【食】貧しさと贈り物精神

みんなは国際貧困ラインって知ってる?

僕は昨日知ったんだけど、世界銀行が定義する貧困のボーダーラインなんだって。

世界的にどこからが貧困でどこからが貧困じゃないかが決められているらしいんだ。

世知辛い世の中だよね。

ちなみにそのボーダーラインは1日1.90ドルなんだって。

1.90ドルというと大体281円なんだけど、それ未満の支出で生活している人のことを貧困者と定義しているらしいんだ。

SDGsの取り組みの中にも『貧困をなくそう』というものがあって、そこでの定義はまた違うらしいんだけど、今回は貧困者の定義について話したいわけじゃないから、その辺は割愛するね。

そして、この貧困のボーダーライン未満で暮らしている『貧困者』と定義される人たちが世界中には数億人いると言われているんだ。

特にアフリカや東南アジアに多いんだけど、インドネシアのフロレス島という島にあるエンデという町に住む人たちもその一部なんだ。

エンデでは、ほぼ自給自足のような生活をしていて、自販機やコンビニはもちろん、お店もほとんどないらしい。

日本やアメリカでは当たり前のように機能している市場経済というものが確立されていないんだ。

彼らの生活ぶりを見ると、日本人の多くは『貧しい人たちだ』と思いたくなるかもしれないよね。

けど、実際はそんなこともないらしい。

長年エンデの町に住みながら、彼らの生態を研究している中川敏さんはエンデの人々は決して貧しくないと言っている。

この主張の違いはなんなのかというと、『貧しさ』の定義の違いだと思うんだよね。

中川さん曰く、エンデの人々からすると、日本人の方が貧しく見えるだろうとのことだった。

なぜかというと、日本やアメリカなどの先進国に住む人々は『貧しさ』や『豊かさ』をすぐにお金に結びつけたがるよね。

お金があれば『豊か』でなければ『貧しい』というのが一般的な考え方なんじゃないかな。

けど、本当にそうなんだろうか?

マーシャル・サーリンズという人類学者はお金の代わりに、豊かさを図る指標を提案しているんだ。

それが『時間』だ。自由に使える時間が多い(つまり、暇な時間が多いってことだね)人ほど豊かで、自分以外のことのために時間を奪われてしまっている人が貧しいという考え方だ。

その考え方に則れば、日本人は世界でもトップクラスに貧しい人種になるんじゃないかな?

朝から晩まで会社のコマのように働いて、当たり前に残業も休日出勤もして、それに対して正当な給料じゃなくても交渉したりしないんだ。

そして、自分の時間や家族との時間、娯楽の時間を全く確保できてない人は多いんじゃないかな?

マーシャルによると、そんな国民は貧しいんだ。

その点で、エンデの人々には時間がたっぷりとあるみたいなんだ。ゆったりとした時間を過ごせているらしい。

そっちの方が豊かなんじゃないかと考えることもできるよね。

実際、僕はそっちの方が豊かだと思う。

時間に追われて仕事をするのは、どうも耐え難いんだ。

そして、エンデの人々が貧しくないと考えるもう一つの根拠がある。それが、人々のつながりなんだ。

先ほど、市場経済の話をしたんだけど、エンデの町では日本やアメリカのような市場経済はない。

だけど、その分、『贈り物精神』が強いんだって。

例えば、僕たち日本人の多くは会社の中で仕事をしている。

誰の役に立っているのかも分からない状態で仕事をし、実際にその恩恵を受けた人から直接お金をいただけるわけでもなく、会社を通してお金が振り込まれている。

つまり、誰のために生まれたお金なのかも分からないお金をもらって、そのお金で誰が生産したかも分からない食材を買って生活しているんだ。

最近では、ようやく一つの食材がスーパーに陳列されるまでに関わった人たちに感謝をしようみたいな視点が出てきたけれども、それでもそこまで考えてる人ってあんまりいないよね。

正直、僕もそこまで考えていない。

このことを中川さんは『無記名性』と呼んでいる。

その一方で、エンデの町では、自分が口にする食材が誰が作ったものなのかを知らないことはほとんどないんだって。

大体は、あの人が取ってきたお米や野菜、誰々の家の動物のお肉という風に、誰のおかげでその食材が目の前に並んでいるのかがわかっているんだって。

日本でも田舎の方だと、そういうところはあるかもね。

ゴキインじょさんの畑で採れたトマト、みたいな。

しかも、エンデの町では、家族以外の人が急に家にやってきてもそれを受け入れるんだって。

そして、客人に対しては必ず食事を振る舞うんだって。

そこに決して見返りはないんだ、彼らに取ってはそれが当たり前らしい。

市場経済では、利害関係が人々の関係を繋いでいて、例えば、マクドナルドで850円のセットを頼んで1000円で払うと150円のお釣りが返ってくるよね。

当然だ。

少しでもお釣りが少なければあなたは文句を言うだろうし、逆に850円未満のお支払いしかしなければ文句を言われるんだ。

しかも、マクドナルドの店員さんは、僕が払ったその1000円で生活するわけじゃない。

そのお金は会社のお金になるんだ。

これも無記名性なんだけど、これだとどうしても人と人とのつながりが無機質なものになってしまう気がするね。

コロナ禍を通じて、人とのつながりや交流が人間にとっていかに大切かは先進国の人ほど強く感じたはずだ。

精神的に病んでしまった人も多いだろうけど、その大きな原因の一つに社会的なつながりが断絶されたことが挙げられるんじゃないかと思うんだ。

しかし、エンデの町ではそんなことはあり得ないだろう。

街の人々がしっかりと繋がっている。助け合って生きているんだ。

そっちの方が豊かではないかと、僕はおもう。

貧しさと贈り物精神。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

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