餌を与えないでください
18歳の時、私は両親の希望する関東にある大学に無事合格した。
大学進学と同時に上京した私は、夢と希望に満ち溢れていて毎日がキラキラと輝いてた。
力はみなぎり、やる気は溢れ、初めての自由に大空を仰いで叫び出したいくらいだった。
自炊や寮での暮らしは毎日楽しくて毎日充実していた。
お金も節約して、仕送りのほとんどを貯金していた。
数ヶ月が経った頃、私は、人生経験を増やすためにアルバイトをしようとした。
高校時代は、アルバイト禁止の女子校に行っていたので私は働いたことがなかったのだ。
「アルバイトの面接を受けてきたよ」と継母に電話で伝えると、彼女は途端に物凄い剣幕で叫び怒り出した。
そして継母はそのまま私の生活費の口座から突然全額を引き下ろし、学費も止めると宣言した。
「そんなことをさせるためにあんたを上京させたんじゃない」
よくある親子の会話かもしれない。
でも彼女の激昂ぶりは、あれから20年経った今考えてもやっぱり異常だったと思う。
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両親、特に継母は私が「自分のお金」を持つことを異常に嫌っていた。
例えば、彼らが再婚した頃から私は、お年玉をもらえなくなった。
お正月に親戚の家に行ってお年玉を渡されようとすると「うちのには必要ありませんので」と頑なに拒否した。
その断り様は、「猫に餌を与えないでください」というような様子であった。
「こいつに自由になる金をやっても甘やかして勘違いするだけなので結構です」という調子であった。
両親は親戚の子にお年玉をあげるが、親戚から私へのお年玉は断固断る。
こんな妙な様子だから、親戚も申し訳ないと思ってなかなか引き下がらない。
「いや、また、、、そんなこと言わんで、どうぞ受け取ってください」
彼らが食い下がれば食いさがるほど、両親はさらに大きな声でオーバアクションで遠慮しながら断るのだった。
笑っていない目で愛想笑いを浮かべながら、教育熱心で躾けの厳しい自分たちを相手に見せつけ、自分の決めたルールを押し通し、真面目で立派な家庭をアピールするパフォーマンス。
引きつったエゴの溢れる愛想笑顔で「子供に金をもたせてもろくなことになりませんから」とか「これも躾けですから」と。
家では私に「お前のせいで金がない」と言うくせに、私が自分が与えた以外のお金を持つことは、悪へ通じる道なのだった。
私は、餌を拾い食いする悪癖のある厄介な野良猫になったみたいな気分だった。
この「躾けですから」っていう言葉は、もう本当に嫌な気分になる。
実家にいる頃、何万回も聞いた両親にとっての印ろうのような言葉。
言うことを聞かないから殴っても「躾け」。
三つ編みをして色気づいていたから引っ張って「調子にのるな」というのも「躾け」。
突然親の判断で部活をやめさせるのも「しつけ」。
「躾け」と言えば、すべての行為が子供のためにやったこととなる。
両親は、「教育熱心で厳しいしつけをされている立派なご両親」として胸を張っていた。
私の頭の中では、両親を「偽善者」と心で呼ぶ声と、生活のために親の言うことを聞いて親の世話になっている自分に「お前は本当に最低だな、お前なんか死ねばいいのに」という声が聞こえていた。
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今思うと、継母が、極端に嫌がったことは 私が自分の意思を持ちそれを通そうとすることだった。
私が自分のお金を持つことは、そのお金を使って自分の意思で親の許可していない行動をはじめることに通じる。
それが、彼女にとってはどうしても許せないことだったのかもしれない。
そんな風に思わせる出来事が、あった。
私が高校一年生の頃の話だ。
私は、彼らが再婚する前、幼稚園から小学校時代にもらったお年玉を使わずに貯めた貯金があった。
ある時、別の街に転校していった中学時代の親友に電車に乗って会いに行きたいと継母に告げた。
