安心のつくり方 <カエルを育てる>
上の子供が5歳、下の子供が2歳になった。今、私は田舎の一軒家に旦那と子供達2人の4人家族で住んでいる。我が家は、周りを田んぼや林に囲まれている。現在、季節は、初夏。田んぼでは緑色の苗が勢いよく風になびき、庭では雑草と草花が日々しのぎを削り、蛙や蝉が全身全霊で鳴きまくっている。この季節になると子供達が毎日何か生き物を捕まえてくる。クワガタ、カブトムシ、カナブン、カミキリムシ、カマキリ、とかげ、カエル・・・。
私は九州の地方の港町出身である。私が生まれた家の周りは、コンクリートのビルやアスファルトの道路に囲まれていた。海風が吹きつける港に佇み海の向こうに夕日が沈む・・・そういうのが私の育った場所の景色。生まれてこのかた、私は、あまり土や生き物などの自然に親しむような日々は送ってこなかった。だから私は、虫や爬虫類などの山のものが全部苦手。色も形も動きも、、、なんだか怖くて触れないのだ。でも今や私の家には、虫やとかげの入ったケースがたくさん並んでいる。
初めて息子がカエルを持って帰ってきた時、すごく嫌だった。「ウェ〜、爬虫類だヨォ〜気持ち悪い」と思った。そのことをママ友に言うと「ね〜!いやよね〜うちなんて放といてるからすぐに死ぬわよ〜死んでるの見せて上手に飼えないからもう連れてきこないほうがいいよ!って言うの」とのことだった。でも私にはそれができなかった。その生き物が気持ち悪くて嫌だという以上に、生き物が自分のせいで死ぬことを思うとものすごい罪悪感が押し寄せるのだ。だから息子がカエルを捕まえてきた日、私は、カエルが苦手なくせに、ホームセンターへ行きカエルのための飼育ケースを買った。買ったばかりの飼育ケースを息子に差し出し「ほら、入れなさい」と手の中のカエルを入れさせた。カエルが、プラスチックの何もないケースの中でポツンと1匹だけ佇んでいる・・・なんかしっくりこない。息子は、「カエルはお水が好きなんだよね?」とケースに水をなみなみと注いできた。たっぷりの水の中でカエルが、あっぷあっぷと揺れている。これは溺れてるんじゃないのかという気がして、これは多分違うんじゃないかと思った。でも確証が持てない。なんだかカエルが苦しそうに見える。
子供達が寝静まった後、一人でパソコンを開き、「カエル」「飼い方」や「餌」などの言葉を入れて検索してみる。「生き物を捕まえたら」という本があった。毎日出会うままに生き物を捕まえては持って帰ってくる息子が目に浮かぶ。「あぁ、まさにこれは今の我が家に必要な本だ」と思い、すぐに購入した。その本には、カエルだけでなくバッタやコオロギトカゲやメダカまで子供が近所で捕まえてきて家に持ち帰ってきそうな生き物をどうやって飼育するかの方法が、写真付きで描いてあった。これならまだあまり字が読めない息子にもわかる。
しばらくして本が家に届くと、私は、本のアドバイスに従ってケースのなかに水に濡らした園芸用の水苔とカエルが水浴びするための水を入れた小さな皿、カエルがとまって休むための小さな植木を入れた。透明で無機質だったプラスチックのケースは、まるで小さな小人が住むメルヘンな箱庭のようになった。
本によるとカエルは、動いているものしか食べないらしかった。金魚やメダカは、市販の粉状の餌を1日に二回ほどパラパラと与えていれば十分で、それを食べて生きていてくれる。でもカエルは、生きて動いている虫でないと捕まえて食べてくれないらしかった。それがカエルを飼うときの難しい点らしかった。「カエル」「餌やり」でネット検索するとカエルにホームセンターで買ってきたミルワームという虫をピンセットで与えている動画を見つけた。死んでいる餌でもピンセットで掴んでカエルの目の前にユラユラさせると「生きてる虫!」と本能的に思って食べてくれるようだった。春夏のお腹を空かせた育ち盛りのカエルには、コオロギやバッタなどの生きている虫が、一番栄養満点で良いらしかった。ミルワームとか金魚の餌も工夫すれば食べてくれることもあるが、栄養が乏しいとのことだった。私は、息子と一緒にカエルが好きそうな虫を調べて家の隣の空き地でカエルの餌捕りをした。
