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Recruit。

 最初のスタジオに決まるまでに2軒のスタジオを受けた。一つ目は電話したら、タッチの差で決まったと。二件目は、30代後半くらいの一人でやっているところで、スタジオスペースも無く、狭い事務所は怪しげな雰囲気ぷんぷんで、こちらからちょっと考えさせてほしい、と言って出てきた。その次に受けたのが、勤めたスタジオだった。
 求人が出た経緯は、そこにいたチーフ以下2名が、仕事先のデザイナーと結託、そこの仕事を奪ってそれぞれ独立、と言う良くある話で、結局どちらも1年も立たずに干されたらしい。だもんで、仕事が戻って来たわ、人手が足りないわ、な状態で求人が出て、そこへ行ったという次第。私に決まるまでに2名入って来たが、三日目にして来なくなったとか、いろいろ。待遇が悪かったのか、なんか思っているのと違う、だったのかわからないけど、何処も人手不足な時代だった。
私が入った後も、どんどん仕事が増え、求人を打ち続けていた。辞めるまでの2年に3人が来て、そして辞めて行った。東京で有名な貸スタのアシをやってたというSがやってきたのは私が入って半年ほどだったか。カメラマンとしての採用だったけど、チーフより腕があって、こりゃ揉めるな、と思っていたら、そのチーフがちょっとした出来事でクビ。そしてそのあと、なんとSも飛んだ。機材やらなにやら借金とか、踏み倒しての夜逃げだったそうだ。まあでも、人としてはどうかだけど、いろいろ教えてもらえてその点ではよかった。なかでも「撮影ノート」というのを付けるように、と言われて、ノートを買って来て渡された。これは今でも持っているが、なかなか恥ずかしい。その日の撮影内容と、ライト位置、出力にそれぞれメーターの値が書き込んである。ポラは普通のカラーに交じって4x5のフィルムが撮れる白黒の奴とかも挟んであった。もっとも現場ではそんな風に書き込む余裕など無く、あとで休憩の時に思い出しながら書いていた。ほかにもハネポジも大量に張り付けてあった。中には初めてシャッターを切らせてもらった、炊飯器とかラジカセ(って若い人にわかるんだろうか)のポジもあって、ちょっと懐かしい。


もう一人は、同じころに入ってきたうら若き女性。スタイリストになりたいという話で、先生曰く、そんな募集なんぞしてなかったけど、あまりの熱意に負けた、と。私が辞めた後もずっと続けていて、最後には、写真も撮るようになっていたそうだ。このTさんとは独立後、スタジオを構えてから、長く一緒に仕事することになった。まだ小さな撮影でもスタイリスト、H&Mが普通に呼べる時代だったのだ。

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