死後の意識の存続 4



『500に及ぶあの世からの現地報告』(ネヴィレ・ランダル著 スピリチュアリズム普及会訳)から、マリー・イワン霊の目覚めを紹介します。




あの世の病院での目覚め(マリー・イワン霊)

 私は目覚めました。そして病院のような所にいることに気がつきました。「ここはどこだろう?」私は確か自分の家にいたはずです。私は病気で床につき妹が私の世話をしてくれていました。目覚めた場所は、とても清潔で気持ちのいい所でした。すべてのものが新鮮で生き生きとしていました。また、そこにいた人々もみんな静かで落ち着いていました。太陽の光(そのときの私にはそのように思えたのです)が窓から射し込んでいました。壁には絵が掛かっていました。私は「これは不思議だ!」と思いました。

 それから、とても優しそうな女性が私の所にきて言いました。「あなたはもう少し休んだ方がいいですね。そうしたらすぐに元気になるでしょう。目が覚めてしばらくしたら、あなたの知っている人たちが会いに来るでしょう」私は「これは奇妙だ。私は確かに家でベッドに寝ていたはずなのに、今この病院にいる。私はきっと意識を失い、誰かが私をここへ連れてきたに違いない」と思いました。それから少ししてから、まわりで寝ている人たちを見回しました。私の隣のベッドには金髪のかわいらしい小さな女の子がいました。彼女はベッドに座っておしゃべりをしていました。それから私に自分の持っている人形や本などを見せてくれました。

「ここは気に入りましたか?」と女の子が言いました。

「とても幸せよ。ところであなたはどこが悪いの?」

「私はジフテリアだったの」

「ジフテリアだったなんてとても見えないわ。すごく元気そうよ。頬もつやつやして健康そのものに見えるわ。この病院にどのくらいいるの?」

「さっき来たばかりなの。ここはとても楽しいわ」と女の子が言いました。



それから何と!姉が私の方にやって来るのが見えました。彼女は若くして死んでいます。そのとき私はまだ12歳でした。私たちは、彼女のことを「ケイト」と呼んでいました。「これは奇妙なことだ!ケイトがここにいるはずがない。ケイトは昔、死んだのに…」

 でもそれは確かにケイトでした。彼女は大きな花束を抱えて私の方にやって来ました。花にはまだ露が残っていて、とても新鮮でした。彼女は言いました。「この花束はあなたに持ってきました。あなたがこちらに来て、みんなとても喜んでいます。父も母ももうじき来ます」

「いいえ!こんなことがあるはずがありません。あなたはどうやってここへ来たのですか?あなたがここにいるはずがありません。あなたは死んでいるのですから」

「そうです、私は死んでいます。そしてあなたも死んでいるのですよ」

「どういう意味ですか?私が死んでいるなんて」

「本当にあなたは死んだのです」

「そんなはずがありません。私はちゃんと生きています。そして私は今、病院にいます。……しかし、あなたはどうやってここに来たのですか?誰かあなたがドアを開けて部屋に入ってくるのを見ましたか?」

「みんな私がドアから入ってきたのを見ています。ここにいるのは、みんな死んだ人たちばかりなのです」

「私には何がなんだか分かりません」

隣のベッドにいた女の子が、私をじっと見つめて言いました。

「それ本当なの?私たち死んだの?あの女の人も本当に死んでいるの?」

「彼女は私の姉なの。そして本当に死んでいるの。だから私たちも死んだに違いないわ。でも私たち、ちゃんと生きている、何がなんだか分からないわ」

「私はあなたをここから連れ出すために来たのです」とケイトは言いました。

「それはどういうこと?それなら病院の人に私に外出許可をとらなければなりません。私は今、とても健康です。これまでこんなに具合がよかったことはありません」

「もちろんそうです。あなたは完全に健康です。どこも悪いところはありません。病気だったことは早く忘れてください。あなたはもう病人ではありません。とにかく私はこの部屋の担当の婦人に会いましょう」



