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心理学者人物列伝その12 カール・ロジャーズ
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カール・ロジャーズってどんな人?その生涯や豆知識、エピソードをわかりやすく解説!
今回は、カウンセリングの手法に革命をもたらし、アメリカ心理学会において「もっとも影響力のある10人の心理療法家」で1位に選出されたカール・ロジャーズについて紹介します。
その生涯を辿りながら、知られざる素顔や、人間性心理学の確立までの道のりを見てみましょう。 幼少期の経験から、心理学との出会い、クライエント中心療法や人間性心理学の確立。そして晩年の世界平和への貢献まで、彼の波乱万丈な生涯を、エピソードを交えながら紹介します。
カール・ロジャーズの生涯について
クライエント(来談者)中心療法の創始者として知られるカール・ロジャーズ。 臨床心理学の分野に新たな地平をもたらした彼ですが、意外にも幼少期は内気な少年だったようです。
そんなロジャーズは、いかにして偉大な心理学者へと成長したのでしょうか。
厳格な家庭環境と幼少期の葛藤
1902年、カール・ロジャーズはシカゴ郊外のイリノイ州オークパークで生まれました。父は
木工技師、母は主婦で、敬虔なバプテスト※という厳格な家庭環境で育ちました。
6人兄弟の4番目として生まれたロジャーズは、聡明で幼稚園に入る前から字を読むことができましたが、厳格な家庭の教えにより、飲酒やギャンブルはもちろん、ダンスや観劇なども禁じられていたといいます。
このような環境の中で、彼は孤立感を抱えながらも、独立心や規律正しさを身につけ、知識と科学的方法への理解を深めていきました。
※バプテスト・・・キリスト教プロテスタント派の最大派閥の1つ
宗教との葛藤とキャリアの転換
ウィスコンシン大学マディソン校に進学したロジャーズ。当初は農学を学ぶつもりでしたが、歴史学、そして宗教学へと興味が移り変わりました。
そんな彼に転機が訪れたのは、20歳の時にキリスト教の国際会議のために中国の北京を訪れた時のこと。ロジャーズは、そこで自身の宗教的信念に疑問を抱き始めます。その後、「なぜ私は聖職に就くのか」というセミナーに参加したことをきっかけに、キャリアチェンジを決意。
大学卒業後、ヘレン・エリオットと結婚し、ニューヨークのユニオン神学校に入学しますが、後に無神論者になったと言われています。
しかし、晩年にかけてスピリチュアリティについて語ることが増え、「科学的心理学を超えた領域が存在する」と結論づけました。
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心理学との出会いと独自の理論の構築
ユニオン神学校を2年で退学したロジャーズ。
その後コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジに進学し、心理学を専攻します。児童指導研究所でのインターン時代には、心理学者アルフレッド・アドラーに師事し、大きな影響を受けました。
その後、児童虐待防止協会の理事や大学講師などを務め、問題児と接する中で独自の心理療法を築いていきます。オットー・ランク※などの影響も受けながら、1940年には『カウンセリングと心理療法』を出版。その中で、クライエント中心のアプローチを提唱し、心理療法の世界に新たな風を吹き込んでいったのでした。
※オットー・ランク・・・オーストリアの精神分析家。フロイトの愛弟子でもある。
クライエント中心療法と人間性心理学の確立
1945年、シカゴ大学に招かれたロジャーズは、カウンセリング・センターを設立。クライエント中心療法の有効性を研究し、その理論を『クライエント中心療法』などにまとめました。彼の理論は、トマス・ゴードン※などの教え子たちにも大きな影響を与え、新たな心理療法や研究を生み出すきっかけとなっています。また、これによりロジャーズはアブラハム・マズローとともに、人間性心理学の先駆者としても知られるようになりました。
