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心理学者人物列伝その2 エリク・エリクソン

エリクソン

今回は「アイデンティティ」という概念の生みの親として知られる、エリク・エリクソンについて紹介します。

エリクソンは生涯にわたり「自分は誰で、どこにその存在の根を持っているのか」という疑問を探求し、発達心理学や精神分析の分野で大きな功績を残しました。心理学を学ぶみなさんにとっては馴染み深い人物と思いますが、今回はエリクソンの人物像について、エピソードを交えつつ紹介します。

またこの記事では、絶対に覚えておくべきエリクソンの心理学用語を2つ解説していますので、ぜひ最後まで読んで参考にしてください。


エリク・エリクソンの生涯

不明瞭な出自 - 揺れ動くアイデンティティの芽生え

1902年6月15日、エリク・エリクソンは母カーラによって、ドイツのフランクフルトで産まれました。エリクソンの出自をめぐっては多くの謎が残されており、皮肉にも、自分の出自への疑問が、のちのエリクソンを心理学の道へと導きます。

エリクソンの実の父親はデンマーク人(一説にはデンマーク人芸術家とも)であることしかわかっておらず、婚外子を身籠った母カーラは、出産の際にフランクフルトに避難しエリクソンが生まれました。

やがて看護師となったカーラは、1905年にユダヤ人医師テオドア・ホンブルガーと再婚。ホーンブルガー家で、1911年、エリクソンは正式に養子縁組されることになります。

母カーラはエリクソンに対し、テオドアが実の父親であるというウソを伝え続けます。しかしエリクソンは自身の出自に疑問を持ち始め、のちの思想に大きな影響を及ぼすことになったのでした。

複合的アイデンティティに起因する偏見

生まれた時から曖昧なアイデンティティを背負うことになったエリクソン。金髪で青い目をしたユダヤ人少年として育てられたエリクソンは、同じユダヤ人の子から「お前はユダヤ人じゃない」と言われる一方、別の子からは「お前はユダヤ人なのか?」と、うとまれるという二重の偏見を経験することに。

これにより、やがてエリクソン自身も「自分が何者なのか」を自覚できず、いわゆる「同一性の拡散」状態に陥ってしまいます。しかしこの体験こそが、アイデンティティをめぐるエリクソンの発達心理学説の根幹にもなる重要な出発点となりました。

放浪の日々から精神分析の世界へ

意外にもエリクソンは学業に熱心な人物ではなく、学生時代はミュンヘンの美術学校に入学しています(のちに中退)。そして20代前半は、友人とドイツやイタリアを放浪する日々を過ごしたそうです。

放浪生活と聞くと、なんだか自由奔放な人物像を想像しがちですが、エリクソンにとっては違いました。放浪生活の中でも、エリクソンはアイデンティティへの問いから解放されることなく、むしろこれまで以上に「自分とは何者か」という疑問に悩み続けます。

やがてウィーンを訪れたエリクソンは、フロイトの娘アンナと出会うことに。そしてアンナ・フロイトとの出会いにより、エリクソンは長年抱いていた疑問に一筋の光明を見出します。

アンナの勧めにより、ウィーン精神分析研究所への出入りを許されたエリクソンは、著名な分析家たちの下で児童分析を学び始めます。そしてここでの経験が、エリクソンが精神分析の世界へ足を踏み入れる大きなきっかけとなりました。

若い頃のエリクソン

アメリカ亡命と独自の理論形成

1933年、ナチス政権の台頭でユダヤ人としての危険を感じ、エリクソンは妻子とともにアメリカへ亡命。そして新天地アメリカで児童精神分析の第一人者として活躍する一方、独自の人格発達理論の構築に着手します。

なかでも、エリクソンにとって大きな転機となったのが、アメリカ先住民のスー族とユーロク族の子供たちとの出会いでした(『幼児期と社会1』より)。双方の子供たちの発達の違いから、生まれつきの民族性よりも、置かれた社会環境や文化が人格形成に大きな影響を与えることを発見したエリクソン。そしてこの体験が「アイデンティティ理論」における「社会的影響の重要性」の主張に結びつくことになります。

「アイデンティティ理論」の中核

エリクソンはさらに研究を重ね、人間の一生を8つの発達段階に区分し、各段階で心理社会的危機に直面すると提唱しました。そのなかでもエリクソンは思春期の「同一性対同一性拡散の危機」を核心的概念と捉え、この危機を乗り越えて自己のアイデンティティを確立できるかどうかが、その後の人格発達に大きな影響を及ぼすと考えるに至ります。

