言葉の誤用

言葉の誤用、というものはしばしば取り沙汰される。

たとえば「破天荒」。一般に使われてしまっている「言動が突飛だ。常識に囚われない」といった意味はなく、正しくは「前人未到の偉業」という意味を持つ。

たとえば「させていただく」。「する」の謙譲表現の中でも特に丁寧……のように思われているが実際は「相手の許可を得て、する」の謙譲表現であり、慇懃無礼かつ強要の姿勢を相手に示していることになる。用いるべき表現は「致します」か、古めかしい表現だと「し申し上げる」となる。


このような言葉の誤用は、取り沙汰されて久しい。然し、一向になくならない。其れどころか「一般に出回ったのならば、新しい解釈として認めるべきだ」という意見も多い。

確かに言葉は生きているものゆえ、移ろいゆくことを止めることは出来ないだろう。ただ、其れはあくまで「進化」「発展」の中で言えることではないか。

正しい意味を学習する姿勢を持たないことの言い訳にすべきではないと考える。

無闇に新しい解釈を増やしては、慣用句は、水をもらい過ぎた草木のように腐りゆく。日常で使用しても毎回「それ、どっちの意味?」なんて尋ねられたり、そもそも正しい意味で伝わらず誤解を与えたりしている現状を見て、此れは言葉の進化だ、などと言えるだろうか。


慣用表現を腐らせないでいるには、雑草ではなく一本の樹木を見据える姿勢でいなければならない。

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