから私が悲しんだり怯えたりしている時はだいたいPTSDの発作で人格交代した人格がパニックになってるみたい。パニックになってる人格が下手に動くとこじらせるみたいだから、あなたお願いします」と言ってある。
旦那も前もって頼まれているから慣れたもので「ハイハイ」と作業としてやってくれる。
私の代わりに対応してくれた旦那は「いやーマジで厚かましいわ あの人」とか「不満ばっかりだな、あの人、なんか過去にあったのかな?」とか言うときもあれば、「あの人は、大丈夫だよ」と言うときもある。
それを聞いて判断材料にするようにしている。
これが、「女子高生人格」なら相手かまわず全ての場合において「全部私に原因があるんじゃ、、、あぁ、どうしよう、こわい、なんとかしなきゃ」というパニックが始まってしまい、なんの判断材料にもなりやしない。
この旦那に協力してもらうやり方はすごくうまくいっていて、今までの人生で私の周りに常に必ずいた支配的だったり、要求ばかりしてきたり、文句ばかり言ってくるような人間は、今はまったく居なくなった。
というか、わたしが直接接触する努力を自分に課すことをやめたってことか、、、。
こうやって私は、女子高生の人格が恐怖にまかせて勝手に他人の言いなりになって働くのを防いでいる。
そうしないと彼女は、私たちの限りある時間をひたすら文句を言ってくる他人に承認されるためだけに使い続けてしまう。
人生は、一度だし時間は限りあるものだ。
好きでもない他人のために必死に働いて、気づいたらおばあちゃんになってるなんて嫌だ。
私が自分が解離同一性障害だと気付いたのはたった2年前の事だ。
わかってからまだ日は浅く、自分の中の人格もぼんやりとしか把握していない。
でも日々、それぞれの人格について知り、彼らの交代ポイント、を知ろうと努めている。
交代のポイント、つまりPTSDの発作の起きるタイミングや条件を知っておき「あ、今発作が起きようとしている」と自覚することで、発作によって叩き起こされパニックを起こす人格たちをサポートすることができるからだ。
彼らの苦しみは私の苦しみ。
彼らに無理をさせないように大切にケアしていくことが、私の幸せに直結する。
トラウマを思い出させる状況に怒ったり、泣いたり、緊張したりしてそれぞれパニックを起こす人格たち、彼らはそれぞれ過去の私の感情の結晶である。
私の人格たちは、私が生き抜くためにの私の苦しみを私の代わりに背負って、私が死なないで済むようにしてくれた。
今彼らのおかげで私は大人になって自立し私だけの安全な場所を手に入れた。
だから今こそ私が彼らに寄り添う時なのだという気がする。
というか、やっと寄り添える私になれた。
今まで放ったらかしてごめんねって思う。
「これはただの発作で昔を思い出して苦しいだけだから、今はそんなこと起きてないから、大丈夫だから安心していいから」
とか
「あの頃みたいにもう無理しなくていいよ、たくさん、たくさん無理させてごめんね」
とか
「今は、大人になった私がついてるから。似たようなことがおきても大人の私が守ってあげるから、大丈夫だからね」
PTSDの発作で人格たちに緊張が走る度、彼らをギュッと抱きしめるように話しかけること。
親や他人からの承認を得ることや、世間の常識や理想に合わせることを優先して、苦しむ人格に無理を強いるようなことをしないこと。
そのために知恵を使い、工夫を少しずつ増やしていくこと。
人格たちの安心と心地よさを優先した生活を選択していくこと。
そんな毎日を積み重ねることで、次第に彼らは安心し落ち着いてくれる。
そして彼ら以外の誰にも与えることができない、私がずっと欲しかった「本当の幸福感」を与えてくれるのだ。