 担当の婦人と姉が少し話をした後、私はベッドから降りることが許されました。

「私の衣服は?」と私が言うと、ケイトは笑いました。

「心配しないで。あなたはもう着ていますよ」

「どういうことですか?」私は自分自身の姿を見て驚きました。何と!私は服を着ているではありませんか。私はそれをここへ持ってきたことも、それを着た覚えもありません。私は美しいガウンを着てベッドのそばに立っていました。そのガウンは薄青色でサッシュが付いていて、首のまわりには小さなレースが付いていました。私は何がなんだか分かりませんでした。おまけに私の髪まできれいに櫛でとかされていました。

 ケイトは笑って言いました。

「とても素敵よ。あなたは知らないでしょうけど、私が服を着るお手伝いをしたのです。髪の毛もそうなの。それは私の思念でやったの」

「どのようにしたの?思念だけで何かすることができるなんて考えられません」

「もちろん、あなたにもできるようになります。慣れるまでに少し時間がかかりますが。でもいったん身につけば、あなたのしたいことは、どんなことでも思念ひとつで、できるようになります」

「本当ですか?」

「本当です。とにかく私たちは出かけましょう。母や他の人たちに会いに行きましょう」

「さっき、お母さんがここへ来ると言ったはずですが」

「彼女は、たぶん下で待っているでしょう」

 私たちは美しい階段を降りて行きました。それはまるで大理石で造られているようでした。そこでは大勢の人たちが歩き回っていて、みんなとても健康そうに見えました。建物は、すみずみまできれいに手入れがなされていました。



 私たちは階段を降りて行きました。そして玄関の外に出て、さらに階段を降りて美しい庭に出ました。私はこれまでそのような美しい場所に行ったことがありませんでした。そこにはさまざまな人たちがいました。子供たちもいて走ったり遊んだりしていました。そのとき、ここにいるすべての人たちがその場に溶け込んでいるのに、自分だけが場違いのような気がして奇妙な感じがしました。

「みんな、ここに長い間いるんですか?」

「いいえ、地上の時間にすればわずか数日にすぎません。彼らはこちらの世界に順応しようとしているのです。そして友だちや親戚の人たちが迎えに来るのを待っているのです。ここはいわゆる“レセプションセンター”で、多くの人々がやって来ます。新しい環境に慣れて迎えの友人が来るまで、ここにいるのです。

 最後には彼らは全員ここを出て行きます。普通は夫や妻のもとへ、もし結婚していないなら、おそらく父親や母親の所へ行くようになります。心から愛情で結ばれている人たちは必ず庭で待っていてくれます。もちろん私があなたに会いに行ったように、わざわざ迎えに出向くこともあります。

 誰も死を恐れる必要はありません。なぜなら、それは最も素晴らしい出来事だからです。すべての人にとって喜ばしい出来事なのです。死を心配する必要は全くありません」

『500に及ぶあの世からの現地報告』ネヴィレ・ランダル著 スピリチュアリズム普及会訳(P147~153)

人の生き方は様々ですから、死後の世界での目覚めも様々なものになると思われます。
ただ、このマリー・イワン霊の死後の世界での目覚めが標準的なのではないでしょうか。

さて、死後の世界からの通信について、霊からの忠言があります。
以下、同書からの引用です。



『500に及ぶあの世からの現地報告』はフリントという名の霊媒を通して得られている。

エマ・ハーディング・ブリテン(Emma Hardinge Britten)(1823~1899)は、19世紀を代表するイギリスの先駆的霊媒の一人であった。そのエマ・ハーディングが霊界から、1968年に、この通信の霊媒フリントを通して次のようなメッセージを語った。



「霊媒やスピリチュアリストの中には、あまりにもいい加減なことを言う者が多いのです。霊媒のふりをしている多くのニセ霊媒がいます。彼らは大ボラを吐き続けています。彼らによる単なる作り話・作り事にすぎないものが、霊からの通信であるとされてきました。そのため霊媒の語るものは、本物の霊の声ではないと疑いを持つ人々を生み出しました。

