「アダルトチルドレン」① 生きづらさに苦しむ人たち
アダルトチルドレンって呼び方・・・あんまり好きじゃない。
「体は大人になったけど精神的には成長してないイタイ人」っていう風に斜に構えて観察しながら皮肉ってるように聞こえるのは私だけだろうか。
少なくとも私は「アダルトチルドレン」と聞いた時、「経済的にも精神的にも自立していない大人になっても他人に迷惑をかける幼稚な人間」という印象だった。
そういう誰かの性格や人間性を非難する時に使う言葉として使われている感じがした。
「あの人は本当に付き合いにくいわよね 子供っぽくてわがままでさ〜 ああいうのをアダルトチルドレンって言うんじゃない?」みたいな使われ方をする気がしていた。
私が、正式に正確にアダルトチルドレンという言葉を知ったのは、本当に最近のことだ。
私のような機能不全家庭に育った人が行く自助グループがあるらしいという情報を心療内科に置いてあった雑誌で読み、インターネットで「機能不全家庭」「自助グループ」で検索すると「アダルトチルドレンのための自助グループ」が、ヒットした。
調べてみると「アダルトチルドレン」とは、「わがままで自立していな子供みたいな大人」のことでは、なかった。
それは、「親が支配的だったり、逆に育児放棄的だったりするような機能不全家庭に生まれてしまい家庭内で心に傷を負い(心的外傷という)、大人になってからも子供の頃の家庭での経験を引きづりなかなか自分の安心できる状況をきずくことができずに生きづらさに苦しむ人たち」のことだった。
「アダルトチルドレン」の正式な解釈には、アダルトチルドレンを馬鹿にしたり非難したり嘲笑したりするようなエッセンスは全くなくて、逆にその大変さを理解し寄り添っているようなものだった。
私は、なんだかほっとした。
そして、自分もアダルトチルドレンなんじゃないか?いや、多分この苦しみは、きっとそうなんだろうと思うようになった。