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精神科病院における身体疾患の診療体制について思う事

精神科病院における診療設備は、総合病院と大きく異なっています。ハード面では、酸素配管がなかったり、心電図モニターなどの機械も非常に数が少なかったりします。治療薬、治療機器は限られたものしか採用されていません。血液検査は外注で当日に結果が分からないことが多く、レントゲン、CTは撮影できるところが多いですが、中にはレントゲンすらとれない病院も存在します。超音波検査はできない病院の方が多いと思います。ソフト面では、内科医が常勤していない病院は珍しくなく、普段の身体的不調は基本的に精神科医が診療しています。看護師も精神科に特化している人が多く、身体的ケアには不慣れであることが少なくありません。
もちろん、専門病院では専門外の病態について十分な診療ができないのは普通の事なのですが、他の疾患を併発することが全く想定されていない専門病院は、精神科病院以外にはないと思います。では、精神科病院がこれほどまでに精神科治療に特化しているのはどうしてなのでしょうか。これには、日本における精神科病院の歴史が深く関係していると、私は考えています。

日本で初めての精神疾患患者さんに関する法律は、1900年にできた“精神病者監護法”という法律です。これは、都道府県知事の許可を得れば精神疾患患者を自宅で監置できるという法律でした。この法律のもと、多くの患者さんが自宅の座敷牢に監禁されました。座敷牢の環境は極めて劣悪で、私宅監置を呉秀三が調査した際に残した、“わが国十何万の精神病者は実にこの病を受けたるの不幸の外に、この国に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし” という言葉はあまりにも有名です。この悲惨な私宅監置の状況を受け、1950年に“精神衛生法”ができ、私宅監置は禁止されました。禁止されたまではよかったのですが、特に受け皿があったわけではありませんので、結果的に家族が精神科病院に患者さんを連れていき、入院させてくれるように懇願するという事態が起こってしまいました。
当時、精神疾患患者は約17万人と想定されていたのに対して、精神科病床は約38,000床しかなく、圧倒的に不足していました。当時は薬物療法もない時代であり、政策としても “治安維持のために患者さんを収容する必要がある” という考え方が主流であったため、政府は精神科病床を増やすための施策を打ち出します。当時は、公的病院を整備する余裕がなかったため、民間資本が流入するような制度が策定されました。まず、精神科病院を設立する際には国庫補助がはかられ、優先的融資が受けられるようにしました。さらに、精神科特例を設けることにより、新規参入しやすくしました。精神科特例とは1958年に出された、「精神病院においては、精神科医は内科や外科など他の診療科の1/3つまり入院患者48人に医師1人でいい。看護職も他科の2/3、つまり入院者6人で1人でかまわない。」という厚労省通知です。この2つにより、精神科病院開設は、設備投資や人件費を安く抑え新規参入しやすい事業となりました。このような形で誘導されると、どうしても設備投資を最低限に抑え、多数の患者を収容することを考えるのが、合理的なビジネスプランということになったとしても不思議はありません。当時は若い患者さんが多く、身体的には健康な方がほとんどであったことから、精神科医が身体疾患診療で困る事もほとんどなかったと考えられます。このような状況で検査体制を整備するのはコスパが悪いという判断になるのは当然だと思います。こういった政策をとった結果、1950~70年代に民間精神科病院の新設ラッシュが起き、1993年にはピークの36万床まで増えました。結果的に、今日における日本の精神科医療は民間病院が中心となって担うことになったのです。

もちろん、現在の精神科病院は昔のままではありません。1990年頃からは地域移行の重要性が指摘され、病床数はゆっくりと減少してきています。この変化の中で、収容型モデルからの転換をはかっている熱心な精神科病院は、在宅支援の充実と急性期治療に力をいれています。こうした変化を進めていく上で、身体合併症治療に対する問題意識が生まれれば投資が行われるでしょうが、そうでなければそのままにしておくというのは、民間病院においては合理的な経営判断でしょう。地域移行が進めば多くの患者さんは、他の病院を自由に受診することができますので、精神科病院で検査体制を整備する必要性は減っていきます。ですので、精神科の急性期治療を行う上で身体疾患治療のニーズがどれくらいあるかという点を見積もることになりますが、実際問題として、精神科病院内で一般的な内科入院診療が行えるように大規模な設備投資を行うのは経営的なリスクが大きすぎると思います。超音波の機械を購入したものの、精神科病院内ではオーダー数が少なく十分に活用できていない、という話もよく聞きます。こういった状況ではなかなか設備投資には踏み切れないでしょう。
ただ、『精神科病院に起こっている変化』 という記事に書いたような周辺状況を考えていくと、精神科病院における身体疾患診療の必要性は、間違いなく増していくと思います。どうやってこの問題を解決していくのか、本当に難しい問題ですが、現実的にとれる方法について次の記事に書きたいと思います。

参考文献
1.      八木剛平、田辺英著. 日本精神病治療史. 金原出版. 2002年.

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