 われわれは、こうしたニセ霊媒と闘いをしなければなりません。スピリチュアリストの中には、自分が霊媒ではないのにそのように思い込んでいる人も数多くいます。残念なことにまわりの人々も、しばしば彼らを本当の霊媒と信じてしまうことが多いのです。スピリチュアリストの中には、知性の欠如から時に大きな問題・やっかいな問題を引き起こす者がいます。

 霊媒の語る内容を頭からありがたいものとして鵜呑みにしないでいただきたいのです。常識を用いてその内容を吟味していただきたいのです。理性を用いて判断することは、とても大切なことです。また霊媒の語る言葉は“通信者”(霊)側の内容の違いによって、必然的に矛盾が生じることも知ってほしいのです。



 ここでの通信方法は、いい加減な人たちが行う交霊会と比べ格段に進んだ方法で、本当に信頼が置けます。いい加減な霊媒はあまりにも多くのことをしゃべり過ぎ、その内容が第三者から吟味されるに至って全くデタラメであることが発覚します。その結果、霊媒が語っていることは、霊媒自身の考えであったり、本人の潜在意識にすぎないと決めつけられてしまうのです。

 われわれはベストを尽くして皆さん方に、他のいかなる交霊会よりも優れた通信を送る手助け・協力をします。皆さんが目的を達成する助けとなるような、あらゆる人々をここへ連れてきます(それは、とてもたいへんなことですが)。皆さん方がよい通信を受け、それを録音して外部の人々に聞かせるとき、必ずよい土地に種が蒔かれるようになるでしょう。もちろん時には、霊的真理に反対する石ころのような不毛の心を持った人々の上に蒔かれることもあるでしょう。

 しかしこの交信の方法は、おそらく“真理普及”に関して、他のどんな方法よりも大きな力を発揮することでしょう」

『500に及ぶあの世からの現地報告』ネヴィレ・ランダル著 スピリチュアリズム普及会訳(P368~370)

今、紹介したものは、霊界から送ってきた通信ですが、生前の講演は以下のような内容です。



エマ・ハーディング(1823~1899)が生前行った入神講演(抜粋)

「冥府」Hades

「こうした境涯とそこに生活する霊魂についての情報はその霊魂たち、つまり今なお冥府にいる者から直接聞いたものである。諸君は、ではいったい自分たちの死後の環境はどうなるのか、どのような生活をし衣服はどんなものを着るのか、住居は、景色は、仕事は、こうした点について、今すぐにも知りたいと思われるであろう。

 が、その回答は目を自分の内部へ向けて、現在の生活すなわち霊界の予備校ともいうべき地上生活で、自分は今まで何を学び何を為したかを反省すれば、おのずと出てくることなのである。冥府にも貴族社会があり、地位・階級が整然として存在する。がその貴族とは有徳者のことであり、地位・階級とは霊格の程度を表すのである。

 支配者の立場に立つ者は、その界の最高の賢者にほかならない。また最高の賢者が最高の有徳者であり、真の英知が最高の愛であるが故に、魂の尊厳は真理と愛に存するのである。そしてこの冥府において地球に関するあらゆる知識、あらゆる芸術、そしてまた宇宙に関する全てに通暁しなくてはならない。

 かくして冥府より一段高い世界へ向上進化せんとする意気揚々たる霊魂は、地上生活の全教訓を復習しつくし、高級界にて要求される全資格を身につけなければならないのである。霊魂は一たん地上を去ってもこの冥府において改めて地上生活の全ての相に通じ、かつまた、地球圏に属するこの冥府についての知識を全て身につけるまでは次の界へ進むことを許されないのである。

 もっとも、霊的進化のスタートは地上生活から始まっているのであり、その地上生活で学び、思索し、努力して得たものは何一つ失われるものではない。が、その全てをこの冥府において最終的に再検討し、地上生活を真の意味で卒業するまでは、新しい言語を絶した次の世界へ向けて羽ばたくことは許されないのである」



