鏡
何か目的があるわけでもなく、夕暮れ時の寺町を歩いていると、学生時代、頻繁にどちらかの家で酒を飲み交わしていた友人にばたりと出くわした。
「久しぶりじゃあないか。どうしたんだ、こんなところで」
そう尋ねると友人は
「久しぶりだなぁ。俺はちょっとした買い物だ。お前こそ何をしていたんだ」
と返した。僕は平生であれば見栄を張ってしまい、「仕事の資料を探していた」などと答えるが、彼に隠し事などする必要はないと考え素直に
「特に何もないんだが、ぶらぶらと歩きたくなってな」
と答えた。それから道の端に寄って、二、三の近況報告をし合ったが、友人から
「立ち話もなんだから、家に来ないか。明日は仕事もないし、久々にゆっくり話そう」
と誘われた。断る理由などなかったし、ちょうど翌日は僕も休みだったので、最高の状況だった。
スーパーで酒と、多少の肴を買ってから友人の家へ行った。
「すぐ飲むやつ以外、冷蔵庫入れておくぞ」と断りを入れて、冷蔵庫を開けると、其処には不可解なことに、一段分のスペースを埋めるほどの大きさの、植物が入っていた。
「此れ、何?」
率直に、尋ねた。すると友人は
「鏡だよ。まぁ、あまり気にするな」
と少し笑いながら答えた。気にするな、と言われても、気になって仕方ない。其れに、此の植物は見ているだけで不思議な感覚を呼び起こす。なんだか、此の植物が僕の心にずかずかと入って来るような感覚を抱き、少しだけ、壊してやりたいと思わされてしまう。興味本位で、ほんの少しだけ、触れてみようとした。其の時、
「やめろ」
と、突き刺すように冷たい声が友人から発せられた。一度も聞いたことのない、怒気を孕んだ声色で。
僕は謝罪して、炬燵に入り、友人と乾杯した。なるほど、あの植物は、確かに鏡だった。