継母は、渋ってなかなかいいよと言ってくれない。
なかなかいいよと言ってくれない継母に、どうしても親友に会いに行きたい私が、「お金なら私が貯金から出すから」と言った。
すると、たちまち猛烈な勢いで激昂し「金の問題じゃない!」「お前はまだお金を隠し持っていたのか!全部出せ!!いますぐに出しなさい!!」となった。
私は、意味もわからず硬直した。
「お母さんに、私のお小遣いで行くからっていいなよ、そしたらいいって言ってくれるよ」
私の友達は、みんなそう言っていた。
「でも小さい頃に貯めた私のお金だよ・・・」と言った私の言葉に彼女はさらにもう1段階激昂。
「お金は全部親から許しがあって親が必要だと思ったもののために払ってもらうものなんだよ!あんたが自由に使えるお金なんてないんだよ!!あんたのお金なんてないんだよ!!働いてもいないくせに!!あんたの考え方は、おかしい!」
結局、私は幼い頃から貯めていたお金を全部彼女に渡した。
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そしてその後、全部のお金を両親に渡したことの意味を私は、しみじみ知った。
お腹が空いた時に買うパン、文房具、傷んでしまった制服のシャツの替え、交通費、自分がお金がないと親にお金を出してもらえるように頼まないといけないのだ。
両親は、何度も「言うことを聞かないと、もうお金を出さない」「学費を止める」といって、自分が支払うお金と経済的に依存している娘の状況を十二分に活用し、娘を「正しい方向」に導くための切り札として何百回も利用した。
「じゃ、バイトでもして自分で稼げばいいじゃない?親から払ってもらっておいてうじうじ文句言うなんて甘えてる」
そういう正論も聞こえてきそうだ。
「うちは貧乏だったから小さい頃から働いてた」
そんな小さい頃から自立しながら成長してきた人も世の中にはたくさんいる。
そんな人からしたら私のような私立女子校を出たお嬢様育ちの箱入り娘の言う文句なんて戯言に聞こえるのかもしれない。
私もそんな人たちの前には恥ずかしくて引け目を感じる。
でもこういう親は子供が外部からお金をもらったり、子供が自分で稼いで自立することは決して許可しないのだ。
親だけが子供のライフラインであり続けることが、「しつけ」の重要ポイントだから。
ご飯、洋服、学校、、、子供が必要とするライフラインを「言うことを聞けば与える」「言うことを聞かなければ与えない」・・・それがこの「しつけ」のシステムの仕組みなのだ。
より効果的に相手を「しつける」ためには、子供は親にできるだけ依存している必要がある。
「自分で稼ぐ」なんて言った日には、「お前何様のつもりだ?」「誰のおかげで育てたと思う?」「じゃぁ明日からやってみろ、できないだろ?お前はできないんだよ 親の言うことを聞け」と相手を無力感を煽り脅す流れとなる。
「頑張って稼いでね」とか「応援してるよ」とか、私は、そんな自分の自立を応援されるようなこと言われたことは、一度もない。
家が貧しくて小さい頃から働いていた人は苦労人で物質的にはかわいそうかもしれない。
でも「働いてくれてありがとうね」とか「頑張ってね応援してるわ」とか家族が言ってくれていたなら、それはお金持ちの家に生まれて「誰のおかげで贅沢ができてると思ってるんだ?」って言われながら育つよりも幸せだし、いい家庭に生まれたんだと思う。
名古屋で父親が娘を犯して無罪になった事件が最近話題になった。
私はこの事件の記事を読んですごく心が掴まれるのを感じた。
その事件の記事によるとある女の子がいて、その父親は彼女が中学生の頃から繰り返し彼女を犯していた。
小さすぎて犯されてることもわかってなかったのかもしれない。
うちのお父さんはこういうことするよ、みんなもきっとそうしてるはずくらいに思っていたのかもしれない。
高校生になってだんだん知恵をつけてきた娘が「やっぱり父親と娘がこういうことをするのって、これっておかしいと思う もうこういうことしたくない」と父親との性交を拒否したそうだ。
