【知】情動知能といじめについて
この前、『情動知能ってなんかなぁ』とか言ったばかりなんだけど、今回はその情動知能が存在すると仮定して、そいつといじめの関係について考えてみたい。
今、小説を書いてるんだけど、テーマがいじめなんだ。
だからいじめについて色々調べてるんだけど、今日ふと『知能といじめってどう関係するんかな』って思ったんよ。
僕の仮説としては頭の良い人(いわゆる知能の高い人)ほどいじめをしないんじゃないかってことなのね。
だって、いじめなんて後々めんどくさくなる事が目に見えてるし、他人から恨みを買うことほどめんどくさい事はない。
つまり自分にとってもデメリットが大きいってことね。
なんだけど、そんな事を考えていじめを踏みとどまれるのであれば、そもそもいじめなんてこんなに蔓延していないと思うんだ。
さらに、仮に知能が高い人ほどいじめをする確率が低いと仮定して、それがどのような要因によるものなのかを考える必要がある。
僕が考えるに、それは自己認識能力と感情制御能力だと思うんだ。
自身の状態をしっかりと観察し認識して、自身の感情をしっかりとコントロールすること、それが大事なんじゃないかと思ったんだよね。
だとすると、それには情動知能も関わっている気がしたんだ。
だから、情動知能を取り上げることにした。
結論から述べると、情動知能といじめの間には負の相関が確認されている。
つまり、情動知能が高い人ほど、いじめの加害者にも被害者にもなりづらく、逆に情動知能が低い人ほどなりやすいってことね。
そもそも情動知能の説明なんだけど、簡単に言うと、自分や他人の感情を観察し適切に評価したり、自身の感情をコントロールする能力のことを言うのね。
つまり、自分の感情状態を正確に認識できたり、他人の感情を感じ取るのが上手な人は情動知能が高いってことだ。
それだけでなく、情動知能が高い人は自身の感情を表現するのも上手く、その結果、感情のコントロールが上手なんだ。
いじめはある程度感情的な側面を伴う。
後々考えれば後悔を伴うような事を平気でさせてしまうことがある。
完全に感情に支配されている状態だよね。
僕が調べたところ、いじめは加害者も被害者も歪んだ親子関係と愛着形成が関わっているようなんだ。
例えば、過保護に育てられすぎると戦い方が分からなくなってしまう。
その結果、いじめの標的にされやすくなるんだ。
弱いものが強いものの餌食になるのはいつの時代も変わらない。
いじめられる側に問題があるといった発言は避難されがちだが、少なくとも社会に出る前に、自分の身を自分で守る術を身に着けておく必要はあるのではないかと思う。
そして過保護とは反対に、虐待やネグレクトの元育った子たちは寂しさや自分への無価値感に悩み、それを紛らわせるためにいじめを働くケースが少なくない。
いじめという支配関係を築くことで自分の存在価値や居場所を必死に守ろうとするんだよね。
ただ、誰のことも信頼できないから、威張る以外の方法で自分を表現することができないんだ。
そうなると人の痛みなんて分からない。
自分のことで精一杯になり、他の子の苦しむ顔を思いやるどころかそれが安心材料になる事だってある。
それじゃ簡単にはやめられない。
まさに情動知能が低い状態だよね。
他人の気持ちも分からなければ、自分の感情にも目が向けられていない。
そのように、感情的な成長がないのは、家庭環境においてそれらを養うトレーニングができていないからなんだろう。
無関心な親に少しでもこちらを向いてもらうために何でもするようになってしまったのかもしれない。
子供は親からの反応や注意を何よりも欲しがる。
専門用語で『ストローク』というんだけど、母親とのインタラクションのことだ。
このストロークにはポジティブなストロークろネガティブなストロークが存在する。
ポジティブなストロークとは、例えば、褒めるとか頭を撫でるとか抱きしめるとか、そういった類のやつ。
最も理想的なストロークね。
その一方でネガティブなストロークとは、怒るとか叩くとか、そういうあまり求められない関わりだよね。
もちろん最初はポジティブなストロークが欲しいんだけど、それがもらえなくなるとネガティブな方でもいいからストロークがほしい!ってなっちゃうのよ。
何もないよりはいいってやつだね。
だから、わざと怒られるようなことや迷惑のかかることをしちゃうんだよ。
すると親が叱ってくれるから。
怒られる事をすればかまってくれる、こっちを見てくれると思うから。
その一つの表現方法がいじめなんだよね。
つまり、いじめのほとんどは、それが加害者であれ被害者であれ、家庭環境に問題がある可能性があるってことだね。
そして、その家庭環境の問題によって情動知能が育たない事によって、他人をいとも簡単に傷つけられる人になってしまうのかもしれないね。
どうすればいじめを未然に防ぐことができるのか、その鍵はいじめっ子の方に目を向けることで見えてくるのかもしれない。
情動知能といじめについて。
最後まで読んで頂きありがとうございました。