呪術廻戦が終わって、五条悟の死について
五条の死んだ五条のいない世界こそが五条の望んだもので、それが叶って、五条は南に行ってハッピーエンドだからそれでいい。というポストを見た。
それでいいんだ。
私以外の人たちは。普通の読者は。
私にはどうしてもそう思えない。
五条悟が好きだから。
ずっと読み続けて五条が頑張ってる姿をずっと見ててずっと好きで、その結果が「五条悟がいない世界が正しい答え」「五条本人は死んで南で幸せだからOK」って言われる事なんですか。
それを感動として受け入れられない私が悪いんですか。
かわいそうな五条。弔われることすら墓を描いてもらうことすらなかった五条。
「五条悟がいなくてもいい世界」
それを望んでいた五条は本当に健気でいい子だけど
それが成就した世界で私は笑えないよ。
他の誰でもなく五条悟が好きだから。
五条悟って何だったんだろう。
生まれた時からずっと他人のために戦い続けて、戦う事が好きにしても全力を出して戦った事は周囲の人間のために最後の一度だけで。社畜と笑われるような働き方をして。
名も知らない一般人の死のために心の中で謝って怒りすら出来る子なのに、本人の死は良かった事かのように言われてしまうんだ。
五条悟がいない、忘れ去られた世界が正しいんだって。
五条が南へ行ったのはハッピーエンドだとか、最強の五条が死んで忘れられてもあとを託せる生徒がいるからハッピーエンドだとか、五条悟は五条悟以外の何者にも替えられないし、人は死んだら終わりだし、五条悟は最強という概念だけの人間じゃない。五条悟という人間は終わってしまった。
死んでしまったら死んでしまったで、死んでしまった、と受け入れさせてもらう事がせめて彼の死を悼む事へのスタートラインなんじゃないのか。
そんな事も許されないのか。
何故墓すら見せてくれないのか。
何故誰も弔ってくれないのか。
もう五条悟なんてどうでもいい?
南に行って生徒がいるからハッピーエンド?
冗談じゃない。
五条らしいとは思う。
自分のあとを託せる人間が育ったら本当にもう自分のことなんてどうでもいいんだろう。
自身に頓着のない人だし、最期に思いきり戦えた上夏油にも会えて悔いはないだろう。
でも私はあなたに生きて幸せを見つけてほしかったし、それが叶わないならせめて死を悼ませてほしかったよ。
五条の死で復活しろと怒っていた人たちは多分ずっとそういう気持ちだったはずだ。私もその一人だった。
呪術廻戦は話の構成が甘いと思うしストーリーとしても突っ込みどころが多いけれど、そんなことよりとりあえず、死んだら死んだで死をちゃんと描いてほしい、死の瞬間は描かれず、非常に残酷な死体描写だけがなされ、遺したものの直接的描写もなく、悼まれる描写もほぼなく、謎の空間で「本人は死に満足した」という事だけが描かれ、そういう扱いに怒っていたはずだ。
でも生か死のどちらかでもいいから納得できる描写があるはずだと、一縷の望みを持って、今の今まで読んできていたはずだ。
そこに最後の最後で本人から「五条悟なんてどーでもいいじゃん」「忘れて」と。
そんなの残酷すぎる。
死ななきゃいけなかったんですか。
強く聡い仲間と肩を並べて囲まれて幸せになるんじゃだめだったんですか。
それ以上の価値が南にはありましたか。
死んで悼まれも弔いも墓すら描かれない、そして自分のことなんて忘れてねと、そんなことを言わせて。
五条がそんな扱いで笑ってハッピーエンドだと言える人たちが、私は理子ちゃんの死を祝福する猿たちと同じ姿に見える。
五条悟。自分自身に対して本当に無頓着で、でも他者へは愛情深くて、意外と気を遣う方なのに不器用で無神経だから伝わらない五条悟。どんな弱者の死にも怒りを抱ける人で、誰だって殺せるのにそれを良しとせず、人を守り続けた、本当に優しい人。
今までありがとう。大好きだよ。ずっと。
でも、まだあなたの描かれた物語を受け入れる事は出来そうにありません。
あなたの死の事も。