息子が持ち込んでくる虫や爬虫類を飼うことに直面し私は自分の中に「モヤモヤと嫌な感じ」や「罪悪感」が、あることに気づいた。私にとって虫を捕ることや、ペットを飼うことは、「可哀想」「こんなことして何になる?」「汚い」「殺しちゃったらどうしよう」そういう悲しくて責められるような気持ちになる行為だった。子供の頃の記憶をたどっても面白おかしく虫捕りを楽しいと思った経験は、全くない。小学校の野外合宿の時間も楽しそうに獲った虫を掲げる男子たちを横目に空っぽの自分の虫かごを見ながら「あぁ早く終われ」と思っていた。幼い私ながらに思っていた。「虫なんか捕まえてどうする?」って。どうせ虫を捕まえて持って帰っても仕事で忙しい親からは嫌な顔をされ、「どうせ死ぬよ」とポイッと捨てられたりする。一度おたまじゃくしを持って帰って水槽に入れておいたら、「水を変えない方がいいよ」と言われた。「そうなんだ?」と思い放っておく。すると水は日に日に汚い色になっていった。「おかしいよな」と思って、何度も何度も大人たちに聞くが、水を変えさせてくれなかった。そしていつまでたってもそのままにした結果、おたまじゃくしはカエルにならずに死んでいた。「やっぱり水を変えた方がよかった!嘘つき!」という趣旨のことを私が言うと「生き物を捕まえるなんてどうせ死ぬんだから、かわいそうなことだ」「カエルになったらどうするんだ?うちは客商売やってんだからな!気持ち悪い!」と言われた。それ以来、小学校の野外学習で嫌々捕まえた虫も持ち帰らずにさっさと逃してしまった。そうして私は、買い与えてもらったお人形や色えんぴつを使って一人で何時間もお人形遊びやお絵かきをやり続けた。空想の世界でずっと遊んでいた。空想の世界の中は、すべてが色とりどりで無限で、全く寂しくなかった。
そんな私が、40歳になったのだ。40歳の私は、母になり、あの頃の私と同じくらいの歳の息子がいた。バービー人形と色鉛筆が定番アイテムだった私が、40歳になり、虫取り網と虫かごを持って雑草だらけの草むらに仁王立ちしていた。そして両方の目を見開き、中年に入って恐らく衰え始めているであろう動体視力を(もしくはそんなもの最初からあまり無いのかも)全開にして草むらに見えるかすかな動きを捉えようとしていた。
虫を捕ると思うと幼い頃に親から言われた「どうせ死ぬのに捕まえるなんてかわいそう」という声が頭の中に響き、「命を弄んでる罪人」のような気持ちになり、どよ〜〜んとした罪悪感が漂ってくる。だから自分で望んでペットにするための虫や生き物を捕まえる気には、ならない。しかし、息子が拾ってきたカエルを生かすためにその餌を捕ると思うと不思議と罪悪感が全くなくなった。むしろ「あいつ(カエル)に食べさせねば」という使命感さえ感じた。私が、小さな赤ちゃんコオロギや小さな赤ちゃんバッタを捕ってきて息子が拾ってきた小さなカエルに与えようとする。小さいカエルなので餌も小さくないと口に入らない。3〜5ミリサイズのバッタの赤ちゃんを2〜3センチくらいの小さなカエルに与える。飼育ケースの中の小さなカエルは、すっかり怯えて萎縮しておとなしく動かない。「早く食べて欲しい」とこちらの気持ちばかりが急いて、どうにも我慢できない。