4 輪廻転生(Re-incarnation)

4 輪廻転生(Re-incarnation)

1848年に始まった近代スピリチュアリズムの諸現象と研究によって、霊の実在の証し、死後の世界に関する情報がもたらされた。
それは、墓場の向こうにも生活があるということを人々に伝えるものである。

墓場の向こうに生活があることを確信した者でも、輪廻転生を素直に認めていたわけではなく、シルバーバーチの霊媒を務めたモーリス・バーバネル(1902~1981)は、その生涯の前半においては、輪廻転生を認めてはいなかった。
 
 輪廻転生の概念は、どの民族にも古くから存在している。その真偽はどのようになっているのであろうか。

スピリチュアリズムを信奉している者でも、輪廻転生・再生については、肯定、否定の賛否両論があった。

 現在では、輪廻転生に関する書籍も数多く存在しており、それらの言説を慎重に吟味すれば、輪廻転生の事実性を信じても問題がなさそうである。
しかし、輪廻転生に関しては、ある程度の霊的知識を踏まえた上で、理性に照らし合わせて慎重に吟味する必要がある。


インペレーター(W・Sモーゼスへ霊界から通信を送った霊団の責任者)は、このように語る。

「霊が再び肉体に宿る(Re-incarnation)ことについては、先見性、予知の問題である・・・最も進化した霊だけが、論じることができる問題である。低い階層の天使には、至高レベルの会議の秘密は知り得ない。霊の世界にあっても、なお神秘は存在する。人間が知らぬ方がよい神秘がある、と正直に言わざるを得ない。霊の運命は?究極の発達とは?という問題がそれである。
ある霊が、肉体をまとって再生すべきか否か。これは、守護霊であっても知ることができず、誰にも答えられない。が、この問題は、賢明に良きに計らわれる。
一般的に理解されている再生(Re-incarnation)(注:1870年代のイギリスでの再生に対する見解)は真実ではない。また、ある偉大な霊が高い目的、関心から、地球に戻り人々の中で生活していることは事実である。再生の別の面については、今は明かせない。まだ時期ではないからである。霊たちがすべての神秘に通じているわけではない。ある霊が“すべてを知っている”と告白したなら、それは虚偽であることの明白な証拠である」
『続霊訓』W・Sモーゼス著 桑原啓善訳(P98、99) 
『More Spirit Teachings』William Stainton Moses(P56、57)

アラン・カルデックの『霊の書』『霊媒の書』から
Q 再生の目的は何ですか。
A 「罪の償い、即ち、それによる人類の進化改善。この目的なくして、再生に正義はない」

Q 再生の回数に限度がありますか。それとも永久に再生を繰り返すのですか。
A 「新しく生まれ変わる度に、霊は一歩ずつ進歩する。こうして一切の汚れから脱却した時、もはや再生の必要はなくなる」

Q 再生の回数は、どの霊でも同じですか。
A 「同じではない。進歩の早い霊は、あまり多くの試練を受けずにすむ。しかしそれにも拘らず、再生の数は相当な数になる。何となれば、進歩の道程は無限に遠いから」

Q 私たちの再生は、この地球上で繰り返し行われるのですか。
A 「いや、すべて地球上とは限らない。多くの天体で再生が行われる。現在あなた方が生きているこの地球は、あなた方にとって、最初の地上生活でもないし、また最後でもない。しかし、最も物質的な生活の中の一つであり、完全からは最も遠いものである」

Q 別の天体で生活した者が、初めて地球に再生することができますか。
A 「できる。あなた方が他の天体へ再生するのと同じことだ。宇宙のすべての天体は、固い絆で結ばれている。一つの天体で成就できなかったことを、他の天体で成就できるようになっている」

Q 再生の教えを聞きますと、前世に思いを馳せ、現在の家族との結びつきを軽視す
る気持ちになります
A 「再生の教えは、結びつきの範囲を拡げこそすれ、これを壊すものではない。いやむしろ、現在の身内関係は、過去の愛情がもとになってつくられていることを確信する時、家族の結びつきは、いよいよ固くなるものだ。それは身内の親愛の義務をのっぴきならぬものとさえする。何となれば、あなた方の近隣、あるいは使用人、これはあるいは、前世で親族関係とか、愛情とかの強い絆であなた方と結ばれていた霊が再生しているのかもしれない」
『霊の書(上)』アラン・カルデック編 桑原啓善訳(P78~81、94)

