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盆と正月

7月が終わる。休憩もないままに8月がやってくる。8月は私の誕生月。夏の盛りに生まれた私の、ある意味特別な月だ。

それはまるでお正月のように、今年はあれを始めてみよう、あれを止めよう、そんな一年の計を立てたくなる。同時にそれは去年の私のそれを果たせなかった一年の刑みたいな時間でもある。ここ数年、腹を括ったり、先の為に動いたりしたから、尚更変わらないことに恐れを抱くことが増えた。「どうすんだよ、お前、来年もこんな気持ち嫌だろ?」と自分に言わせないように大事に過ごしたいものだ。

休日が来るたび、休めばいいものを出かけたりして、「時間が出来たらゆっくり眺めたい本」や「取り組みたい考え」をさながら冬眠前のリスのように、宝物を自分の場所に隠す犬のように、溜め込んでいる時期に思う今日この頃。今は取り戻せないのにね、今あこがれてるならば、今しかできないんだろうにね。私は何故か今、溜め込んでいる。

或いは、溜め込んでいることを楽しんでいる。いや、素敵なものを見つけたことで一時的に満たされているだけかもしれない。「いつか時間が出来たら」のその時を夢見て、「私にはそんな時間が待っているんだ」と妄想の雲で心を埋めて見せているのかもしれない。雲だから大して埋まらないのに。

よくぶち当たる「あたしはどうしたいんだろう」の壁。でも本当は壁には素敵なポスターが貼ってあって、きちんと示してくれているのに直視してないだけなのでは、という可能性を最近気付かされている。「え、それじゃないの?だから貼ったんじゃないの?」ともう一人の自分が指さしている感じ。

溜め込んで溜め込んで溜め込んで、最後は自分の好きなものだけに埋もれて暮らす、というのが想像に易い行く末だけれど、最後だけじゃつまらないし、本当はそれじゃなかった時に取り返しがつかない、というのもある。

確かなのは、今は途中だってこと。明日の私が今日の私をまだ好きでいてくれたら、それを続けていこうと思う。明日もそのまた明日も。

違うと思ったら溜め込んだものたちを眺めて、昨日の自分を思い出そう。縄をなうように大事に毎日をつなげていく。私を、間違わないように。

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