仕方ないからピンセットで虫をつまんで顔の先に持っていった。インターネットの動画で観たミルワームの餌付けを真似したのだ。するとパクッ!!とすごい速さでカエルが食らいついた。「オォ!!!」私は、とても嬉しくて声をあげて感動した。そして大騒ぎで息子や旦那を呼んでくる。「ちょっと、ちょっと来てよ!!これ見てよ!見てよ!」「食べたよ!!ほら!」とピンセットでのえさやりを見せると息子も旦那も「オォ!!!」と驚き、「俺も」「俺も」とやりたがった。順番でピンセットを持ちカエルに餌付けしては「食べた!食べた!」とみんなで盛り上がった。
こうして毎日、餌付けしていくうちに不思議とカエルが可愛いような気がしてきた。家の周りを飛ぶ蛾や小さな虫も「気持ち悪い」のではなく、「お!餌だ!」「うまそうだ!」と殺さないように優しく素手で捕まえられるようになってきた。玄関の外灯に止まった蛾をおにぎりを握るときみたいに空洞を作った両手のひらの中に入れて運び、いそいそとカエルのケースに投入する。すると5分もしないうちに蛾に気づいたカエルが自分の半分ほどもある大きさの蛾にパクッ!!!と飛びつく。そして蛾が半部以上から口に出たまま思い切り肩をくすませて全身をバネのように動かし、少しづつ「ごっくん」「ごっくん」と飲み込むのだった。その時、カエルの目はウルウルと少女漫画の主人公がときめく時のように黒目がちに輝く。すごく美味しくて感激している感じがする。
私は、仕事や家事の合間に廊下の窓辺にある飾り棚にいるカエルの様子を観察するようになった。水に濡れた水苔、お皿の中の水、小さな石が濡れて黒い色をしている、そこはまるでメルヘンな小さな箱庭だ。その中で植物の葉っぱの間に挟まって眠そうにしているカエル。濃い緑、茶色、薄緑、グレー、飼育ケースの中に入れる植物の葉っぱや石を変えると、その色を真似してカエルは、自分の色や模様を見事に変えた。これが、保護色というやつかと驚きが止まらない。私は、毎日折々のタイミングでカエルの様子をじっと黙って見つめるのが習慣になった。そんな私を旦那が見て「そこは、君の癒しスポットなんだね」と面白いものを見るような、優しいような顔で言った。私は、いつも不安で緊張してしまうのを仕事や家事に打ち込むことで散らして何とか誤魔化しているのが常だった。自分の中の不安や苦しみを紛らわすために、その不安や苦しみに上まるような刺激や集中しなければいけない物事を見つけてきて紛らわすという、いかにも疲れるスタイルで生きていた。でもそんな自分が、カエルの世話をすることで自然と「ぼんやり」できていて、自分の緊張を癒していることに気づき「はっ」とおどろいた。そして、じんわりとした嬉しさが広がった。私は、成長したのだ。大人の都合で生き物を飼う罪悪感を植えつけられて、一人の世界にこもっていた小さな私を40歳の私は癒して成長させたのだ。傷がまた一つ癒えたのだ。
本で調べたところ、息子が拾ってきたカエルは、ニホンアマガエルだった。日本の田んぼ周辺に住んでいる緑色の通称アマガエルと呼ばれるカエルだ。とても鮮やかな緑色だったから私は、「緑川さん」という名前をつけた。近所に緑川さんという人が住んでいて、緑がつく名前がそれしか思い浮かばなかったから。しばらくして、また息子が2匹目を見つけてきたので2匹で飼うことになった。私が「2匹になったら餌がもっと必要だよ、、、もう1匹いるんだから」というと息子は「1匹だと寂しいんだよ!」とカエルの寂しさを強く主張してきた。私が「緑川さん」と呼んでいるのを「ミドリ母さん」だと勘違いした息子は、もう1匹を「ミドリ父さん」と名付け、いつか「二人は結婚するかなぁ〜赤ちゃんが生まれるかなぁ〜」と言った。