Q 霊には人間の過去世が簡単に分かりますか。
A 「神は、時にある特殊な目的のために、いくつかの前世を啓示することを許すことがあります。あくまでも、それを知らせることが当人の教化と啓発に役立つと判断した時に限ります。この場合、ほとんどが自然発生的に、かつ偶発的に明かされます。ただの好奇心から求めても、神は、それを明かすことを決して許しはしません」
アラン・カルデック『霊媒の書』近藤千雄訳 スピリチュアリズム普及会刊(P268)
前田茂樹訳 ブイツーソリューション発行(P439)


シルバーバーチの見解(シルバーバーチは、神のことを大霊(Great Spirit)と表現する)

「ここでぜひ指摘しておきたいのは、地上の人間は再生というものを今の自分にない一種の栄光に憧れる気持ちから信じている場合が多いということです。人間界でいうところの劣等感です。現在の自分の身の上がいくら惨めでも、かつて前世では高貴な身の上だったのだと信じることによって慰めを得ようとするのです。
  しかし、再生とはそういうものではありません。自然の摂理によってきちんと公正が行きわたっています。必ずしも地上生活中にそうなるとは限りませんが、その場合は霊界において清算されます。そういうものなのです」
『シルバーバーチの霊訓10』パム・リーバ編 近藤千雄訳(P125)
『Light from Silver Birch』Compiled by Pam Riva(P85、86)


Q 生まれ変わりは本当にあるのでしょうか。
A「これは非常にややこしい問題です。というのは、この問題に関してはこちらの世界でも事実を知る者と知らない者とで意見がさまざまに分かれているからです。知らない者はあくまでも“ない”と主張し、知っている者は自分の体験から自信を持って“ある”と断言します。私は後者の一人です。私にも体験があるからです。ですから再生が事実であるという点は問題ないとしても、その真相の説明となると、これはたいへんやっかいです。なぜかと言えば、何度も述べてきたように、再生するのは同じ霊であっても、物質界に顕現するのは同じ面ではないからです」
『シルバーバーチの霊訓1』アン・ドゥーリー編 近藤千雄訳(P173)
『Guidance From Silver Birch』Edited by Anne Dooley(P102)


「再生は確かにあるのですが、これにはいろんな要素が絡んでおります。そのためにそれが理解できない人に説明することは容易ではありません。
私は再生が事実であることを、いささかの躊躇もなく断言します。ただ私は、すべての人が再生するとは言っていません。私が再生すると言っている人間の個(インディビジュアリティ)は、必ずしも一人の個人的存在ではなく、大きなダイヤモンドの側面の一つということなのです。
大きなダイヤモンドの側面の各々が、地上へ受肉(再生)して体験を積み、それによって得られる霊的成長をダイヤモンドに持ち帰って、一段とその光輝と輝きを増すということです。支払うべき宿命的な借りがあるために、原因と結果の法則が働いて再生したり、進化した霊が、特定のグループ、特定の国家、その霊のもつ資質と才能とが必要とされる場所などに再生する場合もあります。
これはとても複雑な問題です。ダイヤモンドに譬えている個(インディビジュアリティ)が、一回の地上生活で発揮される個性(パーソナリティ)よりもはるかに大きなものであるということに理解がいかなければ、この問題は扱えません。