こうして見てみると「アイデンティティ理論」は、エリクソン自身が長らく同一性拡散に苦しんだ実体験から生まれたとも言えますね。

晩年の省察と死

長きにわたり発達心理学の分野で大きな貢献を果たしたエリクソン。アメリカでイェール大学、カリフォルニア大学バークレー校、ハーバード大学の教員として活動し、1973年には人文学最高位の栄誉である、ジェファーソン講演の講師として選出されるという名誉ある晩年を送っています。

数々の試練を乗り越え、心の実相に迫り続けたエリクソン。91歳でこの世を去ったエリクソンの人生は、まさにアイデンティティ探求の軌跡そのものだったと言えるでしょう。

エピソード

反抗心から芸術の道へ

義理の父が医師であったことから、医学の分野に進むよう命じられた青年エリクソン。しかしエリクソンはこれに反抗するかのように、画家の道を志します。青年期のエリクソンは、まさに同一性と同一性拡散の葛藤の中にいたわけですね。画家を目指したエリクソンは、イタリアなどを放浪し、芸術の中に自身の生きる目的を見出そうとしたわけです。
しかし結局、精神分析の道へ進んだ彼は、自身の実体験を元に画期的な概念を生み出すこととなりました。

性格分析的伝記の元祖

みなさんは「歴史上の人物がどのようなパーソナリティだったのか」と気になったことはありませんか? エリクソンも同じ疑問を持っていたようで、彼はこの疑問に対して「性格分析的伝記」という技法で答えを求めました。エリクソンの著書『ガンディーの真理』『青年ルター』は分析的伝記における元祖とされ、以降、さまざまな研究者に取り入れられています。人間の発達段階に生涯を捧げたエリクソンは、歴史上の人物の性格分析にも貢献したわけですね。

押さえておこう!「アイデンティティ」と「心理社会的発達説」

現在では多くの場面で「アイデンティティ」という言葉を耳にしますが、一口に「アイデンティティ」といっても、さまざまな性質があります。そのため以下において「アイデンティティ」の性質について簡単に見てみましょう。

アイデンティティとは

アイデンティティとは、自分自身に対する統一された見方や感覚のこと。
つまり「自分は何者か」「自分の役割は何か」などの自己概念を意味します。

アイデンティティには「自分は自分である」という不変性や、現在の自分が過去・未来の自分とつながっているという連続性が保たれていることが特徴です。

このようなアイデンティティを心理学では「自己アイデンティティ」といい、自己アイデンティティが社会的に成長する感覚を「自我アイデンティティ」といいます。

心理社会的発達理論

このアイデンティティ論を発展させ、エリクソンは人生を8つの発達段階に分けました。
それが「心理的社会的発達理論」です。
発達心理学において重要な概念なので、しっかりと内容を理解しておきましょう!
1、乳児期(0-1歳)課題:信頼 vs 不信
基本的信頼感が育てば次の段階へ。不信が強まれば人間不信となります。
2. 幼児期(1-3歳)課題:自立性 vs 恥・疑惑
自立心が芽生える時期。自立が阻害されると、恥や疑惑といった感情が強まります。

3. 幼児期(3-6歳)課題:自主性 vs 罪悪感
自分で考え行動する期間。過剰な制止や罰せられると罪悪感が芽生える可能性も。

4. 学童期(6-12歳)課題:勤勉 vs 劣等感
日常のさまざまな活動に取り組み、達成感から勤勉性が育ちますが、失敗が続けば劣等感が強まります。

5. 青年期(12-20歳)課題:同一性 vs 同一性拡散
自分はどういう人間かというアイデンティティを確立する期間。迷走すれば同一性拡散に陥る。

6. 成人前期(20-30代)課題:親密 vs 孤立
親密な対人関係を結び、他者を受け入れる能力が問われる段階。相互の信頼関係を育む時期。

7. 中年期(30-60代)課題:生殖性 vs 停滞
創造的活動に従事することで、世代を超えた働きが求められる。停滞すれば無力感や空虚感に襲われます。

8. 老年期(60歳以降)課題:統合性 vs 絶望
人生の最終段階。統合した自己像を確立する時期。絶望に陥れば、満足のいく最後を迎えられない可能性があります。

このように、ライフサイクル全体を俯瞰して捉えるのが「心理発達社会理論」の特徴です。

まとめ

今回はエリク・エリクソンの生涯について解説しました。アイデンティティの概念は、まさにエリクソンが実体験を通して見出した「人生の羅針盤」のようなものかもしれません。
エリクソンの発達心理学以外にも、ピアジェやフロイトも重要な概念を提唱しています。

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