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成長と葛藤。自分と他者。自己肯定感を育む環境とプロセス:少年の詩/THE BLUE HEARTS
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2020/10/19
こんにちは。HACOです。
今回もふっと音楽プレーヤーから流れてきた曲からの自由連想です。いつもながら、個人的な解釈(感想)なのでご注意ください。崇高な考察ではないので言語化するのも恥ずかしい限りですが(笑)
一言でいうと、「曲を聞いてみてください」です(笑)
自ら体験すること、感じることが大事なことだと思います。ライブ映像では表情などもみれるので、それも併せて体験できるので有難いです。もちろん、その場で体験できた方は羨ましい限り。実体験に勝るものはないと思いますが、間接的な体験からも伝わること、伝わる部分はあると思います。ということを書いていたら、感想を書くこともないなと思いはじめてきましたが…。
タイトルが「少年の詩」っていうところから、物語のはじまり。
出典: 少年の詩/作詞:甲本ヒロト 作曲:甲本ヒロト
パパ、ママ お早うございます
今日は何から始めよう
テーブルの上のミルクこぼしたら
ママの声が聞こえてくるかな
物語の冒頭。1980年代と2020年とでは、どんなママの声が聞こえてくるのかな?もしくは、聞こえてこないのかな?
テーブルにこぼれたミルクの形から世界地図だなーとか、何かを連想して楽しむなんてことは…インクの染みみたいに。または、ひとりでミルクを飲もうと頑張ったことを肯定するとか。怒られること以外の何かが聞こえてくるかな。
きっと、何気ない日常のような冒頭ですが、この時の反応って大事な分岐点なんだと思います。毎日のこと、繰り返し起きる事象なので、それによって学習されていく行動や認知の幅が変わってくる可能性がある。
少年の視点だけでなく、親の視点で考えてみることも。当時は少年だったが、いまは親になっているかもしれないから。
自己肯定感を育む環境とそのプロセス。簡潔に言語化してまとめることが難しいものですね。この詩もその環境とプロセスのあるひとつの物語かなと。
1、2、3、4 5つ数えて
バスケットシューズがはけたよ
ドアをあけても 何も見つからない
そこから遠くを ながめてるだけじゃ
別にグレてる訳じゃないんだ
ただこのままじゃいけないってことに気付いただけさ
くつを一人で履けるようになって。以前は、靴を履けただけでも肯定されたり、褒められていたのにという思いや。バッシュという個性も出てきたころにもなると、周りに言われたとおりに生きてきたのに…目の前には何もない感じ。急に自由だ、主体性だといわれても…。自分で一歩踏み出すための何かが足りない感。
そのまま、そっとドアを閉めて引きこもってしまうこともあるかもしれない。ネットで世界がつながれた今だからこそ、より不安になる急に大海原に放り出される感じ。検索しても思いのほか見つからない人生のつくり方。情報だけはたくさんあるのに。くつの履き方だけでなく、ネットの歩き方も必要な時代に。
グレてるのではなく、気づいただけ。「気づく」ことの不安。わかってもらえない不安。このままじゃいけないってわかったけど、どうしたらいいのか。
誰も答えをくれない。問題はあふれるほど提示してくるのに。
そしてナイフを持って立ってた
ナイフが象徴するもの。衝動性や攻撃性が表出する裏に隠れている「何か」のような。善悪やプラスマイナスなど、どちらでもなく両価的なこころ。それを具現化してるような。気づいてほしい。自己表現としては洗練されていないピュアな形とにも。
僕やっぱりゆうきが足りない
「I LOVE YOU 」が言えない
言葉はいつでもクソッタレだけど
僕だってちゃんと考えてるんだ
「クソッタレ」としか言語化できないけど、ちゃんと考えてるんだという僕の気持ち。純粋な気持ちというのは、プラスもマイナスもナイフのように鋭かったり、傷つけやすいようなものかもしれないですね。
どうにもならない事なんて
どうにでもになっていい事
当たり前のような、とても大事なこと。
どうにもならない事を何とかしようとしすぎることや、何とかなるのが当たり前と考えてしまうという捉われや思い込みなど。
どうにもならない事ばかりの毎日。
先生たちは僕を 不安にするけど
それほど大切な言葉はなかった
とてもやさしく、とてもきびしい言葉ですね。どの視点に立つかによって。
勉強だけを教えてくれたという先生はいなかったのがよかったのか。いまの時代だと難しそうな個性的な先生との出会いが多かったのは幸いかも。言葉として、覚えていることはあまりないかもですけど。
不安だけ煽ってしまうのは、情報社会になっての在り様のひとつかな。メディアの情報なども。不安を煽っているのか、自分の不安が漏れてしまっているのか。不安が伝染していくような。
成長の可能性を信じて見守ることは、見守る側としては不安だらけ。その不安を受け入れられるかどうか。受け入れなきゃいけないのではなく、一緒にもがいていけばいいことだとは思いますが。それがなかなか。中長期の目標に向かっての言動ではなく、その場しのぎの何かになってしまって。
誰の事も恨んじゃいないよ
言語化してくれてありがとうという気持ち。反抗はするのだけど、言語化できない何かがあって。他人のことも、自分のことも恨んでいるのではなく、どうしようもない状態に戸惑っている側面があることに気づいてほしい。こころの成長痛のような。
誰の事も恨まないようなこころの成長につなげがっていくか、つなげていけるかどうか。
ただ大人たちにほめられるような
バカにはなりたくない
自分らしくいきることの定義かな。
主体的に生きることの大切さと覚悟のような。
少年の声は風に消されても
ラララ…間違っちゃいない
僕ではなく少年の声。僕のように反抗できていない少年たちの想いへのアンサーやエールかな。つぶやきか。いまは世界の裏側にいる人の声を聞いたり、みることもできる時代になっているけど、本質的な想いや叫びは届きにくくなっているのかな。または、届きすぎて飽和してしまっているのか。風に消されないことが問題なのか。いまだから考えることがありますね。
そして!いろんな事が思い通りになったらいいのになあ
「いいのになあ」です。
思うことから。思うことすら否定されるような世界になっていないだろうか。言語化することって、実はすごく難しい。他人に伝わるように言語化することになるとなおさら。
思い通りにならないってわかっていても、思い通りになるといいのになあって思います。
稚拙な感想ですが、素晴らしい物語に触れた思いを言語化することで、自分の中でいろいろ考えることになるので、個人的にはよかったと思います。読んでみてよかったかはわかりません…
「少年の詩」は『THE BLUE HEARTS』(ザ・ブルー・ハーツ)に収録(THE BLUE HEARTSの1枚目のアルバム)されています。どの曲もそうですが、やさしさに溢れているのがこころに響くところかなと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
今日もよい一日を。
それでは、また。
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