その娘に対し「お父さんの言うことを聞かないなら専門学校のお金は払わないからな」と言って、性交を続けた・・・という。
この記事を読んで強く共感したのは、
1、この父親の「専門学校のお金は払わないぞ」と言われたから、仕方なく父親に刃向うのをやめたという点。
2、そしてそんな専門学校のお金と引き換えに父親と性交を続けた娘に「了解の上の性交渉」とした判決を出した裁判官の目線。
この二つだ。
学費や生活費を与えたり奪ったりすることで子供を操作するやり方が、やっぱりこういう風に子供を従わせるために使われているんだ!これは定番のやり方なんだ!と思った。
そして、この方法を親から日常的にやられている子供に対して保護するどころか、「結局学費も生活費も払ってもらってるしあんたも悪い気してなんじゃない?世の中にはお金を払ってもらえない人も沢山いるんだし あなたは恵まれてる方でしょ」っていう世間の目のいい加減さに強く共感した。
金を払ってもらってても、嬉しくてやってるわけじゃないのだ。
彼女としては、専門学校へ行ってその先にいろんな夢を思い描いていたわけで。
今、あと少し我慢して専門学校を出れば希望の職に就けるからっていう気持ち、お金を出してもらってるんだから親に従うのは仕方ないという気持ち、お金のためにいつも相手に追従し続けている自分に対する嫌悪感とか、そういうのがすごく共感できると思った。
自分の娘を犯した父親に無罪判決を出した裁判官を含め、機能不全家庭に縁のない人々は、「なんでもっと早く逃げなかった?」「逃げられたよね?従ったのは合意してたからでしょう?」「大げさに言ってるだけでしょう?」「我慢したのはあなたの判断でしょう?」「専門学校に行かずに自活すればいいじゃない?」となるのだろう。
そういう人には、機能不全家庭の親の子供を追い詰めて追い込むやり口を一度リアルに体験してみてほしい。(そういう人は「いや私は結構 私には関係のない話なので」ってさらっと逃げると思うけど)
機能不全家庭の親は、365日24時間子供が自分に120%注目してくれて120%自分の思い通りに動いてくれないと心底我慢がならない心理状態で生きている。(もしくは真逆に120%子供がいないフリをして育児を放棄しているタイプもいるみたいだが・・・)
日常的に突然怒ったり、ずっとイライラしたり、無視したり、お金を与えなかったり、もしくはたくさん与えて突然取り上げたり、叩いたり、犯したり、何時間も座らせて説教を聴かせ続けたり、そういう特殊な状況に置かれると、子供は、親が間違っているのか自分が間違っているのか何が常識なのかよくわからなくのだ。
機能不全家庭の親ではない家庭の親ならどうなるだろう?
例えば、自分の親は大切だけど どうしても専門学校に入れるお金がない親だったとする。
その場合「学資ローンを組んで少しづつ就職してから返したら?」とか「少しだけど親戚から借りてきたよ」とか「これへそくりだけど足しにして、でも他は自分で頑張って払って卒業して就職しなさい」とか「専門は、行かないで希望の現場で下働きさせてもらってそのまま就職すれば」とか、、、そういう流れの会話になる。
そこには自分の経済的な事実を正直に伝えて、子供を応援する目線が、ある。
子供も親からそういう風に言われると「そうか じゃぁローンを組もう」とか「私のために少しでも出してくれてありがとう、残りはなんとか働こう」とか「そうか、就職しようかな」とか「出してくれないなんて頼りにならないな!もう親は当てにしないで自分で働いてお金貯めて専門に行きます」とか・・・そういう流れになる。
親の状況を知り、自分の望みを確認し、必要な行動を起こす、そうやって少しづつ自立していく、健全な人間の成長と親離れの過程だ。
でも機能不全家庭の親は、違う。
彼らは、「今まで誰が育ててやってきたと思ってるんだ 親だろ?!」「学校へ行きたいのなら親の言うことを聞け」「お前は親なしじゃ生きていけないんだぞ」という子供を脅して無力感を煽り自分の力を思い知らせる会話の流れになるのだ。
なぜか?