「なるほど人間は有限であり不完全である。それ故、人間の言説は往々にして一個人の狭い了見によって着色され、その見解は限りある能力のために必然的に限定されることは避けられない。しかしわれわれ霊にいわせれば、“人間を裁くが如く天使を裁くべし”である。霊界の住民といえども完全無欠ではない。地上の人類よりもわずかに一歩先を歩んでいる者たちの証言を披露しているにすぎないのである。従ってわれわれは諸君に対して判断力も理性もない盲従を要求するものではない。

 さて、われわれの住む世界はあたかも諸君の住む地球の魂であり霊的エッセンスの如きものと思われたい。然してその場所といえば、地球をぐるりと包んでいると考えていただけばよろしかろう。このことは独り地球に限ったことではない。あらゆる天体はそれ相当の霊界によって包まれており、その広がりのどこかにおいて互いに接触し、最後は調和のとれた霊的な大宇宙を構成しているのである」


もうひとつ。


「霊とは何か」What is Spirit?


「あなた方も私たちと同じく立派に霊魂であることを忘れないでいただきたい。そして地上生活はこれからの永遠の旅路に備えるためにのみ、神が与え給うたものであることを肝に銘じていただきたいのである。

 若者よ、科学をおう歌し、その勝利のために知能を磨き論争するのも決して悪いとはいわぬが、霊魂不滅を根拠とする広大無辺の人間学、スピリチュアリズムに比して、他の科学がどれほどの価値があると思っておられるのか。地上生活を魂の学園と心得て生きたまえ。それも、あくまでもその後に控えた広大にしてより高等な学園へ行くためのものであると心得たまえ。地上生活の全体験を活用して魂に永遠に色あせることのない磨きをかけ、人生学校の卒業生としてその名に恥じぬ実力を身につけていただきたいのである。

 死なずとも立派に霊魂であり、従って永遠に生き続けるものであることを自覚し、その自覚の上に立って地上生活の教訓を着実に身に修めていくこと、これこそ神の啓示された崇高なる最後のページにほかならない。その最後のページをよく読み、正しく理解し、確実に実行することこそ、近代スピリチュアリズムの使命ではないか。心霊現象なるものは、実は霊魂不滅を物的手段によって実証するために演出された、一時的な方便にすぎぬことを知っていただきたい。霊魂とは何か、何をなすべきか、言い換えれば地上的罪障と粗さを払い落とした純白の白衣で魂を盛装するためには地上生活をいかに生きるべきか、これを教えるのが近代スピリチュアリズムの唯一にして崇高なる使命であり目的なのである」

(『心霊と進化と』A・R・ウォーレス著 近藤千雄訳(P123~127))




このような証言から、死後の世界とはどんなものか? わたしたちの人生の意義は何なのか?という大きな問いに対する手がかりが得られるものと思いますが、いかがでしょうか。

蛇足の感がありますが、霊界の賢人の言葉を紹介します。


「死後の世界とは、要するに今生活している世界の目に見えない側面、耳に聞こえない側面のことです。死んでからではなく今の時点で霊の世界に住んでいるのです。死んでからそこへ行くのではありません。今いる場所に霊界があるのです。その世界の波長ないし、振動、その他どう呼ばれても結構ですが、それをキャッチするための霊的感覚を発揮しないかぎり、それを認識できないというにすぎません。別個の世界ではないのです。宇宙全体を構成する不可欠の側面であり、地球もその小さな一側面にすぎません」               
(『シルバーバーチの霊訓10』パム・リーバ編 近藤千雄訳(P74)『Light from Silver Birch』Compiled by Pam Riva(P51))




「霊の世界は無限であること、したがってそこに住む者による体験の多様性もまた無限であることを、はっきりと理解しなければいけません。霊界の生活には霊的な階層があり、したがってそれぞれの体験に相違があります。

