心理学者人物列伝その7 マックス・ヴェルトハイマー
マックス・ヴェルトハイマーとはどんな人物?生涯や豆知識、エピソードを簡単まとめ解説!
マックス・ヴェルトハイマー:心理学界の革命児
早くも第7回目となった本ブログ。今回はゲシュタルト心理学の生みの親マックス・ヴェルトハイマーを紹介します。ヴェルトハイマーは心理学を学習するみなさんにとって、避けては通れない重要な人物ではないでしょうか。
本ブログでは理論的なこととは別に、心理学者の人生に焦点を当てています。
そのため「こういう人物だったのか」ということを知っていただくには最適ですので、ぜひ最後まで読んで参考にしてみてください!
プラハからベルリンへ:天才の誕生
1880年4月15日、オーストリア=ハンガリー帝国の一部であったプラハで、マックス・ヴェルトハイマーは生を受けました。教育者であり金融家でもあった父ヴィルヘルムと母ローザの間に生まれたヴェルトハイマーは、知的な家庭環境で育ち、両親から直接教育を受ける機会も多く、これが後の彼の学問的好奇心の基礎となったと考えられています。
幼少期から音楽に興味を示していたヴェルトハイマーですが、10歳で哲学者スピノザの著書を手にしたことをきっかけに、哲学の世界にも足を踏み入れることに。スピノザの合理主義的な世界観は、若きヴェルトハイマーの心に深く刻まれ、後の彼の思想形成に大きな影響を与えました。
ユダヤ人の家庭に生まれながらも、5歳からはカトリック教会系の学校で教育を受けるなど、多様な文化的背景で育ったヴェルトハイマー。
この経験は、後に提唱する「全体論的アプローチ」の基盤となったと言えるでしょう。そして、10歳で王立帝国新都市ドイツ州立高校に入学したヴェルトハイマーは、ここで科学的思考の基礎を学び、同時に芸術や文学にも触れる機会を獲得しています。
学問への情熱:大学時代の探求
1900年代初頭、ヴェルトハイマーはカレル大学で法律を学び始めますが、すぐに哲学や心理学に興味を移します。この転向は、当時の心理学界で起こっていた大きな変革と無関係ではありませんでした。ヴィルヘルム・ヴントが実験心理学を確立し、意識の構造を科学的に解明しようとする試みが盛んに行われていた時代です。
ベルリン大学に転入後は著名な学者たちのもとで学び、とりわけシュトゥンプの現象学的アプローチは、ヴェルトハイマーの思考に大きな影響を与えています。また、ゲオルク・ミュラーや音楽学者のエーリッヒ・ホルンボステルとの出会いも、彼の学問的視野を大きく広げるきっかけとなりました。
1904年、ヴュルツブルク大学でオズワルド・キュルペに師事したヴェルトハイマーは、その後博士号を取得。この時期は、嘘発見器の開発や単語連想法の考案など、革新的な研究を行っています。特に単語連想法は、後のフロイトの精神分析理論にも影響を与える重要な手法となり、後のゲシュタルト心理学の基礎作りに大きな影響をもたらしました。
ゲシュタルト理論の誕生:洞察の瞬間
1910年、ヴェルトハイマーはフランクフルトの心理学研究所で働き始めます。そして、その年のある日、ラインラント地方への列車の中で、彼は人生を変える洞察を得ました。窓の外の風景を眺めているうちに、動きの知覚に関する新たな考えが閃いたのです。これこそ、ゲシュタルト理論が誕生した瞬間でした。
ゲシュタルト(Gestalt)とは、「形態」や「全体性」を意味するドイツ語です。ヴェルトハイマーは、このインスピレーションを機に、人間の知覚は単なる部分の集合ではなく、全体として捉えられるものだと主張し始めます。「全体は部分の総和以上のものである」という有名な言葉は、まさにこの理論の本質を表しているわけです。
ゲシュタルト理論は、従来の要素主義的な心理学に異を唱えるものでした。ヴントらの構造主義心理学が意識を要素に分解して理解しようとしたのに対し、ゲシュタルト心理学は全体的な構造や組織化の重要性を強調したのです。
学術界での飛躍:フランクフルトとベルリンでの日々
1912年、ヴェルトハイマーは「運動視覚の実験的研究」を発表し学界に衝撃を与えます。
この論文は、ゲシュタルト心理学の基礎を築いた記念碑的研究として知られており、ここで彼は、知覚の原理として「プレグナンツの法則」を提唱。これは、人間の知覚がもっとも単純で安定した形態を自動的に選択するという原理を、実験的に解明しようとする試みでした。
第一次世界大戦中は、プロイセン砲兵試験委員会の研究心理学者として働いたヴェルトハイマー。この時期にアルベルト・アインシュタインやマックス・ボルンといった著名な科学者たちとの交流も深めています。とくにアインシュタインとの親交は、ヴェルトハイマーの思考に大きな影響を与えました。両者は頻繁に議論を交わし、科学的思考の本質について語り合ったと言われています。
1920年代、ヴェルトハイマーはベルリン大学で教鞭を執りながら、ゲシュタルト心理学の発展に尽力。1921年には、ゲシュタルト心理学の中心的な学術誌「心理学研究」(Psychologische Forschung)を創刊し、ヴォルフガング・ケーラーやクルト・コフカといった同志たちと共に、理論の精緻化と実証研究を進めます。