彼らは、子供からの120%の注目を得るためならなんだってする異常な心理状態だから。
彼らは、麻薬患者が麻薬に依存しているのと全く同様に完全に子供の存在に依存している。
この父親が学費をネタに娘を犯し続けたように、自分自身が不安定で空虚な心理状態のため依存する対象を常に探し、一度見つけたら依存をやめられないのだ。
そのためならなんでもする。
「夢」や「将来」や「夢中になれるもの」・・・そういうものが子供にあることが許せない。
子供が泣こうがわめこうが苦しもうが、関係ない。
束縛するタイプの機能不全家庭の親にとって 子供の頭の中には常に親が一番でなければ許されないのだ。
子供の頭の中の「夢」も「将来」も「夢中になれるもの」も全部自分が良いと思うものでなくてはならず、自分が良いと思うもの以外のものは全部子供の「戯言」であり、「遊び」であり「間違い」と決めつける。
そして子供を「正しい方向」(=自分に都合のいい方向)に向かせるために「お前は何もできないんだ」「今まで誰が育ててやった?」「お前のせいで大変なことになるぞ」「お金を払わないぞ」と子供を脅し、子供が自分の力を信じられなくした上で「言うことを聞くなら助けてあげよう」「言うことを聞くならお金を出してあげよう」と自分への依存を呼びかける。
そしてまるでパズルの凸凹を合わせるかのごとく、子供をの凸を自分の凹みへ合わせてぴったりと組み込んでいく。
親子の共依存パズル完成である。
このパズルに組み込まれるとなかなか抜け出すことはできない。
家庭から出たことがない子供や未成年ならなおさらである。
「大げさに親のこと悪く言ってるだけじゃない?お金もらってるんだからあなたも了解してたんでしょ?」といってくる人には、こういう家庭の状況があることを想像する想像力はないんだろうな・・・。
ちなみに私は、親からの言葉や体への暴力や家業の借金関係の訴訟はなどはあったけど、強姦はされてない。だからこの娘さんの長い長い間に受けた傷は本当に計り知れない。
多分長い時間かかるんだろうけど、応援してくれる支えてくれる人に囲まれて、安全な場所を見つけてそこで自分を大切に生きることを習慣にする生活を早く手に入れてくれたらなと心のそこから願ってやまない。
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話は、戻って・・・
継母にアルバイトをやろうと思うと言った私は電話先で金切り声で怒鳴り散らされ次の瞬間には、生活費の入った銀行口座は、ゼロになっていた。
上京してきてわずか3ヶ月目くらいの時だったと思う。
高校はアルバイト禁止だったので私はアルバイトもしたこともなく、世間の常識も何も知らない本当に何もできないただの子供だった。
そんな私が、ポケットに入っていた540円以外にお金がなくなり突然食べるものにも困るようになった。
今の私なら友人から少しのお金を借りたり、日雇いバイトをしたり、いろんなことを思いつくけど、当時の私は本当に頭が真っ白になった。
オロオロしながら高校時代からたくさんバイトをして自活していた同級生の子に相談すると「あんた本当に何にもできないんだねぇ・・・」と苦笑されるレベルだった。
その後、私は大慌てで働きだした。
スナックの下働き、中華料理店の皿洗い、歯科助手、球場の掃除、家電の販売員、家庭教師、いろんな仕事をした。
一番向いていたのは家電の販売員で、その年の関東のアルバイト販売員の中で売上ナンバーワンになってしまったほどだった。
表面的には私は自立できたということでハッピーエンドだ。
もういいじゃん?昔のことは。
もう君は自立できたし、貯金も貯めたし、家も買ったし、仕事もしてるし、子供もいるし、実家を出てからの20年で圧倒的に親に完全勝利したじゃん。
私の友達は、そういう風に言ってくれた。
嬉しかった。
でも、40歳になった今でもあの学費と生活費を引き換えにいろんなことを諦めたり親のいうことに従った日々を思うと、自分の弱さに吐き気がして嫌悪感がものすごく湧き上がる。