 あなたと交信している霊は、その時の自分の体験を述べているだけです。進歩して別の存在の場へ移動すれば、以前の意見を改める可能性があるのです。

 このように、霊界について伝えられる内容は、通信霊の進歩の程度によって違ってくるのです。ここで忘れてならないことは、交信する霊があなた方の世界に近いほど、彼らがこれから獲得しなければならない霊的な価値の高い事柄について伝える能力が限られているということです。

 その霊がいま生活している階層については何でも調査することができます。しかし、霊的に高い階層のことは正しく理解できないので、伝えてくることは、必然的にその霊にとって明白なことに制限されます。霊は、低い方へは行けますが、高い方へは行けません。

 私の忠告はいつも同じです。霊からの通信すべては、理性で処理しなさい。あなたの常識が“否、私はこれを受け入れることはできない”と言うのなら、それを拒絶しなさい。私たちは、絶対に誤らない存在ではありません。私たちは、完全に到達してはいません。なぜなら、完全に到達するには永遠を要するのです。既に述べたように、その過程は無限です」
(『シルバーバーチの霊訓10』パム・リーバ編 近藤千雄訳(P87、88)『Light from Silver Birch』Compiled by Pam Riva(P58))


「人生とは生命そのものの活動であり、霊的であるがゆえに死後も永遠に続くことは立証可能な事実です。かくして人間は地上にあっても霊的存在であり、物質的存在ではないこと、すなわち身体を具えた霊であって、霊を具えた身体ではないことを自覚することができます。

物質界への誕生は測り知れない価値ある遺産の一部を享けることです。霊であるからこそ物質と結合し、活動と生命を与えることができるのです。その霊は宇宙の大霊の一部であり、本質的には神性を具え、性質的には同種のものであり、ただ程度において異なるのみです」
(『シルバーバーチの霊訓1』アン・ドゥーリー編 近藤千雄訳(P145)『Guidance From Silver Birch』Edited by Anne Dooley(P86))



「私たちに協力する人には、その理性と判断力と自由意志とを放棄しないことを私は求めます。私たちの仕事は協調です。決して独裁者的な態度は取りたくありません。あなた方をロボットとして扱いたくありません。死の淵を隔てていても友愛の精神で結ばれているべきです。何も知らずに迷い続ける人々に、その心と身体と魂とに自由をもたらす知識を普及させるという共通の目的に一緒に精を出すべきなのです。

 霊の教師が、いかに高貴でも、いかに進歩していても、いかに学識豊かでも、あなたの本性に馴染まないこと、理性に反するようなこと、公正でないことをあなたに求めたならば、それを拒絶しなさい。あなた方には自由意志があり、自分の責任において自由な選択が許されています。私たちがあなた方に代わって生きるわけにはいきません。私たちは、あなた方を援助し、指導し、支えます。しかし、あなた方の責任を私たちが肩代わりすることはできません」
(『シルバーバーチの霊訓9』ステラ・ストーム編 近藤千雄訳(P222、223)『Philosophy of Silver Birch』Edited by Stella Storm(P142、143))
 
 引用は以上です。

 
 死後の世界に関しては、様々な情報が存在しています。
 それらを詳細に調べ比較検討すれば、それなりの姿が分かります。しかしながら、物的な肉体に宿っているわれわれ地上生活者には、どうしても理解できないこともあるKとはやむを得ません。

 現時点では大まかな傾向がつかめればよいのではないでしょうか。


 むしろ、死後の世界がどのようになっているか?ということよりも、死後の世界に備えるための、この今の生が肝心でしょう。
 いま、どのようにこの人生を生きるか?という真摯な問いを考える上で、参考になればよいのではないかと思います。


 霊の実在を認めると、輪廻転生、死後の世界、霊的存在との通信などを、合理的に認められるようになってきます。
 霊的な視野がひらけてくると、人生観、世界観が拡大します。
 そして神というものに対しても、その捉え方、理解の仕方に変化が生じることでしょう。

 
 神とは?! 

 次章では諸霊言から、神についての見解を拾い上げてみます。

 ご一読くださりありがとうございました。



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