この時期のヴェルトハイマーは知覚の原理だけでなく、思考や問題解決のプロセスにもゲシュタルト理論を適用し始め、創造的思考や「洞察」による問題解決といった、後の「生産的思考」の概念につながる研究を行いました。
アメリカへの亡命:新たな挑戦
1933年、ナチス政権の台頭により、ユダヤ人であるヴェルトハイマーはドイツを離れることを決意します。しかしこの決断は、彼にとって非常に苦しいものだったのは言うまでもありません。というのも、長年築き上げてきた研究環境や同僚たちとの関係を手放すことを余儀なくされたためです。
同年9月13日、家族と共にニューヨーク港に到着したヴェルトハイマーは、新天地アメリカにて新たな人生をスタートさせました。アメリカでの生活は、言語の壁や文化の違いなど、多くの困難を伴うものだったようです。しかし、ヴェルトハイマーの学問的評価は既に国際的なものとなっており、多くの同僚や教え子たちの支援を受けることができました。
その後、1934年から1940年にかけて真理、倫理、民主主義、自由をテーマとした4つの重要な論文を発表。これらの論文では、ゲシュタルト的な考え方を社会や哲学の問題に応用しています。とくに「真理について」(1934年)では、完全な状況の中で理解される真理(T)と断片的な真理(t)を区別し、全体的な文脈の重要性を強調するものでした。
最後の輝き:「生産的思考」の完成
晩年のヴェルトハイマーは、健康上の問題を抱えながらも「生産的思考」と呼ばれる問題解決の研究に取り組みます。この概念は、彼のゲシュタルト理論を思考と創造性の領域に拡張したものです。
生産的思考とは、問題の全体的な構造を把握し、その構造の再組織化によって新たな解決策を生み出す思考プロセスのこと。ヴェルトハイマーは、アインシュタインの相対性理論の発見過程や、ガリレオの力学的発見などを分析し、創造的な科学的思考の本質を探ろうとしました。
そして1943年9月、彼は唯一の著書『生産的思考』を完成させます。この本は、彼の長年の研究の集大成とも言えるものでした。ここで彼は、真に創造的な問題解決は、既存の知識の単なる適用ではなく、問題の本質的な構造を理解し、それを新たな方法で再構成することから生まれると主張しています。
しかし、その喜びもつかの間、同年10月12日、ニューヨーク州ニューロシェルの自宅で心臓発作により63歳の生涯を閉じました。『生産的思考』は彼の死後に出版され、心理学だけでなく、教育学や創造性研究の分野にも大きな影響を与えることになります。
ヴェルトハイマーの豆知識・エピソードについて
ここまで、簡単にヴェルトハイマーの人生を紹介しました。
ゲシュタルト心理学の創始者である彼が、どのような人生を送ってきたのか興味が出た方もいるかもしれません。
続いて以下では、激動の時代を生き抜いたヴェルトハイマーにまつわる豆知識やエピソードを紹介します。
音楽の才能も発揮した
裕福で知的な家庭に育ったヴェルトハイマーは、学問だけでなく音楽の才能にも秀でていたと言われています。とくにその才能は青年期に絶頂だったようで、ヴァイオリンを演奏するだけにとどまらず、なんと、みずから交響曲や室内楽の作曲を手がけていたとのこと。
残念ながら(あるいは幸運にも)、その後は法学や哲学に関心が移ったため音楽家にはなりませんでしたが、もし音楽に関心を持ち続けていたら、ゲシュタルト心理学の完成は大きく遅れていたかもしれませんね。
汽車旅行中にインスピレーションを得る
ヴェルトハイマーの有名な研究に「ファイ現象」に関する実験があります。これはライトを用いた実験で「時間間隔を空けて点滅させることで、網膜は光が動いていると認識する」ことを検証するもの。心理学史においては有名な実験ですので、ご存じの方も多いと思います。
しかし興味深いのは、この現象に気がついたきっかけです。
それは、ウィーンからドイツ西部ラインラントに向かう汽車での出来事。汽車での旅行中に運動知覚現象に関するインスピレーションを得たヴェルトハイマーは、途中のフランクフルトで汽車を降り、早速おもちゃのストロボスコープを購入。考えの正しさについて検証を始めます。この現象に確信を持ったヴェルトハイマーは、助手のケーラーとコフカとともに実験を重ね、やがてゲシュタルト心理学を唱えることとなります。
マックス・ヴェルトハイマーの生涯まとめ
今回はゲシュタルト心理学における重要人物の1人、マックス・ヴェルトハイマーの生涯やエピソードについて紹介しました。
晩年のヴェルトハイマーは、心理学のほか、倫理的問題や真理、自由といったさまざまなテーマについても言及しています。その点において、彼は心理学の枠を超えた20世紀を代表する「知の巨人」とも言えるでしょう。
ゲシュタルト心理学に関する理論的な解説については、心理学【カレッジ版】(医学書院)で詳しく解説していますので、一生使える心理学の教科書として、ぜひ参考にしてみてください!