yosh yamauchi

大阪の写真撮影で生計を立てている前期高齢者です。 ドラムとトライアルを嗜んでますがどち…

yosh yamauchi

大阪の写真撮影で生計を立てている前期高齢者です。 ドラムとトライアルを嗜んでますがどちらも下手です。

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写真の事。

26歳で広告写真のスタジオに入り、30で独立。それから気が付けばもう35年余り経ちました。糊口をしのぐための仕事として「撮影」を選んだので作家的なことはやっていませんし、もちろん芸術家でもありません。狭い分野、建築、ファッションやブライダルなど、何かに特化してるわけでもありません。雑誌からはじめて、カタログ、広告や出版関係などのモノ、ヒトの撮影だけでこれまでなんとかやって来ました。 近頃は、同業者の廃業、転職、友達の死、自身の病気、いろいろあって考えることも多く、この先はぼち

    • R1。

      R1、R5mkⅡの内覧会に行ってきた。製品紹介では、今までの1の系列、F-1から始まった云々って話を。私がスタジオに入ってすぐ手に入れたのはA-1、一応1なんだけどな。ま、F-1からだわな。その時にはもうnewF-1だったけど。その後もEOSでも1を使い、デジタルでも1Dから一通り1系列を使い続けてきた。 で、このR1、何をしに行ったかと言うと、もう導入しなくていい、という事の確認をするため、でした。スポーツ関連や報道系なら秒間40コマも、個人を掴んで離さないAFも大きな戦力

      • コンサート。

        26まで何をしていたかというと、恥ずかしながらドラムを叩いていた。当時の仲間は、今も作編曲家、演奏家として活躍してたり、講師や教師として、音楽関連業界に居る人も多い。 私はどうみても、この先ドラム一本で食べていく才能はなく、作曲や作詞の能力もないので、さっさと(26だからそうでもないか)見切りをつけ、手っ取り早く出来ることとして、写真を選んだ。手っ取り早くというのは、一通りのカメラとD.P.Eの基礎知識があったからだけど、撮影、ことライティングに関しては素人同然だった。金子先

        • 無記名。

          昨日、エイリアン:ロムルスを見てきた。年寄り(+会員)なので1200円で見られるのはありがたい。エイリアン、書き出すと止まらないので割愛。まあ、ちょっとやり過ぎではあるけど、面白かった。 そこでの事、上映前にいろいろCMが流れるのだが、ここに私の撮影したスチール映像がいくつか流れる。これは併設するショッピングセンター館内のデジタルサイネージ用だけど、これが映画のスクリーン一杯に映る。もちろん、誰も知らないので、一人ニヤニヤしていた。 と、まあ私の仕事はほぼ無記名ですが、雑誌や

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          190B。

          30数年前のある日、兄貴先生に呼び出され、撮影の打ち合わせのあと、三脚の話になった。35用に、ロケ用に買ったんだと見せてくれたのが、マンフロットの190Bという三脚。畳むと50センチ足らず、三段で延ばすと1.5mほど。足の付け根にレバーがあって、押し込むと足が二段階に開いてローアングルになる。センターポールは、逆に差せば、地面すれすれにセットも出来る。しかも当時にしたらとても軽い。雲台には小さめの自由雲台が乗ってた。これ軽くて良いよ、と勧められて、帰りのその足で、機材屋さんへ

          モデルⅡ。

          前に、動けないモデルは困る、と書きましたが、もう一つ、大事なのが、こちらのタイミングと息が合う、ってことがあります。 普通、撮影の時、こちらがハイ撮りますよ、と言わなくても、モデルが動いてポーズを決めて、はいここで撮ってね、というタイミングを出してくれます。具体的には普通にうつむいて立っている状態から、少し足を出してそちらに体重をかけ、ぐっと腰を入れながら顔をこちらに向けつつ笑顔でカメラを見る、この時には振り上げた腕の指先まで奇麗なポーズが完成してます、この瞬間に私がパチリと

          ワイヤーネット。

          100均で売っている、一個が5センチくらいの網の目になった、針金で出来たパネルみたいなやつ。50x80くらいのを、S字フックとかを利用して、電源コードやいろいろ引っ掛けて使うのに買ったが、ある日、スーパークランプがその幅にうまく引っかかることが分かった。それまではオートポールなどに噛ませていたが、とても塩梅が良いので、もう少し大きいパネルを買って来て、壁に付けた。壁には角材などで壁から少し浮かさないとうまく収まらない。ほかにも、ヘッドやモノブロックを置いている、組み立て式のス

          ワイヤーネット。

          田中正剛。

          前の続き。 事務所に居たのは、コーディネイトや事務関係を請け負っていたKさん一人。一瞬暗い顔になり、あ、そうかアナタには知らせてなかったわね、ごめんなさいね、田中は少し前に亡くなったのよ、って。 ずっと糖尿病で、入院時にはお見舞いに行ったこともあったが、タバコも酒も辞め、好きだった甘いものもずいぶん我慢していたのに、心臓に来たようで、突然死だったそうだ。  先生の死を聞かされて、言葉が出なかった。持っていたカレンダーを手に、これ作ったんで見てもらおうと、っていうのが精いっぱい