この個性(パーソナリティ)と個(インディビジュアリティ)とを混同している方が多いようです。一つの個(インディビジュアリティ)が、再生することができ、それは沢山の個性(パーソナリティ)を持つことができます。これらは、個(インディビジュアリティ)の物的表現ないしは顕現です。個性(パーソナリティー)の数は沢山ありますが、一つの個(インディビジュアリティ)から出ているのです。
個性(パーソナリティ)は、仮面を意味するペルソナに由来し、物的身体にまつわるものです。物的身体は、個(インディビジュアリティ)が五つの物的感覚を通して自身を表現するための道具であり、氷山に例えれば水面上に出ているほんの一部に過ぎません。
個性(パーソナリティ)は地上でつけている仮面です。個(インディビジュアリティ)、つまり本当の自我(原文:real self)はめったに顔を出しません。(五感に邪魔されて)出そうにも出せないのです。死によって肉体から分離した時に自覚されるものに比べると実に乏しい表現でしかありません。
個(インディビジュアリティ)は、個性(パーソナリティ)より、はるかに大きなものです。肉体の死後に存続するのは、個性(パーソナリティ)ではありません。個性(パーソナリティ)は、個(インディビジュアリティ)という光によって投影された影にすぎません。肉体の死後、個(インディビジュアリティ)が存続し、地上で発揮されなかった潜在的な可能性を少しずつ発揮していきます。地上での特別な使命が託されている場合は、沢山の側面を持ったダイヤモンド、より大きな個(インディビジュアリティ)が、これらの側面各々が光沢を増すための体験を積むために再生します。
ある人々がアフィニティ(霊的親族)であることがあります。二人の人間でありながら一つの個(インディビジュアリティ)の半分ずつなのです。地上でそういう関係の人と一諸になれた時は、物質的な富では測り知れない豊かさがもたらされます。アフィニティは、ダイヤモンドの部分的側面です。こう述べても理解できないでしょうが。こうした霊的な問題は言語による説明がとても難しいのです。
一つの大きな魂があり、それにいくつもの部分的側面があります。この側面各々が別々の時代に個性(パーソナリティ)として再生します。が、寿命を終えて霊界へ戻ってきた時も、一つの個(インディビジュアリティ)の側面であることには変わりません。(注:ここの部分には、疑問が残る。それは、いくつもの側面をもつインディビジュアリティが、2人の人間として生まれるということ。アフィニティは2人である必然性があるのか、それとも3人以上でアフィニティとして地上に生まれることはあるのか?寿命を終えて霊界に合流しても、側面のままというのは、どういうことなのか?一体インディビジュアリティとは何なのか?疑問は残る。読み取れることは、再生問題は、とても言語で表現しにくいものであること、そして、再生の主体は、地上で表現されている個性(パーソナリティ)ではなく、より大きな個(インディビジュアリティ)であることなどである)
一つの家族が霊界へ来ても、自動的に合流するわけではありません。家族のメンバーが自然な霊的親和性を持っている場合のみ、それがありえます。親和性がなければ再会はありません。霊性のレベルが違うからです」
『シルバーバーチの霊訓10』パム・リーバ編 近藤千雄訳(P114~117)
『Light from Silver Birch』Compiled by Pam Riva(P80~82)


Q ある書物に、われわれは同時に二つの場所に生まれることができると書いてありました。事実でしょうか。
A「私は、ダイヤモンドには多くの側面があり、その側面がさまざまな体験を持ち帰ってダイヤモンドの光沢を増す、という考えです。ダイヤモンド全体が一度に生まれてくることはありません。いかなる身体も個(インディビジュアリティ)のすべてを宿すことは不可能だからです。(注:一人の人間に個(インディビジュアリティ)全体が宿ることが不可能であれば、一つの個(インディビジュアリティ)全体が二人の人間に宿ることも困難と考える。したがって、前項のアフィニティに関しては、そのような人物と会うと、まるで二つに欠けていたものが、一つになったような感動を覚えると解釈し、アフィニティは3人以上存在するものと思う)
パーソナリティとインディビジュアリティの違いを理解しないといけません。パーソナリティとは、地上で肉体を通して顕現した人物にすぎません。インディビジュアリティとは、魂の全体です。その魂(インディビジュアリティ)の全体を地上で、70年や80年、あるいは90年の間に発揮することは不可能です。
同じダイヤモンドの側面各々が別々に、同時に地上へ誕生することはできます。が、すべては法則と秩序によって規制されております。その時期が来るまでは心配の必要ありません。
再生したいという願望を持つ人々もいます。奉仕的活動をしたいという場合もあります。成し遂げたい仕事がある場合もあります。支払うべき宿命的な借りが残っている場合もあります。そういう人たちが地上へ再生するのです。一度ならず繰り返すこともありますが、いずれの再生も、大きなダイヤモンド、すなわち本当の自我(原文はtotal self)の側面の一つです。
望まなければ、何もこの暗くじめじめとした陰鬱な地上へと戻ってくる必要はありません。真の自我に目覚めれば、この地上に戻る必要はありません」
『シルバーバーチの霊訓10』パム・リーバ編 近藤千雄訳(P125)
『Light from Silver Birch』Compiled by Pam Riva(P84、85)