※トマス・ゴードン・・・アメリカの臨床心理学者。親業訓練講座(PET)の創始者。
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世界平和への貢献と晩年
晩年、ロジャーズは自身の理論を政治的抑圧や社会的紛争の解決に応用することに力を注ぎました。ベルファスト(北アイルランドの首都)や南アフリカ、ブラジルなど、世界各地で対話を促進し、平和構築に貢献しました。1961年には初来日し、日本におけるカウンセリングの普及にも貢献しています。
また、医療現場においても患者と医療提供者の協力を促すなど、幅広い分野で活躍しています。さまざまな研究で優れた業績を残したロジャーズですが、1987年に転倒し骨盤骨折。手術は成功したものの、翌日に膵臓が機能しなくなり、心臓発作で亡くなりました。享年85歳でした。
人間性心理学の巨星、カール・ロジャーズ
カール・ロジャーズは、心理学の分野において多大な影響を与えた人物です。彼のクライエント中心療法は、今日でも多くのセラピストに支持されています。
また、人間性心理学の創始者の一人として、人間の可能性を信じる温かいまなざしは、多くの人々に希望を与え続けていることに間違いありません。
カール・ロジャーズの豆知識やエピソード
多くの学問を学び、心理学の分野でその才能を一気に開花させたロジャーズ。 以下では、偉大な心理学者の豆知識やエピソードを簡単に4つ紹介します。
厳格な家庭環境と幼少期の読書好き
カール・ロジャーズは、厳格な宗教的家庭環境で育ちました。両親は飲酒やギャンブルを禁じ、ダンスや観劇なども認めませんでした。また、母親は子どもたちが炭酸飲料水を飲むことや、娯楽のための読書すら罪深いと教えていました。
しかし、ロジャーズは幼い頃から読書好きで、小学校入学時には同級生たちの数年先を行くほどの読書量がありました。そしてなんと、小学校入学2日目にして、飛び級制度により2年生に進級しています。これは彼の読書量がいかに膨大であったかがわかるエピソードですね。あまりにも早熟。
恥ずかしがり屋で繊細な少年時代
小学校時代のロジャーズは、恥ずかしがり屋で繊細な性格で、社交的ではありませんでした。公園で遊んだりスポーツをするよりも、本を読んだり空想の世界に浸っているのを好んだ少年だったとのこと。
小学校では成績優秀で教師から褒められることが多かった一方、両親は彼の成績を特に褒めませんでした。そんな内気な少年ロジャーズですが、小学校時代に一度だけ、同級生と殴り合いの喧嘩をしたことがあったそうです。
学生に敬意を払う大学院教授
大学院教授としてのロジャーズは、学生に対して非常に敬意と励ましに満ちた態度で接したことで知られていました。学生たちを自分と対等の人間として扱い、ときには学生に自分の仕事を評価させたといいます。
そしてロジャーズが作り上げた学習環境の中で学生たちは急速に自信を獲得し、彼の絶大な支持者、研究仲間となっていきました。
人間性心理学の提唱と自己成長の重視
アブラハム・マズローの人間性心理学の考え方を受け入れ、個人の成長は環境に左右されると考えたロジャーズ。
ウィスコンシン大学マディソン校で教鞭を執るかたわら、最も有名な著書の一つである『ロジャーズが語る自己実現の道(岩崎学術出版社,2005年)』を執筆し、人は癒しと自己成長のための自分自身の資源を持っていると主張しました。
また、クライエントの治療効果を高めるために、治療環境に「一致」「共感的理解」「受容」「無条件の肯定的評価」の概念を導入したのも、ロジャーズの大きな業績と言えるでしょう。
カール・ロジャーズの生涯について:まとめ
今回はアメリカ臨床心理学の第1人者カール・ロジャーズの生涯について紹介しました。 内気で厳格な家庭に育ったロジャーズは、幼少期から人並外れた才能を発揮し、やがて心理学に新たな分野を確立します。 この記事を読んでいる方にも、ロジャーズに関心がある方が多いのではないでしょうか。
彼の理論や手法については、医学書院より出版の『心理学「カレッジ版」』がおすすめです。心理学を基礎から学びたい方にとっての「心理学の基礎を学ぶ最適な1冊」として、ぜひご活用ください。
👉アブラハム・マズローについてはこちら。