責任感がある、とは
責任感とは何か。就職活動のシーズンになるとよく考える。アピールで何度も聞く「私は責任感のある人間です」といった言葉。そう主張する根拠は「サークル内で幹部を務めていた」、「バイトリーダーを務めていた」、といった「人の上に立っていた」というものばかり。
責任感があるとは、「人の上に立つ」ことを指すのだろうか。そうであれば、政治家や経営者、教師、グループのリーダーなどは責任感溢れる人間しかいないことになるだろう。要するに、「責任感がある」という言葉は、「人の上に立つ」ことと結びついてはいないと主張したいのだ。
私の考える「責任感がある」人間は、「責任を取る必要がないように、最善の努力が出来る人間」だ。
責任感、とは「責任という感覚」を指し、「それを有する人間」が「責任感がある人間」と呼ばれるべきだ。そのような人間は、「責任というものの重さ」を理解した上で、「責任を取る」事態を引き起こしてはいけない、という認識を持って仕事が出来る。故に、人の上に立つことになる。
「人の上に立つ」から「責任感がある」と認識されるのではなく、「責任感がある」から「人の上に立つ」べきだ。極端に言ってしまえば、「責任取って謝罪だとか後始末だなんて面倒だ。そうならないように先に第二プランまで用意しておこう」と考えられる、積極的な怠け者こそが責任感溢れる人物、なのではないか。
そのように考えているから、「不祥事の責任を取って辞職」とか、「責任を取って結婚」とか、そういった無責任な言葉に嫌悪感を抱くんです。責任感のない行動したからそうなったんだろう、と言いたくなるんです。そういう時は「責任を取る」ではなく、「落とし前つける」と表現すべきではありませんか。
まぁ、落とし前すらつけないゲスよりはマシなんですけどね。