Q 永遠の生命を考えると、地上でのこんな限られた物的体験に意義があるでしょうか。
A 「永遠は、無数の小さな体験の総計から成り立っています。一つの体験、一つの行為、一つの言葉、一つの思念、それらがいかに小さなものであっても、それなりの意義があります。これらの体験全ての蓄積で永遠となります。どの一つが欠けても均衡を失います。例えば、二、三百名から成るオーケストラの中でトライアングルを鳴らす人がいるとします。ささやかな存在とみなされていますが、もしもその人が、その出番に、音階を間違えたら、あるいは音量を十分に出さなかったならば、演奏の調和を乱すことになります。分かりますね。あなた方の地上での体験もそれと同じです。一つひとつが魂の成長のための一部――大切な一部を担っているのです。その体験は永久に魂に刻み込まれていきます」
『シルバーバーチの霊訓1』アン・ドゥーリー編 近藤千雄訳(P184、185)
『Guidance From Silver Birch』Edited by Anne Dooley(P108、109)

Q もう一度やり直すチャンスは全ての人に与えられるのでしょうか。
A 「もちろんです。やり直しのチャンスが与えられないとしたら、宇宙が神聖なる愛と公正とによって支配されていないことになります。人の物語が地上の墓場で終わるとしたら、この世は実に不公平だらけで、生きた人生の報いも償いも全く受けていない人たちでいっぱいになります。私たちが、努力して地上の人々にもたらしている知識の偉大な栄光は、人生は死では終わらないということ、苦しい人生を送った人すべて、失敗の人生を送った人すべてに、自らを身請けする機会がもう一度与えられ、それは、勝ち得た知識において悔し涙を拭う機会であること、そして、この地上を豊かにしようとして失敗した者すべてが、また再び人類の成長の輝きを増させることができる、ということです。
人生は続くのです。そして、すべての人に、地上で発揮し得なかった本来の才能を発揮する機会が与えられます。また反対に、愚かにも横柄に生き、全てを支配する自然の摂理を免れるかに思っていた者には、矯正の訓練手段が与えられます。神の公正に優る公正はありません。だますことも、ごまかすこともできません。すべては、神の公正の内にあるのです。この知識において、親切で慎み深く生きた人は何も恐れることはありません。恐れる必要があるのは、利己的であり続けた人だけです」
『シルバーバーチの霊訓1』アン・ドゥーリー編 近藤千雄訳(P168、169)
『Guidance From Silver Birch』Edited by Anne Dooley(P99)

「再生の問題は、人間には解決できない難問の一つです。再生は、いわゆる証拠によって確信が得られるものではありません。証拠といっても、ただの言葉にすぎません。魂が理解する準備ができたとき、確信が内側から湧いてきます。これが唯一の確信であり、大切な点です。科学は日に日に変わり、その領域を拡げていきます。知識は固定的なものではありません。一方、確信は、やっとのことで真理に直面したときの内的な悟りです。
この再生に関しては地上では、当分の間、意見の一致は見られないでしょう。理解した人にとっては至って単純なことであり、容易に納得がいきます。一方、理解できない人にとっては、ひどく難しく思えるものです」
 『シルバーバーチの霊訓9』ステラ・ストーム編 近藤千雄訳(P161)
『Philosophy of Silver Birch』Edited by Stella Storm(P115)

輪廻転生を確信することは、霊の実在を確信することや死後の世界を確信することよりもハードルが高いといえそうである。
 霊の実在を確信し、われわれの意識がこの肉体を離れて存在しうることを認めて、初めて輪廻転生に関する理解、納得がいくのではないだろうか。
私は、『転生の秘密』(ジナ・サーミナラ著 多賀瑛訳 たま出版)を読み、輪廻転生という現象に、美しい倫理の糸が織り込まれているように感じた。 


参考になる図書
『転生の秘密』ジナ・サーミナラ著 多賀瑛訳 光田秀監修 たま出版
原著『Many Mansions』by Gina Cerminara

『輪廻転生』J・L・ホイットン/J・フィッシャー著 片桐すみ子訳 人文書院
原著『Life Between Life』Joel L.Whitton and Joe Fisher

『前世を記憶する子どもたち』イアン・スティーブンソン著 笠原敏雄訳 日本教文社
原著『Children Who Remember Previous Lives』by Ian Stevenson

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