恋のはなし
恋をしたら、連絡を取り合ったりデートをしたりして仲を深めて、告白があって、付き合って。それからキスをしたりセックスをしたり。最終的には結婚して子を設けて……。
「アタリマエの幸せ」がそこにある。
では、「アタリマエの幸せ」を求めない者は幸せにはなれないだろうか。
個人の理性では、「否」、然し、社会は「是」と答える。
日本社会の中では、その定形のみが「恋愛の幸福」なのだ。そこからはみ出せば、社会からは不適合とレッテルを貼られる。
「なんとなく気づいたら付き合っていた」とか「付き合うよりも身体の関係が先だった」とか。「アタリマエ」から外れた恋愛は無法者と扱われる。本人たちが幸福になっていても、「アタリマエ」から外れた恋愛を歩む者は社会では幸福と認められない。
「アタリマエの幸福」は、呪縛だ。それを享受する者に偏見の鎖を、享受できない者には烙印を与える。
結婚しない幸福な恋愛だって、セックスのない幸福な恋愛だって、あるはずだ。片思いでいることが幸福な場合もあるかもしれない。
「アタリマエ」の呪縛に自分を押し込めることで幸福になる者の存在も、当然否定していないわけだが、その呪縛を他者に要求することは、恋愛を学校のテストと同一視しているのではないか、とすら感じる。