          田中清司。

           師事した、と言ったら弟子にした覚えはないと怒られるはずだけど、独立後、繁忙期だけお手伝いしてた、田中清司先生の事を少し。  K先生に独立の報告をしに行ったときに、どうせヒマなんだろ、田中のとこに手伝いに行け、と言われたのが最初だった。 その頃、ちゃんとアシスタントのO氏が居たが、彼も半分独立、スポーツ系の撮影をしていてシーズン中は手が足らず、私が呼ばれた。手伝ったのは家電のP社のロケ撮影が多かった。ロケハンにも駆り出されて、そのP社の蛍光灯カタログ向けに、上手に使用してい

          Photoshop。

          最初に使ったのはどれだったか、もうあまり覚えてないけど、3だったか4だったか。ずっと使い続けて、今は(渋々だけど)サブスク版を使っている。でもまあ、どんどん便利になってますね。切り抜きなんて嘘みたいに楽になったし。歪みとかも大きく触れるのが便利。顔の様々なパーツをいじくりまわすのは、以前から手作業でやっていたが、これも時短になるのでありがたい。この先、仕事がアルバイト程度になったら、代替ソフトも良いのがいろいろあるようなので、移行すると思う。 そんなことより、最初の頃、いろ

          MANFROTTO。

          スタジオを開くとき、スタンドとかブームとか、クランプとか、およそ写真を撮影するのに必要な、こまごまとした機材はマンフロットでまとめて買った。コメットのもあるが、たぶんマンフロのOEMだと思う。 スタンド類はマスターというデカくてやたら高くまで上がるのから、スタンダードな3段と4段だけど、ネジで止めるタイプとどういうのか、レバーを押し込み、パチンと閉めるタイプが混在している。レバー式のは長年使うと、パイプ径が細くなるようで、伸ばした時にきちんと閉まり切らなくて落ちることがある。

          懐中電灯。

          ライティングって大上段に構えると、メンドクサ感が前に出ます。でも実はとっても簡単な方法で「天井バウンス」の効果を見て覚えられるんですよ。 と、その前に、そもそも「天バン」っていつごろからなんでしょうね。かのおっかない大先生は、有名作家さんのご自宅でのポートレイト撮影の時、まだ発光部の動かないナショのグリップタイプを二台、三台とスタンドに載せて、それぞれ外部バッテリ(積層)を付け、シンクロコードとスレーブでつなぎ、白い天井や壁にぶつけて、やってたのがたしか1990年前後。電源が

          責任。

          いざ撮影が始まるとその場で一番偉いのがカメラマンだ、覚えておけよ、と亡くなった師匠に言われたことがある。シャッター切るってのはそういう事だ、って。偉いかどうかは別にしても出来上がったものの一切の責任はシャッターを切った自分にあるのは確か。  もう撤退してなくなったけど、若いころ鉄道系ホテルのフレンチレストランの車内吊りをやることになった。東京から来た若手の料理長に変わったとたん、それまでのカメラマンが首になり、めぐりめぐって回って来た話。気難しくていろいろ面倒な料理長だから、

          番記。

          アシスタントの頃、大事な仕事の一つに番記があった。撮影済みフィルムに番号を振り、このどれに何が何枚写っているか記しておくんです。フィルムは現像するまで中身がわからないから、撮り終えたら、そうやっておかないととても困ることになります。スタジオで数点のブツ撮りなら、適と前後(当たりの露出とその半段か1/3段開け閉めした露出)のような撮り方をするから、いちいち書かなくてもそのままだーっと全部現像に流せばいいけど、(ただし大量だと後の整理のためにやはり番記してた)ロケのモデルとかだと

          番頭。

          1992年頭にようやく自分の居場所を作り、夏までにはどうにかこうにか、スタジオでの撮影が回るようになった。ここまで来れたのには、じつは訳があって、その直前、新しく出来た「生活科」という教科書の撮影を請け負うことになったから。これは小学一、二年の社会科と理科を合わせたような教科で、それまでの文字とわずかな白黒写真の本とは違い、判型が大きくなり、グラフィック主体でカラーページが増え、モノクロばかりで使える写真のストックも無く、新規に撮影が大量発生したわけです。地域の町探検から自然

          ライター。

          この仕事、編集者や、ライターさんと組んで取材に行くことが多い。先月から久しぶりに雑誌、と云ってもその中の広告ページなのだが取材撮影が続いている。普段はだいたい同年代か、少し下の方々と組んでロケに出たりすることが多いけど、中には孫くらいの人と仕事をすることがある。こちらはやりやすいけど、こんな爺さんと組まされるのは嫌かも。 これまでもいろいろなタイプの人と仕事した。中には勘弁してよ、って言いたくなる人もいたけど、そういう人は、しばらくしたら見かけなくなった。もっとも、私も現場で