満月
満月のイメージは日本と西洋では、だいぶ異なっている。
日本ではやはり「十五夜」、「風流」、「神秘的」、「ロマンティック」、というイメージだ。とりわけ、「風流」を感じることが多いのではないか。
西洋ではむしろ満月は「狂気」の象徴となる。「人狼」のイメージも此処から来ていると考えられる。
何故、此のような差異が生じたのだろうか。
西洋の「狂気」のイメージの原因として、引力が有力説として挙げられる。満月は地球へ引力の影響を与え、結果として地球上で其れを見る人間の血液を脳へ押し上げてトランス状態、興奮状態にしてしまうそうだ。
故に、満月を見ると興奮する例が実感的に観測され、其れが狂気や人狼に繋がって行ったのだろう。
さて、日本でも当然、此のトランスは起こりうる。然し、日本人は満月から狂気などイメージしない。何故か。
結論から先に述べると、「月見酒」が其の理由であると考えている。日本人は古来、和歌を楽しんで来た。其の中で「風流、雅」である自然や恋は題材として愛されて来た。満月は、美しい自然物だ。そして、月見という行為は、「遠く離れても、同じ月を眺めている」だとか「遠い月を眺めることを恋愛の憧憬に喩える」といった具合に、恋愛的な雅を含む。
風流を愛する歌人が其のような情景を目の当たりにしたら、酒が進むのも至極当然だろう。其処から「月見酒」という「粋」が生じた。「月見酒」は現代でも楽しまれる。
何が言いたいかというと、要するに……日本人は風流を重要視し、満月を見る時にはたいてい、酒を嗜んでほろ酔いになっていて……其れ故に引力によるトランスを酒の効果と同一視していたのではないか、という考えだ。
だから、日本人は引力によるトランスを「狂気」ではなく、風流な月見酒の「ほろ酔い」と捉え、イメージが蝕まれることから逃れられたのではないだろうか。
と、こんな阿呆なことを、ほろ酔いになりつつ書いている。阿呆だろうと良いじゃあないか。風流と感じる心で、酒が美味しくなるんだから。